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2006年11月30日 (木)

危機を乗り切れる人とは

平穏な時には、誰が行ってもそこそこに出来る。しかし嵐や危機に直面した時に、それを乗り切ることは、誰にでも出来ることではない。それは、企業も国も同じである。

終戦後の荒廃の中でも、今までに高度成長だ、大不況だ、バブルだと、いろいろな時期を乗り越えてきた。しかし、最近は相手をやっつける為だけの議論が多くはないだろうか。目の前の人をいくら議論でやっつけて勝っても、中身が国民の幸福に繋がるものでなければ、何の為の議論か意味がない。

いざという時には、命をかけても行うという決意と力量が必要である。私は、今あるいろいろな政治家育成の場を批判するつもりはないが、金をもらいながら勉強するというのでは、平穏無事のときの舵取りはできても、嵐の時に耐え得るであろうか。やはり学びの時から、全財産をはたいてでも、国家のためにという気構えが必要なように思う。

人は、誰でも自分がかわいい。だから、ある所から先は自分のために残そうと思うものである。しかしいったん腹を決める時、すべてをかける覚悟の上で行う時と、一部守り、つまり逃げ道を残した上で進む時とでは、ヒラメキやいざと言うときに発揮できる力に大いなる差が出ることを知らなければならない。

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2006年11月29日 (水)

国を運営する

 国家は、国民の生命・身体の安全を保持し、健康と財産を確保して幸福に生存できるようにすべき責務を負うているはずである。現在のわが国の政治や経済や社会は、この理想にどれだけ近づいているであろうか。

 北朝鮮の拉致事件にしても、いつまで経っても埒が明かないでは、国家としての責務を果たしていないことになる。また、赤字国債の累積だけでも、国民の負担と不安は重々しいものがある。本来ならば、国家が経済的にも国家を運営して、その利益で国民の負担を軽くすべきである。

 それを「民営化、民営化」と言っているのは、経営能力のなさを公言しているに過ぎない。国家を運営する経営能力がないのなら、総理も閣僚も引退すべきである。

本来国民は、優秀な経営者に企業を経営してもらうがごとくに、国を経営してほしいと思っているのだ。そして「この人ならば」という人を、本当は「首相公選制」のような形にして送り出したい、というのが本意である。そしてその人を支える魂と経済の結束を、大志塾、国家経営塾を通じて育てたいのである。

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2006年11月28日 (火)

運を引き寄せる努力

 成功した人は何らかの運を生かし、波に乗って事業を大きくしている。

成功した人の話の中には、「自分は運が良かった」という話を聞く。そして「自分は、この時期に急に上昇気流に乗ったように、事業が大きく上向いたのです」といわれる人が多い。

 たこ揚げと同じで、はじめは自分の足で走らなければならなくても、あるところまで昇ると自分が走らなくても、押し上げてくれる力と出会うことがある。そして思いもかけずに事業が大きく上向くことがある。  

しかし上昇気流を待っていつまでも、最初に走り出すことをしないと、その上昇気流さえつかむことは出来ない。はじめは飛ばしたい凧が、走っても走っても、地面をはって上に登らない。しかし諦めないで、走り続ける。凧を飛ばす努力をし続けたとき、上昇気流と出会うことが出来るのだ。

 上昇気流に乗る前には、必ず運を引き寄せる努力をしている。

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2006年11月24日 (金)

自民党復党問題について

 安倍政権に変わって、郵政民営化に反対して自民党を離党させられた議員に対しての、復党問題が浮上している。

 自民党は、「安易に復党を許すと、国民を騙すことになる」とか、「信頼を裏切る」などと、もっともらしいことを言っているが、真相はいかがなものか。また復党に反対している小泉チルドレンと呼ばれる刺客たちの言い分こそ、人情的にはわからぬではないが、そもそも隠密のごとき刺客は、「死して屍拾うものなし」の覚悟で立候補したはずで、小泉前総理自身に「刺客は使い捨て」と言われて驚くこと自体が、まさに幼稚なチルドレンというほかあるまい。

 自民党の幹事長である中川氏は、「郵政賛成の爪印を押すならば、復党を認める」と言うことだが、そもそも「郵政解散」はなぜ起こったのだろうか。

 自民党の総務会の決議もすまぬうちに小泉前首相が、「郵政民営化」を強行するために閣議決定したことに端を発したはずだ。本来ならば、それを一番諌めなければならないのは、当時の幹事長である武部氏だった。「総務会の決議もすまないうちに、閣議決定をして強行するということは、自民党始まって以来の暴挙であり、とても党のとりまとめなど出来ません。総理といえども、党の規律を無視してまで強行するのであれば、私は幹事長の座を降ります」と身を挺してでも押しとどめていれば、その後の郵政解散も、刺客を送ったり、自民党の分裂の火種を残すようなことも、多数の離党者を出す事態にも至らなかったはずである。

 幹事長という地位は、首相を補佐すると共に、党の要となる重要なポストである。ただ総理のイエスマンであるだけが良いのではない。いい意味での総理と党の舵取りの役目として、見方によっては、その後の党の運営の方向付けをし、場合によっては今回のような分裂の危機をも招きかねないのである。

 そもそも小泉氏は、橋本総理の時代に、永久第一位を約束して地方区から比例区に回っていただいた中曽根元総理に対して、突然の引退を迫るなど、まさに武士道に反する行為であり、日本人にあるまじき行為である。

その上、郵政民営化を云々するなら、現行のまま行く場合と、民営化した場合の利点と欠点を国民に明確に示すべきである。机上の空論のように、理屈ばかり並べてみても、一度配達したら、二度とは配達しないという姿勢の郵政が、何度でも、しかも一時間もかかる場合には「すみません」と言う宅急便と、たちうちできるはずがないのだ。そういう実態を知っているのだろうか。

民営化民営化と言うけれども、それは「総理に経営手腕と経営能力がない」ということの裏づける以外の何物でもない。歴代の総理は、国家経営に失敗をして、国鉄をはじめ三公社五現業を解体し、足りなくなれば消費税等で穴埋めするだけの無能振りをさらけ出し、赤字国債がどれほどになっているのかわかっているのだろうか。

 にもかかわらず郵政解散選挙では、各地に刺客を送り、広島の場合にはライブドアの堀江氏の応援演説にまで出向き、「私の息子です、私の弟です」と連呼した事実は、民主党の偽メール問題で救われたが、その後の堀江氏の罪状を見ても、党の舵取りとしての認識を疑うものである。たまたま民主党の勇み足でその場は逃れたとしても、その責任は重大であり、郵政民営化に反して離党させられた人たちよりも先に、責任を負うべきである。

 今、自民党の復党の代表として、平沼氏を代表とする十二人の議員がいるが、平沼氏の「私にはその要求は、ハードルが高い」と言う意見は当然ではないか。

むしろ二度とも反対を表明した平沼氏は、骨のある態度である。

普通ならば、個人の意見の前に党の方針があると言いたいが、その党の方針をまず無視して事を進めたのは当の小泉総理であり、武部幹事長である。もともと小泉氏は、自民党を壊すと言っていたではないか。その者を優遇して、まともな意見の者を離党させる自民党とは、一体いかなる党なのか。

 民主党もだらしがないでは、一体国民は何に託せばいいのだろうか。綿貫氏や亀井氏、堀内氏など、もう一度大同団結してはいかがか。あれこれと理屈をこねる中川幹事長も小者になったものだ。もっと大局を見て舵取りに誤りなきを期せ。

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2006年11月23日 (木)

先を取れば、光の速度 後に回せば、牛歩の歩み

 一般にも「時は金なり」と言うが、時間には、使い方で効果に大きな差が出ることをご存知だろうか。「時間がない」「忙しい」という人ほど、時を生かして使うべきではないだろうか。

わずか一分でもその前に行うのと、遅れてするのとではまったく効率が違うものだ。

 時を味方につけるというと変に聞こえるかもしれないが、同じ一分、一時間でもその濃度、効率はまったく違うのだ。

「先を取れば、光の速度、後に回せば、牛歩の歩み」になる。

一日二十四時間には変わりはないが、このときの使い方を知れば、人生が大きく変わると思わないか。いい仕事をする人は、必ずいい時の使い方をしている。

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2006年11月21日 (火)

教育とは、魂を磨くこと

人が生きる原点は、現代社会で言われているような自由ではない。

なんでも自由という考えのもとに過している者にとっては、なかなか理解し難いであろうが、人が生まれる時を、自分で選ぶ自由はない。

昔から、「わからなくなったら、原点に帰れ」と言う。

命を与えられた原点に返り、どう生きるかを、そこから見つめていくべきではないだろうか。

人の命、寿命を『天命』と言う。「天から、与えられた寿命」という意味だ。

そしてもう一つの意味は、「天から命じられた(託された)使命」という。

この二つをもって天命と言う。

人が自分の意志で生まれてくることが出来ないように、死ぬときも勝手に決めることは出来ないのだ。それが天命なのだ。

この与えられた寿命の期間内に、いかに使命を果たすかが大切なのである。これが、人がこの世に送り出されてくる意味なのだ。

『教育とは、魂を磨くこと』というと難しいことのように受け取る人もいるが、生きている間に、どう世の中に貢献するか、自分の与えられた使命を果たすかということが大事であり、それが出来るように自分を磨くということである。

そのための教育こそが、なされるべきである。

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2006年11月17日 (金)

自分の仕事は、世の中のどの役目を担うものか

あなたの人生は、充実しているだろうか。毎日の生活に流されてはいないだろうか。「自分の今行っている仕事は、世の中のどんな役目を果たしているものだろうか」と考えたことがあるだろうか。

お客様から注文を頂き、それを受けて働き、お納めし、対価を頂く。ただその繰り返しで日々を過し、そこに何の役目で行っているのかを見失った時、自分の人生の意義をも見失うだけでなく、ただ儲かりさえすればいいということで、人の健康を害すると承知の上でも平気になってしまう。

食品会社の人が身体に害のある添加物を入れ、農家の人が自宅用と出荷用を分けて作るというのも、この一例である。

どんな仕事も、人の身体と心と魂の健康に何らかの貢献をするものが必要である。人の健康は、食品や医療に携わることだけではない。たとえば娯楽に携わる仕事であれば、人の一日の心の疲れを取り、ホッとくつろげるものであれば、人の健康に十分貢献するのである。さりとて下ネタを中心とする下品な笑いや、無理矢理「これでもか、これでもか」というような笑いは頂けない。やはりほのぼのとするような、明るい笑いが一番だ。

まず自分の仕事が、本当はどんな役目を持っているのかを考えてほしい。仕事とは、読んで字の如く「仕える事」である。世の中に何らかの貢献をすることであり、人の為になることを言う。本来は、神に仕える事であり、神の子人に仕える事である。したがって、金のためなら、人を騙してでもとか、脅してでもとするのは間違いであることを肝に銘じて欲しい。

金銭は、世の中に仕える事をしたその結果として、後から巡ってくるものである。

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2006年11月16日 (木)

今までのキーワード、これからのキーワード

新たな事業には「世の中の人が、潜在的に欲しているものだが、それがまだ形になっていなかったり、仕組みとして生まれていないものを作り出し、世に出していく」要素が必要だ。

 実際にそれが軌道に乗り、成功するためには、その着眼だけでは足りないが、まず今までのポイントと、これから必要とされる着眼のポイントを見比べてみたい。

 今までは『簡単・便利・きれい』がキーワードで、その中心に『快楽』があった。

 食べ物を例にとれば、泥付きの野菜や、虫食いのもの、形の不ぞろいなものは避けられて、調理が簡単、使うのに便利、見た目がきれいなものがどんどん世に出され、店頭に並ぶ大部分を占めるようになっている。

 鍋を使わないで調理出来る電子レンジ、インスタント食品、遅くまで営業して便利なコンビニ、また本でも気軽に簡単に読めるものが売れ、働くにも3Kのような汚れる、きつい仕事は嫌というのが主流になっている。

 しかしこれからも、ずっと同じ路線で世の中が動くだろうか。いきなり世の中が、百八十度変わるわけはない。しかし経営者は、時代が求めているものが何かを知らなければ、中、長期計画を立てることはできないのではないだろうか。

これからのキーワードは『本物・循環・蘇り』で、その中心には、『命』が置かれるようになるべきである。

 より簡単に、便利に、そしてきれいなものを求めるあまり、農薬漬けの野菜やインスタント系のものが大勢を占め、「命を養う食」が姿を消し、身体と心の健康面に色々な問題が生じてきた。それは「食」だけでなく、すべての面で本物が陰に隠れるようになっている。

 人の命、人の健康、身体と心の両面から見たとき、また自然の蘇り、地球の中の循環などに目を向けたとき、あなたの企業では何に貢献できるだろうか。またどういうものを目指して進んでいくべきだろうか。

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2006年11月14日 (火)

国が大事なことを怠けた穴埋めとして

 これからの仕事の中には、「本来は当然国がすべきことなのに、国がサボっておこなわなかったこと」が、大きな事業になる可能性がある。

 すでに国鉄解体からJR、また電電公社からNTT、そして第二電電、携帯各社と民間の広がりを見せているが、まだ大きな事業が残されている。

 経営者は、政治には関わらないというが、国があってはじめて自分の事業も成り立つことを知れば、本物の経営者は「何が必要か」気がつくのではないだろうか。

「国として何が必要だろうか」という目で見たとき、大きな穴が開いていることに気がつくはずである。

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2006年11月11日 (土)

方向転換の舵取り

 過日、地球環境問題担当の特命全権大使のお話を伺う機会があった。いろいろな話の中で、「北極では、白熊がおぼれている」という。何のことかと思ったら、平均温度がたった0.6度上昇しただけで、北極の氷がどんどん溶け、白熊がおぼれるほどのことが起きているというのだ。また南太平洋の島では水没しかけているところがあり、島民がすでにオーストラリアやニュージーランドなどに移住しているという。

 北極や南極で起こっていることが、赤道近くの島に影響しているのだ。この先さらに4度ないし5度上がっていくと予測されているそうだが、地球全体に大きな影響が出ることは避けられず、日本の平野なども、水没の危険があるのではないかと感じた。

 東京には、ゼロメートル地帯があり、また下町には川よりも低い土地がたくさんある。また銀座などの一等地も、もとは海の中であったところだ。

私たちは、生活の向上を求め、数々の努力と積み上げをしてきたが、地球全体でこうした自然の変化が進むときには、それが水泡に帰さないとも限らない。

 すべての努力・成果は、安定した土地があってのことであった・・と気づいたときには、もう手遅れだ。日本は島国である。地球温暖化の問題は、他国よりも真剣に取り組まなければならない問題である。気づいたときには水浸し、否日本沈没では意味がない。

 物事の方向転換をするときには、小さな船なら小回りも利いて、すぐにも向きを変えることが出来るが、大きな船、タンカーなどが方向転換をするときには、相当に早いうちから舵を切り替えて、大きく転回しなければならないと言われている。これは大企業などの経営の心得として言われることだが、地球全体の方向転換をするとなると、いかなる大企業よりも、大きな舵取りが必要ではないだろうか。

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2006年11月 9日 (木)

心の声を聞け

人は、大人になるほど夢がなくなるという。生活のため、社員のため、会社の命令をはじめとするいろいろなしがらみで、がんじがらめに感じてくる。しかし、精神を柔軟にしておくことは、大事なのだ。新しい発想や、大きな飛躍のヒントに繋がる。

一度、心の枠をはずして自分を見つめてみたらどうだろう。生活のことや損得、見栄や外聞といった、日常縛られているかもしれないものから自分の心を開放してみたら、思いもかけない自分の本当の声が聞けるかもしれない。

これを一般に内観と呼ぶが、自分の心をいつわらず、金銭のことをはずして考えるだけでも、今まで見えなかったものが見えてくる。「本当は、何がしたいのか」「今の時代に、自分は何をしなければならないのか」

問いかけをしなければ、自分の心の奥底にあるものは答えてくれない。

自分が生まれてきたのは、何のためだったのか。一度、金銭や損得を頭からはずして考えよというのは、人が生まれてきたときは、損得ではないからだ。

ただこれは日常では、なかなか出来ないものだ。あわただしい時間の流れの中では、本当の声は聞きにくい。経営者セミナーでは、内観も予定し、回数を重ねるごとに、自分の本当の声を聞くことを深めていく。そこには、自分自身も信じられないような力が秘められているからだ。

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2006年11月 6日 (月)

『天皇を中心とする神の国』で、なぜ悪い

「日本は、天皇を中心とする神の国」と言って、物議をかもした総理がいたが、このどこが悪いのだろうか。『天皇を中心とする』と言う点に問題があるとする者は、天皇を辺鄙なところへ追いやろうとでも言うのであろうか。それこそ「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって・・・」という憲法第一条に反するのではないだろうか。

また、『神の国』と言うのがおかしいというのであれば、日本の国を一体なんと呼ぶのであろうか。いずれの点についても、反対する者の見解こそ伺いたいものである。

「神の国と言われて怒る国民は、日本人くらいのものだ」と、外国の人が不思議そうに首をひねっていた。

日本人が感じる『神』とは、自然そのものをさす。昔から朝日に手を合わせ、夕日に感謝をして過していた。物体としての恒星、太陽ではなく『お天道様』として、命の源(みなもと)に繋がり、感謝をしていたはずだ。

『神の国』とは、自然と共に、自然の恵みに感謝して、日々を過す国という意味でもある。それは互いに相手の存在を認め、大切にするということだ。

だから、自然や人の心を平気で破壊している人は、「神の国」という言葉に抵抗があるだろう。たとえば公害などを平気で垂れ流したり、人の心を踏みにじり、害毒を流し込むようなことを平然と言ったり実行できる人たちである。

(著書 混迷する世の中をどう生きるか を参照してください )


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2006年11月 5日 (日)

人生の根っことは、何か

 「人生の根っこをしっかりと張る」と言われても、何をどうしたら良いのかわかりにくいだろうか。「根っこ」とは何か。根っこである以上、人の目から見えないところのものだ。

つまり神仏である。それは宗教的な意味ではなく、自らの命を大切にし、命の源(みなもと)に繋がることなのだ。まず自分の親、ご先祖様を大切にすることだ。

そして神様とのご縁を持つことである。「神縁」と言うが、「困ったときの神頼み」や「ご利益信仰」だけでなく、普段から神様とのご縁を大切にしておくことである。

日本は、八百万の神(やおよろずのかみ)と言われ、たくさんの神様がおられる。どこに行っても神社がある。特に、地元の神様、産土神様(うぶすなのかみさま)を大切にしておくことだ。また日本人である以上、日本の中心の神様である天照大御神様の伊勢神宮に、年に一度くらいはお参りすることが大事ではないだろうか。

「根っこ」は、普段人の目に触れることはない。しかし、自分を土台から支える力になる。

普段から、神仏にご挨拶し、つながりを大切にしておくことだ。その積み重ねが、自分の根っこを強くしていくのだ。根無し草では、嵐に耐える力は弱いものだ。

(著書 『混迷する世の中をどう生きるか』をご参照下さい)

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2006年11月 4日 (土)

自然の変化から学ぶもの

 自然が今までと違う動きをしている。たとえば台風は、秋の実りの時期に台風は来ていた。ところが最近は、台風の来る時期がめちゃくちゃだ。夏の前からやってくることもある。

これは何を意味するのだろうか。単なる自然の変化とだけ捉えていては、社会全体の異変を見過ごし、ことが起きてからあわてることになる。

自然が、今までとは違う動きをしているということは、世の中にも同じことが起こるということだ。それは今までの予測や、データでは判断出来ない事態が起こることをあらわしている。

 一番わかりよいのは、人の命と健康だ。実りの時期(中年)以前の、夏の前に台風が来て被害に合うとは、まだ伸び盛りのとき(幼児・子供)でも、突然の嵐に倒される危険と隣り合わせの時代が来ていることを、あらわしている。

 今は乳幼児の頃から、突然死が起きたり、幼稚園児が隣人に殺されたり、小学生の登校の列に車が突っ込んできて、命を奪われてしまう事件など、今までの常識では考えられないような事件が実際に後を絶たない。

 嵐はいつ来てもおかしくない時代になっている。嵐をとめることは出来ないが、それに耐えられるようにするには、人生の根をしっかりと張っておくことが大事ではないだろうか。

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2006年11月 3日 (金)

 最後まで、気を抜くな

台風は実りの秋にやってくる。一年の努力の結果としてのたくさんの実り、いよいよ収穫をしようという時こそ、突然の嵐に倒されないように心しなければならない。

 「これで出来た」「もう安心だ」と思わないことだ。物事には、最後の最後まで気を抜かないことが大切である。

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2006年11月 2日 (木)

四季より、学ぶこと 二代目

事業を受け継ぐ、成功した先代より事業を受け継いだときには、四季にたとえたら、いつであろうか。

 当然、秋の実りの時期である。たわわに実った果実、たくさんの収穫、皆、それを求めて群がってくる。お世辞を言う。皆その果実ほしさに、心地よい言葉で集まってくる。

 それに酔わされていないだろうか。そのまま次の季節にまく種を持っていなければ、果実がなくなった時点で、すべてのものは去っていくのだということを忘れてはならぬ。

 次にまく種は持っているだろうか? まったく異質の種をまけというのではない。少なくとも先代の意を受けた種をまくのが普通である。土壌は、すでにその種に合う体質になっているはずだからである。

しかし、前の代で吸い上げるだけ吸い上げて、土地は疲弊しきって入れば、(つまり社員も、取引先もやる気を失い、そこから生み出すものがなくなっているときには・・・それは選挙地盤でも同じ)まず土地に栄養を与えることからしなければならない。

 今どんな状態で、経営を引き継いだのかが、見えているだろうか。

 それこそが経営を引き継いだときに、真っ先に見極めなければならないことである。

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2006年11月 1日 (水)

日本には、なぜ四季があるのか 

この地球の中には、常夏の国がある。また厳寒の国がある。この日本は、季節のめぐりとしての四季がある。それはなぜだろうか?  それは、人生にも四季があることを、自然は教えているのだ。それを日本人は感じ取っているのではないだろうか。

人生は、いいときばかりではない。つらい、寒いときばかりでもない。しかし良い時、実りの秋の後には、必ずそれを鍛える寒さが待っていることも、教えているのである。

 また、生まれてから、死ぬまで四季のめぐりになぞらえ、芽が出る時期、大きく伸びる時期、実りとして収穫する時期、枯れてこの世を去るときも、示唆しているのである。

 大事なことは、その中でどれだけ生きるかだ。時には、嵐のときも来よう。努力して育てたのに、一瞬の嵐にやられるときもある。しかし恨むこと、自然と闘うことは、日本人の本質ではない。

 それを人生の鍛えとして受け入れ、育っていかれるかで大きな差になる。

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