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2006年10月30日 (月)

高校未履修問題について

教育基本法の改正が云々されているさなかに、 全国で、必須科目を教えていなかったために、高校を卒業出来ないという問題が発覚し、報道のたびに該当する学校の数が増えている。「○○よ、お前もか」というのはたやすいが、当の大学受験を控えた生徒にとっては大問題である。

10月28日現在で、396校7万人以上の生徒が単位不足の恐れがあり、卒業できない可能性があるという。今になって補修を行うにも、受験生にとっては大変な問題である。と同時に、形だけ履修させても、この受験期になって頭になど入るわけがない。そうでなくても、受験生の気持ちは神経を使っているのだ。心情的には、受験に専念させてあげたいと思う。

報道によれば、今年だけではなく、ゆとり教育の導入によって、週五日制になった頃から急に増えたという。ということは、すでに単位不足でここ数年間卒業しているということではないか。

 発覚したから急に卒業させないというのもおかしいし、今更数年間さかのぼって卒業を取り消すというのもいかがなものか。むしろそのようなことは出来もしないし、すれば大混乱の元になる。公立高校と私立高校とで、履修科目の組み方も異なるというし、公立高校のみ卒業できないというのも変だし、そのようなことになると、益々公立離れを助長することになりはしないか。

 本来は文部科学省の指導要領に基づいて行われるべきは当然のことではあるが、数年にわたって行われてきたことが見過ごされてきたのであるし、その意図は大学受験のために生徒の負担を軽減し、受験に専念できるようにとの学校側の配慮によるとすれば、文部科学省と現場との間に

認識の隔たりがあったということであるから、権威でもって履修を強制することよりも、昨年までと同じくこのまま卒業させて、互いに反省すべきところは反省し、修正すべきところを修正するということで、前向きに検討すべきではないか。

来年度から、こういうことのないようにすべきである。一校二校ならばとにかく、これだけの数の学校において行われていたということは、文部科学省にも責任があることを認識すべきである。生徒には何の落ち度もなければ、大事な受験期を迎えての心理的な圧迫は避けるべきである。

 

戦後教育を根本から見直すべき時が来たのだと解したい。今教育改革が論じられているが、そもそも『教育とは何ぞや』を論ずることなく、愛国心がどうの、偉人伝を導入せよとか、いろいろ論じられているが、もちろんそうしたことも大切ではあるが、教育の根本を考えることなく論じても意味はなかろう。

教育とは、教えることではなく、育てることである。今のように学習指導要領に基づいて教えたよというようなものが、果たして教育といえるのだろうか。育たない限り、教育をしたことにはならないのだ。人格形成こそ、教育の真髄ではないか。

詳しくは、『教育改革に思う』の小冊子を参照されたい。 

 

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