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2007年3月12日 (月)

最初が肝心

車の運転は、最初が肝心という。最初にうまく滑り出すことが出来るか、失敗をしてしまうかで、車の運転が好きになるかどうかが分かれる場合すらある。

ある人は、免許を取って最初に乗った時に、車庫から車を出す段階で壁にぶつけてしまい、その上国道に出るまでのわずか五十メートルくらいの間に、五十センチくらい下の溝に車を落としてしまい、あれほど「免許! 免許!」と騒いで取ったはずなのに、二度と乗らなくなってしまったという。

その家は、車庫の位置が道路から見て斜めになっており、慣れればなんということもないものであっても、初心者にとってはハードルが高いところだった。

たとえ細い路地を曲がるときでも、慣れるまではたとえば父親などが同乗して、「ゆっくりともう少し前にでて、ここで大きくハンドルを切る」というようにリードしてあげれば、一見難しそうに見えるところでも難なく回ることが出来れば、本人も「こんな細いところを曲がることが出来た」という自信と喜びに繋がるものだ。

車の運転は、自分の意志でなくても、ヒヤッとすることはたびたびある。しかし、あの細い路地でも曲がることが出来たという自信を最初に植え付けてあげることが、大事ではないだろうか。初心者は、得てして角を早めに曲がろうとしがちである。

すると、車が斜めになるから、道幅を車の長さでふさぐ形になり、とても曲がりきれないと思うのである。大きく曲がれば、車幅の分だけで通れるから、狭いと思われた道幅でも通れるのである。

こうしたことは、何も車に限ったことではなく、新入社員にも当てはまることである。入社時に自信と喜びを与えるか、不安と失望を与えるかの大きな差になることを、よくよく配慮すべきである。

まして、してもらうことに馴れ、甘やかせて育てられている若者には、懇切丁寧に教えなければならないという時代の流れなのかもしれない。昔のように、鍛えを前提とする時代とは大きく異なるのかも知れない。

その他の部分も、わかっていそうで案外わからぬままに過していることが多いので、先輩や上司はそうした点にも考慮して、効率のよいそして暖かい職場に留意すべきではないだろうか。

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