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2009年7月31日 (金)

藤原大士の一日一言 
177話 社長と鏡  

社長のやり方が、全て正しいとは限らない。

だが自らの姿は、自らでは見ることが出来ない。

だから、たまには自らの姿を、鏡に映し出してみる必要がある。

笑顔だけでなく、その時の自分の健康状態まで写してくれる。

それだけではない、よーく見つめれば、おのが心の奥底まで写し出してくれるのだ。そこで全社を見つめ、新しい企画に取り組むとよい。

*** 経営とは、直接関係ないようですが、
  これも大事なことなので、お知らせを・・

あす8月1日の蘇れ日本人の会 藤原の講演です。
  
テーマは、「家族の絆を取り戻す」

 ・結婚と同時に、子供は他人?
 ・人生の晩年の孤独 そして寝たきり 痴呆
 ・子育て放棄は、なぜ起きる?

何が原因なのか?
私は、意外なところに原因があると思う。

日本は元々「縦社会」が、伝統。
親から子、子から孫へ、引き継がれるのは当然のことなのに「親子は、他人の始まり」のような現状

経営の土台も、ある面では家庭にある。
関心のある方は、どなたでもどうぞ。

定例講演会 毎月開催(小田原)。眼前に相模湾が広がります。
  次回は、81()です。
    http://www.soseinippon.jp/teireikouen/


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2009年7月30日 (木)

藤原大士の一日一言 
176話 不平分子は、がん細胞

気がつかないうちに、社内に不平分子がはびこり、広がる可能性がある。

それも本人一人の不平の間はまだしも、周囲の者を同じ不平の仲間に引き込もうとすると問題だ。

それでは、絶え間なく増殖するがん細胞に侵されて、体内から命を奪われかねないのと同じように、企業は発展するどころか、社内から食いつぶされてしまう。

企業の敵は、外部だけにいるとは限らない。

内部から食い破られることの方が、よほど恐ろしいことなのである。

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2009年7月29日 (水)

藤原大士の一日一言 
175話 反省はしても、後悔はするな

人生にはいろいろなことがある。だからこそ人生なのだ。

その一つ一つにこだわっていると、前に進むことは出来ない。

どうせ考えるのなら、どこがどうしてどうなったのかを 大いに反省すべきである。

そして二度と同じ過ちを繰り返さないようにしよう。

決して「俺はもう駄目だ」とか、「駄目人間だ」などと、悲観的な後悔はしないことだ。

反省には未来があるが、後悔には過去しかないからだ。

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2009年7月28日 (火)

藤原大士の一日一言 
174話 人生を開く人と閉じる人

人生を開いていく人は、過去のどんなことをも、糧として前に進む。

しかし人生を閉じる人は、過去の悪いところ、いやなことばかりを取り立てて、少しも前に進もうとしない。

もしも過去の愚痴ばかりが出るようならば、ひょっとして自分は、人生を閉じようとしてはいないかと疑ってみよう

人生は開くためにある。

そして気づいた時からでもいいのではないか。

最悪なのは、気づいても、切り替えも行動もしない人である。

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2009年7月27日 (月)

藤原大士の一日一言 
173話 健康の足がかり 

日常生活でも、歩けるところを車に乗り、駅の階段はエスカレータでと、足腰を使うことが少なくなっている。使わない筋肉は衰えていく。

週末のゴルフで歩く事もよいが、目の前の階段を登り、あるいはバス停の一つでも歩く事の方が、日常的である分、健康にとっては大事かもしれない。

普段から歩きやすい靴、足にあった靴に投資する方が、健康への足がかりになるのではなかろうか。

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2009年7月26日 (日)

藤原大士の一日一言 
172話 腹が硬いと、命が縮まる

長命な方のお腹を触ると、驚くほど柔らかい。

反対に病気がちな人は、コチコチに固いお腹をしている。

病院に行くと、いろいろな病名をつけられるが、その元はめぐりの善し悪しにあるのではないだろうか。

血液の巡り、気の巡り、神経の巡り、それらが澱むことなく、全身を巡っていれば、病とは縁のない身体になれるのではないだろうか。

それを妨げる一つが、お腹の硬さだ。

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2009年7月25日 (土)

藤原大士の一日一言 
171話 命の危険は、何にも勝る

仕事に熱中していると、そして儲けに目がいきすぎると 人の健康を度外視することがある。

しかし誰にとっても、「命の危険は何にも勝る」

命あっての物種ということは、自分だけでなく 社員にも、顧客にも言えることなのだ。

「すべての原点は、命」忘れてはならない。

***「自分の家族には、絶対に食べさせない」と言う食品会社の重役や、拠出用の作物と自家用の作物に 農薬・無農薬の区別をする農家の人は、大事な原点を忘れているのでは・・

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2009年7月24日 (金)

藤原大士の一日一言 
170話 中心から対極から 

物事を見るときには、中心から見る場合と、まったく正反対、あるいはもっとも離れた対極から見る場合とがある。

大本は何か?を見るときには、中心から。

大きな影響、波及効果を知りたいとき、大きな時代の流れを知りたいときには、対極から見つめてみるとよい。

***ちなみに国際問題というと、隣国の北朝鮮のことを、常に報道で取り上げているが、そこばかりに目を向けていると、大本も大きな時代の変化も見誤ることになる。

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2009年7月23日 (木)

藤原大士の一日一言 
169話 複雑な世の中をシンプルに見る秘訣

世の中が複雑になり、思いもかけない影響が出てしまう事がある。

しかし複雑に見えるものを、複雑に見てはかえって混乱するだけだ。

なるべく単純に、シンプルに考える習慣を付けると良い。

どんなに複雑に見えるものでも、単純なものの組み合わせにすぎないからだ。

しかしその決め手は、原点から見つめると言うこと。

シンプルに見るときほど、物事をありのままに、自分の主観や、欲得は外して、大本から見なければならない。

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2009年7月22日 (水)

藤原大士の一日一言 
168話 対極からの影響

世界の向こう側にある問題が、自分たちの土台を揺るがす大事になることもある。

北極の氷が溶けていることで、赤道近くの島が海中に沈んでしまう。

地球が一つのものである以上、いかに国境がどうと各国が主張しようと、その関わりから逃れることは出来ない。

影響は、隣の国、近くからの影響は、ストレートに現れるから、目に付きやすいが、対極からの影響が、表面に現れるときには、予想も付かない大きな被害となる。

津波も、かつて遠いチリ地震の時の津波で、日本が大きな被害を受けたではないか。

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2009年7月21日 (火)

藤原大士の一日一言 
167話 他人事として流さない習慣を

昔のことわざで、「風が吹くと桶屋が儲かる」という言葉があった。

全く関係のない事のように見えるが、回り回って仕事に繋がるという話だ。

反対に、思いもかけないところで、仕事の足をすくわれることもある。

サブプライムローン問題など、アメリカに端を発した問題が 世界的な金融市場の混乱に発展した。

また新型インフルエンザがはやると、観光会社が閑古鳥・・

どんなに他人事に見えているような問題でも、対岸の火事と捉えてはならない。

常に自分、自社、自国の問題として、考える習慣をつけてみてはいかがか。

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2009年7月20日 (月)

藤原大士の一日一言 
166話 臍下丹田に気を入れよう

大事な交渉の前や、大事な行事を行う時には、臍下丹田に気を入れる。

すると、肝っ玉も据われば、驚くほど落ち着いて 物事を処理出来るようになる。

しかし何もしないで、臍下丹田に気を入れることは難しい。

ほとんどの人は、胸までしか「気が」入らないか、へその上までしか、入らないからだ。

しかし、訓練しても身につける価値は、十二分にある。

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2009年7月19日 (日)

藤原大士の一日一言 
165話 気持ちのコントロール

人は、追い詰められたり、苦しくなると、呼吸が早く、浅くなる。

気持ちの落ち着かない時、びくびくする時、それを鎮められるコントロールができたら、どんなにいいだろうとは思わないだろうか。

自分は気が弱い、気が小さい、上がり性だ。

そうした時には、ゆったりと深い呼吸をするのがよい。

気を落ち着かせたいと思うときには 「吸う」のに比べて、2倍以上長く「吐く」。びくびくも、ドキドキも一緒に吐き出されていく。

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2009年7月18日 (土)

藤原大士の一日一言 
164話  呼吸の大事さ

自分の知らないところで、命を支える様々な働きがある。

心臓の働き、血液の働き、もろもろの内臓の働き・・それらは自律神経と言われ、

自分の意志では動かすことが出来ない。

その中で、唯一自分の意志でも動かせるもの、それが呼吸だ。

大事なことを行う時ほど、深呼吸をしよう。

命を支える働きに通じるものさえある・・

もっと言えば、吐き切って吐き切って、呼吸が困難になったと感じた時に、背筋にピリッと走る神の道がある。

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2009年7月17日 (金)

藤原大士の一日一言 
163話 かまどの灰に至るまでの権限と責任 

昔は、「お前は、長男だ。お前がやらなくて、誰がやる。竈の灰に至るまで、お前のものだ。」と親から言われたものだ。

一家の全ての責任を持たされると共に、全ての権限も与えられた。それが人を大きくする。

人は与えられた責任に見合う強さと器をもって、成長していくのではなかろうか。

*** 現在の均等相続は、いいようで責任不明確 長男としての自覚を育てにくい。

それは経営者としての器を育てにくい 土壌にも通ずるのではなかろうか。

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2009年7月16日 (木)

藤原大士の一日一言 
162話 国家の経営はこれでいいのか

国の借金は雪だるまと言うが、このままでは、国の財政は、崩壊への砂時計だ。

下記は、日本の借金時計だ。

http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm

現在の借金の数字だけでも驚きだが、その数字は止まることなく、見ている間にも、三億円位あっという間に借金が増えている。

これを解消する力量が、現在のどの政党に、あるだろうか・・

政治家の怖い一言「国民の貯蓄の範囲内ですから・・」

最後の切り札は、国民の財産を食いつぶすことなのだ。

これでも経営者は、政治に無関心でいいのだろうか。

国家を運営出来る政治家・経営者が望まれる。

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2009年7月15日 (水)

藤原大士の一日一言 
161話 経営者の覚悟と視野

経営者は、政治と宗教には関わらないのが、賢明な姿だと思う人が多い。

本当だろうか。

政治が健全であり、人としての基盤が安定している時には、政治は、政治家に、教育は教育者に、宗教は、宗教家に任せておけば良かった。

しかし今、健全な経営を営もうと思えば、この全てから目を背けることは出来ない。

国という基盤があって、人としての当然の基盤があって、初めて経営が成り立つのだ。

その全てが崩壊している今、場合によってはその全てを、経営者が担う位の、覚悟が必要な時代になっているのだ。

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2009年7月14日 (火)

藤原大士の一日一言 
160話 長期的に繁栄する企業を目指して

新たな事業は、次々に世の中に出てきている。

そのどれが長期的に繁栄する会社として 生き残れるのだろうか。

まずは、世の中に現れてきた芽(事業、人物など)を見つめるところから始めるとよい。

しかし、はじめは長期的に繁栄する企業を見分けるよりも 一年草のような事業の方が目を引くはずだ。

今までにも世間から注目されて、時代の花形のように話題になりながら ぱーっと咲いてあっという間になくなるものがあった。

なぜそれが一年草のように、「あっ」という間に消え去ったのか、経営者、事業のあり方、時代との関わりなどで 見つめてみてはいかがだろう。

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2009年7月13日 (月)

藤原大士の一日一言 
159話 次世代を読むヒント 

大地からは、いろいろな種類の植物が芽を出している。

芽が出たばかりの時には、それが草の芽なのか、樹木の芽なのか、ほとんど判別がつかない。

しかし時を経るに従い、大木になるものは 次第に頭角を現していく。

もしも・・芽吹きの時に、あるいは出来るだけ早い時期に、それが草の芽か樹木の芽か、見分けが付いていれば、次の時代、次の景色を予想することはたやすいことになる。

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2009年7月12日 (日)

藤原大士の一日一言 
158話 心洗われるひと時 

神社は、四季折々に様々な姿を見せてくれるが、どの季節でも、早朝参拝が最も心洗われる。

朝靄の静寂の中、心静かに参拝すると、悩みや苦しみがあるときも、自分を取り戻し、ふと解決策に出会えるかもしれない。

本当は、魂が洗われると言うべきだが・・

    *ちなみにお賽銭は、神様の前に立つために、心の迷いを断ち切るためのものだ。

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2009年7月11日 (土)

藤原大士の一日一言 
157話 微妙な限界 

人はどこまで頑張ればいいのだろうか?

その答えは、「無理はするな、しかし最大の努力をせよ。」ということだ。

どこまでが最大の努力で、どこからが無理なのか。微妙な限界である。

しかしその最大の努力が出来た人が、殻を破り、次の段階に進んで行かれるのだ。

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2009年7月10日 (金)

藤原大士の一日一言 
156話 ひのき舞台に登る前に

人は誰もが、ひのき舞台に登りたがる。

しかし大事なのは、ひのき舞台に登るまでの準備、そしてそれまでに、いかほど自分を作るか、にかかっている。

役職が上がることも、代表者になることも、その規模の大小はあっても、同じ事だ。

地位に就いてから考えるではなく、地位に就く前に、覚悟と準備を整えるべきだ。

もし準備なく、ひのき舞台に登ってしまったときには、舞台裏、人目に立たないところで、人一倍の努力が必要だ。

地位を誇るゆとりなどはない。

    ** 総裁選などに、立つ方も、政権交代を望んでいる方も、本当にこの準備と覚悟が出来て言っているのだろうか・・

ひのき舞台での言動は、国全体に影響する。

しかし人の振り見て、わが振り直せ・・だ。

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2009年7月 9日 (木)

藤原大士の一日一言 
155話 聞く 聴く 聴く

摂政関白という役職があったが、摂政の、「攝」は手偏に耳を三つ書いていた。 

天の声、民の声、側近の声を良く聞いて 政(まつりごと)をするという意味だ。

人は往々にして自分の主張ばかりを押しつけ、相手の話を聞かない事が多い。

耳を塞いで、自分の言いたいことをいう前に、良く聞いてから、決断する。

それもただ耳で「聞く」から、心を傾けて「聴く」事が、大事ではなかろうか。

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2009年7月 8日 (水)

藤原大士の一日一言 
154話 いい汗を流そう

汗をかくことを惜しんではいないだろうか。

自ら額に汗して身につけたものは、その人の土台を固める力となる。

安易に楽に手抜きにと、流される今だからこそ、社員のために、家族のために、そして世の中のために、いい汗を流そう。

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2009年7月 7日 (火)

藤原大士の一日一言 
153話 心ここにあらざれば・・

人の目や耳は、大変便利に出来ている。

関心のあるものを、より鮮明に見たり 聞いたり出来る機能があるようだ。

反面関心のない時には、目の前にあっても 目にも耳にも入らない。

だから「心ここにあらざれば、見るもの見えず、聞くもの聞こえず」ともいう。

人生や経営の重大なヒント、現状を切り抜ける知恵は、必ず目の前にあるはずだ。

それを捉える感性こそが、大事なのだ。


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2009年7月 6日 (月)

藤原大士の一日一言 
152話 仕事に惚れる

仕事に惚れて邁進している男には、何ものにも勝る魅力がある。

地位や財産を求める前に 惚れ込める仕事をこそ求めるべきである。

惚れるのは、自発的な心と行為だ。

男の本分は、仕事にある。

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2009年7月 5日 (日)

藤原大士の一日一言 
151話 神道の奥義

神道の奥義に『魂振り、魂鎮め』というものがある。

息を吐き切って、人の世界では、「もう息が絶える」という極限になって、頭の先から足の先まで、背筋を通るものがある。

それがまさに閃きであり、無限の力である。

人は往々にして、その極限を乗り越えることが出来ていない。

その手前でやめているのだ。

これを乗り越えることが、本当の辛抱かもしれない。

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2009年7月 4日 (土)

藤原大士の一日一言 
150話 身体の声に耳を傾けよう

人の身体は、本来絶妙に出来ていて、少々の事ではへこたれないものだ。

しかし・・今は、それを上回るほどの 自然環境、仕事環境、食生活の不健康さに

囲まれている・・かもしれない。

何となくだるい、疲れが取れない、朝の目覚めがすっきりしない、眠いと言ったことは、全て予兆だ。無視せずに身体の声に耳を傾けよう。

**週末には、意識して身体の声を聞いてみては。

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2009年7月 3日 (金)

藤原大士の一日一言 
149話 利益と略奪の違い

企業とは、利をもって運営する。  

利益を上げることは、絶対要件だ。

しかし・・それは利益であって、略奪ではない。

利益とは、何らかの形で貢献した対価として受け取るものであり、略奪とは、相手をだまし、あるいは強引に奪い取るものである。

過大広告や添加物だらけのまがい物食品などは 長い目で、人の健康をも略奪する。手抜き工事や建築偽装は、人の人生を根底から略奪するものである。

企業は、利益の積み上げで発展していくのだ。

この大原則を忘れてはならない。

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2009年7月 2日 (木)

藤原大士の一日一言 
148話 今日あることに感謝

日本人は、自然の火にも、水にも、樹木にも そこに神が宿るとしたものだ。

そして今日あること自体に、生かされていると感謝したものだ。

神を現世利益の対象として、取引をするが如くの接し方をするようになったのは、

日本人の心の根底を無くしてしまったからではなかろうか。

その心で利益を求めるほどに、神からも、仏からも遠ざかり、正しい利益と略奪の違いもわからなくなるのだ。

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2009年7月 1日 (水)

藤原大士の一日一言 
147話 同じで同じでなくて、同じ

禅問答のような言葉である。

しかし、「子供の頃の自分も自分、学生の頃の自分も自分、そして社会人、経営者としての自分も自分に変わりはない。同じだ」

しかし、子供の頃の自分と、今の自分は、同じではない。

同じではなくての中身が、どれほど磨かれただろうか。

各人各様の異なりとなろう。

いかように立場が変わり、加齢しようとも、あなたはあなたである。

この「同じでなくて」の部分に、どれだけの成長があるかが問題なのだ。

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