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2009年6月30日 (火)

藤原大士の一日一言 
146話 お釈迦様と悟り

かつてお釈迦様も悟りの境地を求めて、「何年も、難行苦行をされた」と言われている。

しかし・・難行苦行では、悟りは開かれなかったのだ。

自分をいじめて、極限まで耐えたとしても、神経が過敏になることはあっても、それで悟りの境地に達することはできない。

己の自我という殻を破り、大自然と一体になり、大自然との差を取ることこそ、

「差取り=悟り」なのである。

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2009年6月29日 (月)

藤原大士の一日一言 
145話 自らの殻を破る 

人は誰でも、「現在の自分の殻を破って、より大きな自分に生まれ変わりたい」と願望する。

しかし気がつくと、何年、何十年も前の自分から、少しも抜け出ていないことが多い。

そして殻の中には、本人すら気づかないほどの 素晴らしい素質が眠ったままになっているのだ。

それが破られるのは、目先の自分のことから脱し、自分以外に、目と心を本気で向けた時ではなかろうか。

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2009年6月28日 (日)

藤原大士の一日一言 
144話 医者は、偉者か? 異者か?

医者は、本来は人の生命・身体を司るので、『偉者』と言った。

やがて、人の病を治す『(一)医者』となり、

それも人のためにする医は「(二)仁術」から、

金儲けのための「(三)算術」になり、

次には人をモルモット代わりに使う「(四)手術」中心になり、

さらに腹の中にハサミやピンセットを残したり、誤った箇所を取り除く「(五)誤術」となって、

本来の『偉者』や『医者』とは異なった

『異者』になりさがってはいないだろうか。

心すべき世の中である。

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2009年6月27日 (土)

藤原大士の一日一言 
143話  病気を治すものは 

病気は、医者が直してくれるものと思っている人が多い。

しかし病を治すのは、その人自身であり、その人の生きる力である。

人は誰でも、その中に『自然治癒力』を持っており、その力が働いて、本当に治るのだ。

それを引き出してくれる人が、本当の名医なのだ。

**悪いところをバサバサと切って、本当に自然治癒力が働くのだろうか・・

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2009年6月26日 (金)

藤原大士の一日一言 
142話  岡目八目(おかめはちもく) 

囲碁などで、実際に対局している本人には見えなくても、それを周囲で見ている人には、八目先まで読むことが出来るという。

これを「岡目八目」といい、恩師や信頼の置ける知人から、「客観的な意見」を聞きたいときに使うとよい。

しかし、経営者は社内に、この「岡目」の相手を、求めてはならない。

あくまで、社長は社内にあっては、孤高の存在である。

**大志塾の分科会で、二ヶ月かけて各人各社の五カ年計画を作成した。

そしてその間に、互いに「岡目八目」としての意見を述べ合い、完成したものを過日発表をした。

互いに胸襟を開き、切磋琢磨して、成長して欲しいと思っている。

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2009年6月25日 (木)

藤原大士の一日一言 
141話  心の大掃除

毎日の暮らしの中には、掃除をしても掃除をしても、知らず知らずに溜まってしまう汚れがある。

大掃除は、一年に一度ではなく、一年の半分が過ぎた六月に一度しておくと、効果は大である。

ちなみに神道では、「水無月の大祓」と言い、一年で一番大きな『身・心・霊』の祓いがある。

    *神社によっては、茅の輪(ちのわ)と言って 丸い茅(かや)で作った輪っかがあります。

 そこを右回り左回りにくぐると、厄を祓えると言われています。

 しかし、自分でまず心の掃除をすることが先ですね。

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2009年6月24日 (水)

藤原大士の一日一言 
140話  企業は、生命体 

人の身体には、重要な臓器がたくさんある。

脳、心臓、胃、肝臓・・

そして目、耳、口、鼻・・

しかしそれぞれの重要な働きは、互いに神経や血管を通じて繋がり、初めてその真価を発揮する。

それぞれの臓器をばらばらに見、互いに主張し合うのではなく、一人の人の身体と見ることが重要である。

企業の組織が、力を発揮するためにも、この原理は、そのまま活かせるのではなかろうか。

企業も、生命体なのである。

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2009年6月23日 (火)

藤原大士の一日一言 
139話 末端まで血液を

人の血管の90%以上は、毛細血管だとか。

人は、血液の流れに目を向けるときに、大動脈、大静脈といった大きな流ればかりに目がいく。

もちろんそこが滞っては、大問題だが 毛細血管の先が次々と詰まってしまうことのないように 心しなければならない。

組織も同じ事ではなかろうか。

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2009年6月22日 (月)

藤原大士の一日一言 
138話 平凡の中の非凡

平凡であることを嫌う人がいる。

しかし、人の土台、物事の土台は、一見平凡に見える中にこそある。

それを昨日より今日、今日より明日と、創意工夫をもって続けていく間に、盤石の基盤となり、時には、最も平凡に見えるものの中に、非凡の極みが存在することになる。

非凡という奇をてらうことなど、さらさらない。

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2009年6月21日 (日)

藤原大士の一日一言 
137話  ありがたさの真髄

人から何かをしてもらった時には、「ありがたい」と感ずる。

人であれば当たり前のことではないだろうか。

しかし、今はそのありがたささえ感じぬ者が増えている。

人がしてくれるのが、当たり前になり過ぎているからだ。

従って、本来のありがたさの意味がわかっていない。

太陽があり、空気があり、水があることだ。

こうした大自然のありがたさに気がつくことが、ありがたさの極みであろう。

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2009年6月20日 (土)

藤原大士の一日一言 
136話 奥さんにいたわりの一言を

食事も、ごちそうや珍味は、人生のスパイスだが、ご飯、味噌汁、漬け物などが、日本人の食卓の土台であり、この平凡なものを、どれだけおいしく作れるかが、家庭の主婦の腕と心の込めどころではなかろうか。

愛情に勝る調味料はなく、お袋の味に勝る食べ物はない。

家族を思う真心に勝る調味料は、この世には存在しない。

「おかーさーん」という味噌汁の宣伝があったが、誰でも魂に残るその大事さに、時には心を向け、奥さんにもいたわりの一言を・・

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2009年6月19日 (金)

藤原大士の一日一言 
135話 「もうダメだ!」で、投げるな

人生には何度も「もうダメだ!」とあきらめ、投げ出したくなることがある。

しかし言葉に出して「ダメだ!」と言ったら、本当にダメになる。

ダメだと思った時からが、本当の勝負だ。

まず言葉で「ダメ・・」と出かかっても、「ダメじゃない!」と打ち消してから、踏ん張って欲しい。

言葉には、霊魂が宿っている。

この言霊の力によって、頑張れるのだ。

頑張ろう、たった一度の人生じゃないか。

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2009年6月18日 (木)

藤原大士の一日一言 
134話  健康管理も仕事のうち

仕事に熱中したり、夜遅くまでのおつきあいの時には、自分の身体のことを忘れがちになる。

または気づいていても、身体の悲鳴を放置する。

しかし健康管理も仕事のうちだ。

優秀な経営者の、心がけるべきことではなかろうか。

    **人間ドックも大切ですが、毎日の顔色チェックも大事です。

    よく鏡を見て下さい。疲れた顔はしていませんか?

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2009年6月17日 (水)

藤原大士の一日一言 
133話 成否を分ける、最初の一言

物事を頼んだ時、または検討依頼をした時、相手の第一声と目の輝き具合で、七割方その仕事の成否が決まる、と言っても過言ではない。

言葉と言うよりも、思いと言うべきだが、

「喜んでそれに応えようとしているのか」、

「そんなことは出来ません」と思ったのか、

「またか、いやだな」と思ったのか。

後者であれば、発展的なものは出来にくい。

担当を変えるか、常に相手がそうした反応ならば、人員整理の対象とすべきである。

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2009年6月16日 (火)

藤原大士の一日一言 
132話 上り坂の人生を歩こう

平地を歩くのに比べて、山道や坂道を登るのは、何倍も疲れる。

しかし、一歩一歩歩んで、ふと後ろを振り返ったとき、驚くほど高いところまで登っていることに気がつく。

楽な道、安易な道は、「気楽」だが、いつの間にか下り坂の人生になっている怖さと隣り合わせだ。

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2009年6月15日 (月)

藤原大士の一日一言 
131話 空気を一新する  

朝起きたら、窓を開けて、空気の入れ換えと深呼吸をしよう。

部屋中に、そして体中に朝の空気が充満した時、一新した、力強く、新たな一日が始まる。

★出来れば毎朝十分でも家中の窓を開けて 空気の入れ換えを。

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2009年6月14日 (日)

藤原大士の一日一言 
130話 開かずの間を作るな

寝たきりの人や原因不明の病気の方の家などには、必ずと言っていいほど、開かずの間がある。

そして一年中締め切って、空気が澱むだけ澱んでいる。

それは押し入れ一つでもそうだ。

空気の流れの悪い家には、病人が出やすい。

空気の流れを妨げる家具の配置や物の置き方には、くれぐれもご用心。

** 何年も使わない物は、思い切って処分してみては・・

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2009年6月13日 (土)

藤原大士の一日一言 
129話 自分の足で人生を

山登りの時は、どんなに相手のことを思っても、身体一つ、人を背負って登ることは出来ない。

だから苦しくても、自分の足で登るしかない。

ゆっくりでも、一歩ずつ。

疲れた時には、一時休憩してもまた前に進もう。

本当は、倦まず弛まず登るのが、山登りのコツだとか。

今年は、近くの山などに挑戦してみては?

日頃の運動不足を後悔しつつ、しかし都会では得られない爽快感

ストレス解消です。

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2009年6月12日 (金)

藤原大士の一日一言 
128話 人生沸騰点に達する喜びを

水に熱を加えると、徐々に温度が上がっていく。

しかし、六十度七十度まで上がっていても、「しゅーん」というお湯が沸く温度に達するまでは、そばにいても、その変化に気がつかないものだ。

人が壁に突き当たるのはこんな時だ。

「やってもやっても、何も変わらない・・」と。

しかしそこを乗り越え、沸騰点に達すれば、ヤカンの蓋を押し上げたり、蒸気機関車を動かすほどの力を持つ。

全力を出し切って、沸騰点に達する喜びを味わおう。

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2009年6月11日 (木)

藤原大士の一日一言 
127話 心の師を求めよ

昔の有名な大将や一流の経営者は、その時代の超一流の禅師や大師と呼ばれる方に

私淑したものである。

今の経営者は、そういう心の磨きを 忘れてはいないだろうか。

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2009年6月10日 (水)

藤原大士の一日一言 
126話 四方拝  

早朝に神社に行くと、神主さんがお社とは別に,東西南北のすべての方位に頭を下げ柏手を打っている姿に出会うことがある。

これを四方拝(しほうはい)という。

朝日の昇る方向、沈みゆく方向、暖かい南、寒い北 自分からみて四方すべてに感謝の心の表れだ。それをもって一日が始まる。

この心が日本人の根底にあって然るべきである。

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2009年6月 9日 (火)

藤原大士の一日一言 
125話 計画を実現させるために

大きいことを成し遂げるときほど、慎重な計画が必要だ。

しかしそれと同じくらい、その計画に見合う胆力と継続性も必要である。

「腹は据わったか?」自分の覚悟を見直してみるのも大事なことである。

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2009年6月 8日 (月)

藤原大士の一日一言 
124話 仕事に頭を下げる 

不祥事を起こして、記者会見などでわびている姿を見ると、その心のこもらなさに、かえって不快になることが多い。

わびる時は、目の前の記者たちにではなく、自分の仕事とその責任に対して、頭を下げるのだ。

日常業務においても、時には相手方から、罵詈雑言を浴びせられることがある。

その時も、目の前のその人に対してではなく、自分の仕事に対して、徹底して頭を下げる心で判断すると、わびるにせよ、開き直るにせよ、正しい行動が出来る。

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2009年6月 7日 (日)

藤原大士の一日一言 
123話 窮屈な人生は、ほどほどに

日本人は、かつては着物と下駄の生活だった。

胸元をくつろがせること、また足の指の股を広げると、全身の巡りにも、解毒にも、また心のくつろぎにも驚くほど効果がある。

ネクタイで首を絞め、靴で足元を「窮屈(キュー靴)にしている。

五本指靴下のように足の指を広げ、休暇のときなどは胸元をくつろがせてみると

今までどんなに締め付けられていたかがよくわかる。

ちなみに私は、日々の生活の半分以上が作務衣だ。心おおらかに、気分もゆったりとくつろげる。

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2009年6月 6日 (土)

藤原大士の一日一言 
122話 盗人の風上にも置けない?

時代劇に出てくる泥棒には、

「殺さず、犯さず、貧しきからは奪わず」という盗人の掟があったとか・・

それから見るとお年寄りの老後の蓄えを 根こそぎ奪うような振り込め詐欺は、盗人の風上にも置けないということか。

「人をだましてなぜ悪い。騙される方が悪いのだ」とうそぶく犯罪者たちは、もはや人の心や魂を失っているのだろう。

キャッシュコーナーで「ストップ」と止める水際作戦も大切だが 幼い頃から、人として行ってはならないこと、行うべきことをはっきりと身につけさせていくことが、根本的な解決として、忘れてはならない。

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2009年6月 5日 (金)

藤原大士の一日一言 
121話 風当たりを恐れるな 

高い山ほど風当たりは強い。

美しい富士山も、麓では花が一面に咲いていても、頂上は雪嵐が舞っている事もある。麓から眺めているのでは、想像も出来ないほど厳しいものだ。

しかし、それが経営者であり、人の上に立つ人の覚悟ではなかろうか。

風当たりを恐れるな。

そしてより高い所からの視野で、物事の判断と行動をしていくべきだ。  

昔から、『大所高所から物事を見よ』と言われている。まさに至言だ。

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2009年6月 4日 (木)

藤原大士の一日一言 
120話 首を絞めてはいませんか

「自分で自分の首を絞める」「首が回らない」「クビになる」、どれも行き詰って身動きのつかない状態ばかりをさす。

「首」は、そのくらい大事な生命線だ。しかし首筋が柔らかい人はほとんどいない。みな針金のようにこわばっている。

もっと首筋をゆるめて、血液を始め、もろもろの流れを良くすれば、ぐっすりと眠れるはずだ。

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2009年6月 3日 (水)

藤原大士の一日一言 
119話 責任の取り方を誤るな

経営者が責任を取るというと、「辞めるか」「死ぬか」「居座るか」と誤解をしている人が多い。

定款の目的に向かってまい進することこそが、責任の取り方である。

何を持って世の中に貢献しようとしているのか、今一度、見直してみてほしい。

責任のとり方も知らぬ者は、経営者などにならぬ方がよい。

自殺などもってのほかである。苦しくても頑張って欲しい。

    **歴代総理の中にも、「辞めること」「居座る」ことが、責任のとり方と誤解している人が、多いですね。その器にもあらず、国を誤らせるとも知らずに・・

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2009年6月 2日 (火)

藤原大士の一日一言 
118話 経営者の責任とは

経営者の責任とは何か。

それは企業の維持発展の責任、傾きかけたときにも何とか持ちこたえる間は、再生の責任  社員と社員の家族に対する責任。

そのために正当な利益を上げる責任である。

そのために全力を尽くすことである。

 ** 明日は「責任の取り方を誤るな」です。

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2009年6月 1日 (月)

藤原大士の一日一言 
117話 経営者の資格 

経営者に必要な要素はたくさんあるが 何がもっとも大切なものであろうか。

それは「責任を取る」ということだ。

責任を人に擦り付ける人、責任逃れをする人は、経営者の資格はないといっても過言ではない。

今は無責任時代とも言われ 経営者としての資格のない人が横行しすぎてはいないだろうか。

**明日は「経営者の責任とは」です。

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