« 基礎が出来てから、鍛える大切さ | トップページ | 公務員の天下り問題について »

2007年3月16日 (金)

「和を以って貴しとなす」の真髄は

易の考えで、『相生相克(そうじょうそうこく)』という言葉がある。木火土金水(もっかどごんすい)と言われ 「相生」として、互いに生かしあう関係と、「相克」として相手に勝とうとして争う関係があるとされている。

たとえば火に水をかければ、火は消えてしまう。木は、土からは栄養をもらうが、火には、燃やされてしまう。

しかし、こうした見方で物事を見ると、すべてが「敵か見方か」ということになり、相手の「火は消してしまえ」、「木は燃やして何一つ残さないようにしろ」、苦手な相手は、自分が戦うのではなく、それを苦手とするものと組み、その人に苦手な相手を倒させよということになる。

火を目の前の燃える火だけと捉えれば、木は燃やされてしまい、近づかない方がいいということになる。火事は、もちろん消さなければならない。だからこうした話をすべて否定するのではないが、日本に昔から言われている「和をもって貴しとなせ」という観点から見たときに、どういう受け取り方になるだろうか。

 火と水の接点は、湯である。その湯にゆったりと浸かって、一日の疲れを癒すことも出来れば、蒸気やエネルギーとして使用することも出来るのである。そこにはなんら争いとか争うという考えはない。

しかもわが国は、単なる和ではなく、大いなる和でなければならないとして、『大和の国』と称されたのである。その精神は、現代の世の中にいかに受け継がれているのであろうか。

経営者と労働者は、あたかも相克のように対立し合い、経営者は搾取するものとして、賃金や労働条件の確保に努めようとする。こういうと、「そのどこが悪いのか」と言われそうだが、もう少し待って欲しい。

また政治においても、与党と野党は相対立するものとして、互いに相手をそしり、足の引っ張り合いをして、ひきずりおろそうとしてはいないだろうか。与党からも野党からも、「それが俺たちの立場だ」と言われそうだ。

しかし、こうした対立概念のところで育った考え方と、上に立つ者は下の者に対して慈愛の心で接し、下の者は上の者に対して敬愛の念を持って接してきた、いわば徳政のもとに育ってきた日本人にとって、こうした対立概念は合わないのである。

 『和を以って貴しとなす』精神は、互いの立場から切磋琢磨して、よりよい国政を敷くことにあるはずで、相手をやっつけるのが本意ではない。経営者も労働者も、はたまた与党も野党も、日本人ならば本来の日本人に立ち返って、いかに日本という国を蘇らすか、また日本国民の健康と幸福を願い、確保するかに専念して欲しいものである。

|

« 基礎が出来てから、鍛える大切さ | トップページ | 公務員の天下り問題について »