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2007年2月16日 (金)

「吸うより、吐く」で起死回生

人は生まれてくるときに、「おぎゃあ」という産声を発する。そして「産声を発した子は、大丈夫だ」と言われている。このこと自体が、人生そのものをあらわしているのだ。最後に旅立つときは、「息を引き取る」と言って、『こくっ』と吸って終わるのである。

したがって、呼吸は『吸う』ことよりも、『吐く』ことが大切なのである。だから人生もそれに当てはめて、「まず自分が人のためにしなさい。そうすれば人様からもしてもらえるのだ」。「ギブアンドテイク」であって、決して「テイクアンドギブ」ではないのだ。

実際の呼吸においても、「吐ききったら、自然に新しい空気が入ってくる」と言われている。まさにそのとおりなのだ。

しかし、実際に『吐ききる』ことは、意外に難しいものである。やってみればわかるが、吐いても吐いても、まだどこからか空気が自分の中に入ってきて、身体のどこかに残っている感じがするものだ。

これは緊急に備えるための身体のもつ仕組みらしく、吐ききったと思っても、肺の中にはまだ何割かの空気が残されるように出来ているのだそうだ。

吐いて、吐いて、「もう駄目だ」というところに来ても、まだ吐ける。さらに「もう駄目か」というところに来てもまだ空気が残っている。

 経営で追い詰められてくると、どうしても相手の入金を「まだか、まだか」とせかされる思いになる。もちろん現金化できるのが早いほうがよいが、その前に自分の仕事として、今日を、今週を、そして今月をやりきることである。

つまり吐ききるほどに、仕事の中身として、「出し切る」ことに意を用いてはいかがだろうか。仕事の中身・工夫・そして誠意、時間の使い方等・・・ 

やりきりもしないで、「駄目だ」、「不景気だ」と人のせいにしていても、新しい空気は入ってこない。息を吸うのは、自分自身なのだ。社会のために、国家のために、吐ききってみてはどうだろうか。

仕事として「やりきって」いくとき、新しい空気、新しい力は、必ず入ってくる。

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