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2006年12月28日 (木)

日本人は勤勉な民族

一年の仕事納めに当たり、日本人の仕事に対する本質的な姿は何なのかを見直してみたい。今日本人は心の砂漠にいるが如くに、金や物質面のことでしか喜びを見出せないかのように見える。また金にならないことは何一つしないという民族になっているかに見えるが、本当はどうなのだろうか。自分だけでなく共に働く日本人の本質を改めて見直しておくことは、新たな年の躍進に欠かせないことではないだろうか。

日本人は、もともと勤勉な民族であり、働くことに喜びを感じる民族である。それは単に金のためだけに働いているのではないからだ。この仕事を通じて成し遂げられる使命感、また何かの、あるいは誰かの「お役に立つ」ことが本質的に喜びと出来る民族だということだ。

だから仮に貧しくても心が貧しくならなかった。赤貧の中にも凛とした徳と品格を有したものだ。そして情けに厚い民族でもあった。「となり組」という言葉があるように、他人であっても互いに親戚のように付き合う、人の困っているのをそのままに出来ないという暖かさがあった。

また戦国時代など、とてももらっている俸禄(給料)だけ見たら出来ないであろう命をかけたご奉公が出来たのはなぜか。ここに気がつかないと、人の魂に火をつけることなど出来はしないだろう。「家のため」「藩のため」「国のため」すべて共通するのは、自分以外のために尽くすことが出来たからだ。ここに日本人の本質があることを忘れてはならない。日本人が蘇るために欠かすことが出来ない原点であり、また企業が繁栄する大切な鍵でもある。

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2006年12月27日 (水)

社長の年頭の訓示の大切さ

企業内でも、「働く姿勢」を無視しての永続的な発展などありえない。

企業研修をはじめ、もろもろの研修などは、ノウハウの習得のみが先走る傾向が強すぎはしないだろうか。もちろん必要な技術などの研修は必要だが、それだけでは、人の一番大事なところのエンジンがかからない。すると人は、気分にムラがある分、機械より劣る存在にしか過ぎなくなる。

人は機械ではない。そして機械には絶対に出来ない力を持っている。その力を引き出していく原動力は、人の心にエンジンがかかるかどうか、さらには人の魂に火がつくかどうかなのだ。

最大の発火点は、使命感に火がついたときと言うべきではないだろうか。それを引き出すことが出来る一番いい機会は、社長の年頭の挨拶である。会社の方向性をはっきり示し、社員の心を動かせるだけのものを示すためには、まず自分の中にそれ以上に燃える信念と抱負が必要だ。

「一年の計は元旦にあり」と言われている。新たな決意と一年の計を立てて、年頭の訓示に臨むことで、新年の力強い出発が出来るのだ。何をおいても、年頭の訓示に集中せよ。

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2006年12月26日 (火)

働く姿勢を無視するな

人は自らの力で働き、汗を流すことによって、はじめて自分自身の中に入ってくるものがある。

「勤労の大切さ」と言うと古めかしく聞こえるかもしれないが、働く姿勢は、生き様につながり、その人の、果てはその国の行く末をも決めてしまうほどの力を持つ。

海外に技術協力をする場合にも、ただ「パンの為」、「食べる為」だけで、生産の仕方・ノウハウのみを教えるから、かえって教えたはずの国に自分達が追い上げられ、その結果自分の首を絞めてしまうような事態になる。

技術と共に教えること、製品と共に添えておくものは何か。これこそが日本がもっとも輸出しなければならない精神のはずである。

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2006年12月22日 (金)

一陽来復の日

 今日は、二十四節気のうちの冬至の日である。昼間の時間が一番短いため、翌日から少しずつ昼間の時間が長くなるところから、一陽来復の日とされてきたのである。

 現在では、十一月十五日の日に七五三を行なっているが、本来の七五三の日は冬至の日とされていた。だから、十一月十五日に七五三をしていない人は、今日行うとよい。

 辞書によれば、「よくないことが続いたあと、ようやく好運に向かうこと」とか、「落ち目の人に回復の運が回ってくること」とあり、易では陰暦の十月に陰気が極まって、十一月の冬至になって陽気が再び帰ってくることから、冬が去って、春が巡ってくることとされている。

 本来の意味は、物事の核を作る日とされているので、自然の巡りにまかせるだけではなく、自らの会社や日常生活の見直しをして、これからの芯になるものとしての核作りをする日とされてはいかがであろうか。それによって本当の幸運をもたらす回復の日にすることが肝要である。

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2006年12月20日 (水)

階段を上るが如くに、足固めをせよ

目標は、高く、しかし行動は、目の前の階段を上るが如くに、一段ずつ上ることが大切だ。そしてそこでのトップを取っていこう。

豊臣秀吉のたとえになるが、秀吉は、織田信長のぞうり取りから、階段を駆け上るように出世し、後に太閤様と呼ばれるまでに上り詰めた。

その過程で、ぞうり取りの時には、ぞうり取りとしてのトップを、足軽の時には、足軽としてのトップを目指して進んでいったエピソードは多い。

ぞうり取りの時には、屋外でぞうりをそろえるのが役目だったが、ただそろえたのではなく、寒い日など自分の懐に泥のついたぞうりを入れて、暖めておいてそろえたという。

 また三日間で城の壁の修復をした話や、誰にも作れなかった一夜城を作って敵を攻撃する足がかりにしたという話などは有名である。

どれもその時々の自分の役職でトップを取り、階段を上っていった。

人は今の立場や役職が自分の思うものでないと、軽く考えたり、腐ったりしがちだ。しかし、そうした時にどう思うか、そこをどう工夫をするか、どう過ごすかで、次の人生が決まるのだ。

 学ぶべきは、上った結果ではなく、その途中の階段での過ごし方だ。その一つ一つが大事な足固めになっていくのだ。

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2006年12月19日 (火)

トップを目指せ

最初からトップになれる人など、一人もいない。しかし、最初から「自分は二番でいいんだ、入賞さえすればいいんだ、そこそこでいいんだ」と思っていては、絶対にトップには立てない。

 人は自分が思った所より、決して上にはいかれないのだ。思っただけで叶うほど、世の中は甘くはないが、思いもしなければ手に入れることは出来ない。

不思議なほどだが、思いが通じたときに道は開ける。確固たる信念を持って、それを言葉に出して言い続けることが大事なのだ。

 ソニーもかつては、十人そこそこの会社だった。しかし、その時の朝礼で、社長はみかん箱を逆さにしてその上に乗り、「今に世界に冠たる企業にする」と言い続けたそうだ。その時は、こっけいに見えたかもしれないが、その後の結果は、如実に証明していよう。

京セラの稲盛氏は、独立した時のあいさつで、「倉庫を借りて創業したが、今にこの原町一番の会社にしよう、原町一番になったら西ノ京一の会社を目指そう。西ノ京一になったら、中京区一を目標にしよう。次は京都一、京都一が実現したら、日本一になろう。日本一になったらもちろん世界一だ」と語られたと言う。やる以上は、目標は高いほどいいのだ。

トップを目指すからこそ、見えてくるものがある。ひらめくものもある。責任という重圧もある。そうしたものが、日々鍛えてくれるからこそ、見えたり、ひらめいたり、感じたりするのだ。そこそこでいいと思っている時には、目の前にあっても何も感じ取ることは出来ないのだ。

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2006年12月16日 (土)

熟睡できますか?

人の活力は、何から生まれてくるのだろうか? 気力の充実、食生活などいろいろあるが、いい眠りは、大変な活力のもとだ。

人は悩みがあるとてきめんに食欲が落ちたり、夜眠れなくなったりする。

以前に倒産して借金取りに追われ、夜ほとんど眠れない方が尋ねてこられたことがある。

そのときにまず難しいことは言わず、お風呂の入り方をお伝えした。外国流のシャワーは、身体の汚れは取れても、心や魂の疲れは癒されないことをお話し、日本人の風呂好き、疲れたときに温泉に入りたいというのは、身体だけでなく、心や魂の安らぎを求めているかだという話をし、湯船の中で、今日一日生かされたことの感謝をするようにお話した。

その方はその晩、湯船にゆったりとつかり、そして「今日一日、ありがとうございました」と言ったときに、思わず湯船の中で手を合わせたという。そしてその晩ぐっすりと眠り、気がついたら朝になっていたという。いつものように借金取りがやってきたり、借金の催促の電話が鳴っていたはずなのに、気がつかないほど眠ってしまったのですと。

債権者には、誠意を持って対応することは当然にしても、夜寝られないのでは、解決出来るものも出来なくなる。

夜寝られないほどつらいことはない。どんなに寝ようとしても、寝られない、明日は大事な会議がある、だから睡眠薬に頼ってしまうという人も多い。

夜、寝られるかどうかは、本当は人が決めることではないのだ。自然に眠くなる。身体と心が自然界のリズムにあっていれば眠ることが出来る。

人は勝手に夜更かしして、本当は眠るべき、休むべきという自然の声を無視して生きていることが多いが、もっと自然のリズムの中に自分を生かしてみてはどうだろう。

今日一日を全力で生きる。その後は、湯船にゆったりとつかり、今日一日を感謝して休む。眠ることも、生きることも、人の力だけでしようと力まないことだ。

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2006年12月15日 (金)

一人の賛成者がいなくても  

新しい物事を進めるときに、全員がすんなり賛成できるもので、大きな成功を収めることはまずない。それは誰もが思いつくことであって、大きな成功の種ではないからだ。

今までの成功者を見てみよ。歴史上でも武将の決断の中には、足軽はおろか側近の武将ですら思いつかないこと、時には仰天するようなことがあるではないか。

社長は、時には社内に一人の賛成者がいなくても、必要とあれば前に踏み出す勇気も必要となる。しかし、それはただの思いつきや、無謀な計画をさしているのではない。重役をも含め、他の誰もが受け取ることが出来ないヒラメキと、信念が必要だ。

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2006年12月14日 (木)

いい出会い、いい縁に合う自分に 

新しい人材を入れるときや、もろもろの出会いはそのときの経営者なり、人事と波長のあった人が来る。したがって経営者が身体を壊し、体調だけでなく、心が低迷しているときには、会社を発展に導く人との出会いは難しい。

仕事は、時には損を覚悟で、あるいは利を薄くして、余り見返りのないことと承知しながらも行わなければならないときがあるが、それを乗り切り、前に進ませていくのは、人の力だ。

どんなに時代が変わろうと、機械化が進もうと、その基本は変わらない。

むしろ機械化が進んでいるからこそ、人の能力がより問われる時代となっているのではないだろうか。機械では決して代わることの出来ない人の力、それを持っている人は、多いようで少ない。  

躍進に繋がる人との出会い。その貴重な出会いを生かすことが、出来ているだろうか。それを感じ取れる感性と誠意がなければ、目の前にいても通り過ぎてしまうだけだ。

自分を磨き、育てることだ。釣り合わない時には、仮に素晴らしい出会いがあったとしても、縁は生まれない、また自分からどぶに捨ててしまうことになる。よい人材、また発展に繋がる人と、縁を持てる自分に育つことが大切ではないだろうか。

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2006年12月13日 (水)

鏡を見よう

朝の洗顔の時、自分の顔を見ているだろうか。案外見ているようで見ていないのが、自分の顔である。

特に疲れているときほど、自分の顔を見ていないものだ。はつらつとしているとき、「どうだ!」というようなときには、自分から顔を近づけても見ている。自分の顔を見たくないときには、必ず健康か、仕事か、対人関係か、何らかが停滞しているはずだ。

よく自分の顔を見よう。そしてにっこりと笑顔になって一日をはじめてはどうだろうか。誰も見ているわけではない。朝一番の自分だけの儀式である。

「笑う門には、福来る」と言う。毎朝の習慣に、福を呼び込む儀式が加われば、必ず運は開けてくる。そして自分に向かって「おはよう」と言うたびに、笑顔の自分と出会える。

自分で、自分のエンジンをかけることを怠ってはならない。

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2006年12月12日 (火)

身体の声を聞け

風邪がはやっている。そして一年の疲れがたまる時期でもある。少し心と身体の健康の話をしよう。

人は身体の声を無視して突き進むことがある。十二月は忘年会の季節でもあり、とかく暴飲暴食になりがちだ。しかし自分を支える身体を痛めつけることは、自分の人生を痛めつけることになる。

どんなに丈夫な身体でも、つまりを生じ始めたときには、効率が落ちてくるだけでなく、限度を超えたときには、坂道を転げるが如くに健康を失い、その結果大事な人生の勝負に臨むことも出来ず、不戦敗になりかねない。

大変な事態となる前に、日ごろより身体の声を聞く習慣をつけてはどうだろう。

「よく眠れるか?」「朝の目覚めは、さわやかか?」「毎朝快調に便が出るか?」「洗顔のときの自分の顔色は?」これらの確認は、その気になれば一分とかからない。

 小川のつまりも、小枝一本、わらしべ一本から詰まってくるのと同じだ。それを常に取り除けば、つまりはおこさない。即ち、病気には罹らないということだ。健康管理には、日々の習慣が大事である。

朝は、自分の身体の声を聞きやすい。一晩眠って回復出来ないということは、疲れがどんどん蓄積していくことを現す。年のせいばかりではないのだ。

「どうしたら一日の疲れを残さないで、一日を終えることが出来るか」は別の機会にのべるが、朝、疲れが残っていたとしても、蘇らせる方法がある。

それは、まず朝日を浴びることだ。極端にいえば徹夜明けであっても、疲れは半減できる。

一般的にも、体内時計がリセットされるという。少なくとも前日の疲れはリセットして、一日を始めることが大切である。

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2006年12月11日 (月)

価値観の相違

 大学の寮生活をしていた頃、恩師である木川統一郎先生が寮監をしておられた。私が先生の部屋にお伺いしていた時、近くの本屋さんが、運搬用の入れ物に一杯の本を積んで持ってこられた。先生は、月給袋を封も切らずに、本屋さんに渡された。

 学問研究のためとは言え、本代が大変だなと思って、「本代が高いんですね」と、つい言ってしまった。すると先生は、「本というものはね、たとえ百円の本であっても、そこから何も学ぶものがなかったら、時間と労力と費用とで、高い本になるよ。しかしね、その本から自分の知らないことを教わることが出来たら、たとえ一万円の本でも、安いものだよ。まして人生の指針になるような本だったら、金銭には換えられないものだよ」と言われたのだ。当時十九歳だった私には、まさにカルチャーショックであった。

十一月に富士桜荘において研修を行ったが、七万円が高いと思うか、安いと感じるかは、まさに価値観の問題である。早速に効果を発揮して、「上手く行った」と言う便りが次々と届いている。そこから得ていただくものが多ければ、決して高いものではないし、他では絶対に教えていない、また教えられないものを伝授すれば、受講生にとっても益する所は大のはずである。

 十万円なら十万円の、五十万円なら五十万円の、百万円なら百万円の内容に相応しい研修をすることも可能である。それぞれ、起死回生の内容であったり、人生の目標に関する心や魂の研修であれば、まさに金銭を乗り越えた話ということになろう。受講生の方々の了解を得た上で、近くホームページ上でそのお便りを一部公開したいと思っている。

近頃は、眼に見える物には金を掛けるが、目に見えない精神面には、あまり金をかけたがらない風潮がある。しかし、人生には限りがある。その限りある命のある間に、いかに自分の使命を全うするかは、現在のような環境では至難の業である。それゆえに、人生の役に立つことに、金銭も時間も労力も惜しんではならないのだ。

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2006年12月 8日 (金)

その日のうちに

 弘法大師様が、今の世相にたとえられて「一日の新聞をその日のうちに処理し終えておけば、道を歩くにも手軽であるが、一日一日と残しているうちには、やがてずっしりとした重みのものを毎日持って歩まねばならなくなる。一つ一つは小さいことでも、その都度処理しておかなければ、やがて大きな重荷になる。」ということを言われた。そして「むしろその時は辛いようであっても、先へ先へと物事を推し量ってするようにすれば、物事は思いのほか早く進むものです」とお諭し頂いた言葉が身にしみる今日この頃である。

 日々あわただしく過している間に、少しづつのつもりでも片付いていないもろもろが、意外とずっしりとした重みになっていた・・・ということはないだろうか。

 わずかの積み残しでも、単にその物だけでなく、そこに心の負担までが重なってくるのである。

やはりなすべきときになしておくことが大切である。

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2006年12月 7日 (木)

今日は、大雪

 今日は、二十四節気の「大雪(たいせつ)」である。一般に二十四節気は、農作業に関係のあること、また単なる季節の変化と捉えているが、実は「人の心や魂の栄養となる、大切な区切りの日」である。

 今日の「大雪」は、今までの心や魂の大穴や傷を修復する「大切」な意味を持っている。

天からその力を得られる日であると共に、受け手の姿勢次第で大きな差が出ることになる。

本日の朝日には、その力が込められている。出来れば十分以上、心を開き、よく朝日を浴びると良い。本来は、屋外で浴びるが、体調が優れないときなどは、窓越しでも受けることが出来る。

こうしたことは一朝一夕で、自分が自覚するほどに変わるわけではない。しかし確実に魂の栄養となる。その力が現れるのは数ヵ月後か、あるいはもっと先になるかもしれない。

栄養ドリンクやカンフル剤に馴れ、即効を求める人にはわかりにくいかもしれないが、本物は時間をかけ、積み上げたときに大きな力となるものだ。

次は、22日、冬至である。一年で一番日が短い日を迎えるが、こうしたときこそ魂の芯に力を入れるときなのだ。

一陽来復の日と言われるのもそこに意味がある。

(残念ながらココログがメンテナンス中で、本日の朝日には間に合わなかったが、一年の中にはこうした大事な日がいくつもあるので、そのままお知らせしたい。)

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2006年12月 2日 (土)

12月は、どんな月か

今、子供達に12月はどんな月かと尋ねると、クリスマスの月と答えるに違いない。町中を飾るイルミネーションの飾り、子供だけでなく大人も何かおとぎの世界のような夢を見るようで楽しい。しかし・・24、25日が終わって、散々騒いだ後の出し殻のようになった何日間かで、形だけお正月の準備をするのはいかがなものだろうか?

 それはクリスマスもお正月も、一般に娯楽としか受け止めていないからだ。

しかしお正月は「一年の計は元旦にあり」というように、新しい年の希望と目標を立てるときでもある。

 特に経営者の方にとって、新年の年頭の挨拶は重要な意味を持つ。

 そして計画を立てる前には、身を潔斎してというと大げさに聞こえるが、暮れの大掃除に始まる身の回りの片付け、十二月中に普段は出来ないところの汚れなどを取ることで、知らず知らずにたまった心の垢や汚れも落とすことが出来る。一年の計は、そうしていったん心を白紙にした上で、立てるのがよいのではないだろうか。

 ちょうど呼吸と同じである。吐ききったところには、新鮮な空気が入ってくる。新しいひらめきや目標・指針などが受け取れるのではないだろうか。

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