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2007年2月20日 (火)

教育改革 その2 人生の役に立たない教育は、時間の無駄 

今のような知識偏重の教育と、それを前提とした「知っているか、知らないか」の試験では、社会に出てからも役立つ人にはなりにくい。

 一つの例を挙げてみよう。わが国は昔から寛容の精神に基づく『和を以て貴し』となす国柄である。聖徳太子が唱えたことでも知られている。この伝統に基づいて、大自然の声、神道を中心としながら、仏教も儒教も受け入れて、日本独自の文化にしながら発展させてきたのである。

 ところが、現在の状況はどうであろうか。経営者と労働者つまり労使の関係は対立関係と捉え、政治においても与党と野党は対立関係と捉えて、互いに足の引っ張り合いをしてはいないだろうか。

 異国のように、相生相克の対立概念や、一神教のように「自分の信じる神を信じている者は味方だが、そうでない神を信じる者は敵だ」とする発想を、そのまま持ち込んではいないだろうか。

 どこに伝統としての寛容の精神と和の心が活かされているというのか。この精神と心によれば、労使共に自社の発展のために力を尽くして発展させ、その結果としての業績によって、給与や賞与も後から満たされるということになるのではないだろうか。会社の内部において、互いに対立し、足の引っ張り合いをしていたのでは、到底発展・繁栄は望み得ない。

 政治においても、与党と野党が共に切磋琢磨して日本の国の発展のために尽くすべきであって、互いに相手の言葉尻や弱点を突きあう現状では、国民の信頼に応えることはもとより、国の将来さえ危ぶまれるのである。まして現状のように大赤字を累積していたのでは、本来なら誰も引き受け手はいないはずだ。会社なら当然破産である。

あれこれと言う前に、「もっと真剣に、真面目に国政に立ち向かえ」と言いたい。一個人が当選しようがしまいが、そんなことはどうでもいいことだ。私心を捨てて、公のために尽くす者こそが、政治家としての資質を持つものと言えよう。

 単なる知識ではなく、日本の伝統と精神に基づいて、その意味している本当の心や魂を受け取り、それに則っての政治や経営をして頂きたいものである。

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