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2009年9月30日 (水)

藤原大士の一日一言 
238話 天下りの是非

民主党の政権になって、国家公務員の天下りを認めず、全面禁止を決定。

天下りの弊害は、決して小さくはない。しかし今後、公務員に有能な人が来るのだろうか。

反対の立場で考えれば、60歳で定年になったとして、一切の天下り、再就職が出来ないとなったところに、自分の人生を託したいと思うだろうか。

むしろ弊害を是正し、有能な人材の適材適所は残し、今後の日本の将来のためにも、優秀な人材は確保すべきではなかろうか。

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2009年9月29日 (火)

藤原大士の一日一言 
237話 一日一日の積み重ね

一日一日の仕事を常に完璧に、今日やることは、今日のうちに終えてしまおう。

「ちりも積もれば山となる」は、物だけではない。一日一日の積み重ねこそが大切なのだ。

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2009年9月28日 (月)

藤原大士の一日一言 
236話 最善を尽くせる人 

「今日の自分は、何点か?」こう自分に問いかけると、色々な答えが自分の中から返ってくる。

「全力投球。やったぁ!」という日もあれば、「何か、噛み合わない一日だった」「空回りだった」という日もある。

どんな人でも、最善を尽くせる日々を積み重ねていけば、物事が推進できないはずがない。

人には、波があり、常に全力投球とはなりにくい。しかし同じ人でも、最善を尽くす日と、適当に過ごす日では、その結果において大変な差になるものなのだ。

優秀な人が、成功するのではなく、最善を尽くせる人が、成功するのだ。

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2009年9月27日 (日)

藤原大士の一日一言 
235話 土俵を割るな

「土俵を割る」という言葉がある。

押し込まれて力負けしてしまうこともあるが、もうダメだと自ら勝負をあきらめて、自ら土俵を割ってしまうこともある。

しかし相撲の醍醐味は、土俵際ぎりぎりまで追い詰められても、足の指一本で土俵に残り、見事な逆転勝ちを納める時だ。

最後まであきらめない。

今は外人力士の方が、花形の時代になっているが、「国技」と言われる中には、身体が小さくても、決して土俵を割らない粘りと気迫が、日本人の「国技」だからではなかろうか。

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藤原大士の一日一言 
234話 必要は、発明の母 

能力は、何もしないで表には出てこない。

人は、意外なときに自分の能力を発見し、その後の人生ががらりと変わることがある。

ただ日常のままに過ごしていたのでは、なかなか人の眠っている能力は表に出てこない。

必要は発明の母と言うが、それを表に出すためには、まずその必要に迫られること、そして前向きに向かっていくことが求められる。

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2009年9月25日 (金)

藤原大士の一日一言 
233話 不景気でも、成長する

どんなに世の中が不景気でも、成長していく企業はある。反対にどんなに好景気の時でも、倒産するところもある。世の中の大きな流れの影響は、もちろん多大なものがあるが、それだけですべてが決まるのではない。

もし、今「不景気だから・・」「どこもみんな悪いんだから仕方ない」と弱気な言葉が出そうになったら、「どんなに不景気な時でも、成長するところはある」と打ち消し、「うちもその一つになるんだ」と、言葉に出して言ってみよう。

そして「その一つになる為には、何が必要だろうか」と探し、切り替えをしてほしい。

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2009年9月24日 (木)

藤原大士の一日一言 
232話 自分で自分を乗せる

人には、だれでも好調、不調の波がある。出来る限り好調の波を持続できるよう、

自分自身を乗せてしまうことだ。

一日の好調の波を作り出すのは、朝の過ごし方にある。朝日を拝み、深呼吸をし、家族の者に挨拶を。清々しい空気の中で、爽快な気分で、一日の出発をしよう。

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2009年9月23日 (水)

藤原大士の一日一言 
231話 積み重ねの大事さ

同じ物事を行うのでも、創意工夫して進める人と、ただ漫然と行う人とでは、自ずと差が開く。

一日一日の積み重ねは、小さいようでも、大きな差となって現れる。

「継続は力なり」とも言う。とにかく積み重ねよう。

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2009年9月22日 (火)

藤原大士の一日一言 
230話 最後の詰めを怠らずに 

稲の実るころは、不思議と台風の季節でもある。せっかく八十八の手をかけて育てても、収穫の時になって、根こそぎ倒されてしまうこともある。

仕事も、これで完成したと思ったときこそ、そこから最後の詰めをする心構えが大事だ。

「これで安心だ」と気を抜くのではなく、「九十九里をもって百里の半分と思え」と言われるように、最後の詰めを怠らぬようにしよう。

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2009年9月21日 (月)

藤原大士の一日一言 
229話 建物を建て替えるときの注意

家を建てる時、社屋を建てる時には、竣工式や、地鎮祭、上棟祭などをして、工事の無事と、つつがなく完成することを祈願する。

しかし、不思議と建物を壊す時に、お礼を言う人は少ない。

上棟祭で、大黒柱に神様にお入りを頂くのだが、神様が入ったまま、建物を倒してしまうことが多い。

一家の主を、昔は大黒柱と言った。家の大黒柱に神様が入ったまま、取り壊してしまうから、家を建て替えた時、一家の大黒柱であるご主人が、病などで倒れることが多いと言われる。

せめて建物を壊す前に、「今まで、お守りを頂きありがとうございました。このたび建て替えることになりましたので、一旦お離れ頂き、新しく建物が完成した時は、改めてお懸かり頂きとうございます」と、お礼とご挨拶くらい言うべきではないか。

*** 家や社屋を建てる時には、何千万、あるいは何億とかけるせいか地鎮祭などをする。

しかし取り壊す時には、お招きした神様が、建物に入っておられると言うことをお忘れではないですか。

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2009年9月20日 (日)

藤原大士の一日一言 
228話 辛さに耐える業(わざ)よりも

かつて織田信長に攻められ、恵林寺に火をかけられた快川和尚は、「心頭滅却すれば、火もまた涼し、喝!」と言って、火の暑さにのたうち回って苦しむ仲間とは裏腹に、静かに死んで行ったと言われている。

そして修行というと、荒修行という言葉があるように、寒さ暑さに耐える業が多いようだ。

しかし親からもらった大事な身体をいじめて、得られるものは何であろうか。

特殊な人は別として、辛さに耐える業よりも、人の心と頭がもっともくつろぐお風呂で芯までほぐし、今日の疲れを取り、明日の活力を得る方が、大事ではなかろうか。

経営者の修行とは、世の中への貢献をすることだからだ。

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2009年9月19日 (土)

藤原大士の一日一言 
227話 病は、原因から正そう

病になると、その病名や数値にばかり気を取られ、本質を見失うことが多い。

ともかく早く治したい・・と誰もが思うからではあるが。

しかし、こうしたときにこそ、その原因である食生活をはじめとする生き方、考え方を見直してみることも大事だ。

病になるには必ず原因がある。

仮に病は治ったかに見えても、そこを正さない限り、病の根はついて回る。

生き方、考え方の中に病の根を見つけ、それを切っていくことによって、病を治すだけでなく、健全な身体と人生の開運に導く事が出来る。

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2009年9月18日 (金)

藤原大士の一日一言 
226話 良い習慣を記憶させよう 

癖や欠点は、長年その人の中で、定着している。

「自分のここを治さなければ」「絶対に今日から切り替わるぞ」と一念発起しても、気がつくと前と同じ事をしていて、自己嫌悪に陥ることは、誰にでもある。

いったん身についた習慣を直すことは、簡単なようで至難の業だ。だからその気になって根気よく直していくことが大切なのだ。

大変だからこそ、良い習慣を記憶させたときには、一生自分の宝として、残るのではないだろうか。

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2009年9月17日 (木)

藤原大士の一日一言 
225話 顧客の声なき批判

顧客の不満は、面と向かって苦情を言われるときばかりではない。

一見表面に出ないが、客が常々感じている不満をそのままにしておくと、あるとき突然潮が引くように、仕事が逃げていくことがある。それは表面に出る不満よりも、怖いことだ。

苦情を言われて、取引停止となれば、謝ることも出来れば、取引の再開を頼み、その後の反省も対策も立てようがある。

しかし、声なき不満の場合は、何が原因かわからないままだ。そしてそれは一度きりの客ではなく、常客を失うことが多いはずだ。

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2009年9月16日 (水)

藤原大士の一日一言 
224話 一足飛びにやろうとするな

日本人は、熱しやすく冷めやすいと言われている。いったん良いとなったら、一足飛びにやろうとする。

しかし真夜中にいきなり太陽が出たら、身体も精神もついて行けない。

夜の闇がだんだんに白んでいき、やがて東の空があかね色になり、やがて朝日が顔を出す。

それと同じように、方向転換は一足飛びにしてはならない。大事なこと、大きく変換するときほど、徐々に徐々に、しかし確実に変えていくことが大切だ。

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2009年9月15日 (火)

藤原大士の一日一言 
223話 流れに逆らう勇気

時には、ただ時流に乗るだけでなく、時流に逆らってでも、行う勇気が必要なときがある。

流れのままに流されるのは楽だが、もしその先に滝や渦巻きがあるようなときには、流れに逆らってでも、別の方向へ回避しなければならない。

経営者の判断と勇気が問われるところだ。

*** どんなときに流れに逆らってでも回避し、時代に逆らいますか?

先に滝があるとは・・? 一つの例として、挙げてみました。ご参考までに。

 バブルなどが加熱しているときは、まじめに働くのがばかばかしくなるほどで、一流企業もこぞって、金融資産を買いあさっていた。

しかしいったんバブルがはじけたときには、どうだっただろうか。

どこか危ない、このまま行っていいのだろうかと思いながら、皆がしているのだからと、突き進んだ。

しかし行く先の滝に巻き込まれて、奈落の底に落ちた人もたくさんいたはずだ。

絶頂期には、堅実に経営することが、馬鹿に見えるほどだったが・・時流に乗ってもいいが、踊らされてはいけないのだ。

こうしたときでも、じっと耐えて、事なきを得た経営者も、大勢いたことを知っている。どちらが良かったかは、全体で見た時にはじめて言えることだ。

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2009年9月14日 (月)

藤原大士の一日一言 
222話 時流に乗る 

時流に乗ることは、経営をする上で大事な要素だ。どんなに良いものであっても、その時代に合わないものは、受け入れられないからだ。

しかし時流と一言で言っても、幾層もの流れがあることを忘れてはならない。

表面を流れているものもあれば、根底に流れているものもある。

表面の流れだけに、目を奪われると、思いがけない流れの変化に巻き込まれることになる。

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2009年9月13日 (日)

藤原大士の一日一言 
221話 血の巡りをよくする

一般に「血の巡りが悪いヤツ」というと、察しの悪い人、頭の回転が悪い人のことを言う。

肉体面でも、澱まずに流れる血液は、健康の必須要件だ。

お腹でも、足でも、冷たいところは、血の巡りが悪いはず。

青竹踏みやお腹を「のの字」に押して、身体の中の澱みをなくす工夫をしよう。

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2009年9月12日 (土)

藤原大士の一日一言 
220話 現れた病気は、氷山の一角 

病気になると、その症状が治まれば、「治った!」と思う人が多い。

しかし「症状が治まっただけ」で、治ってはいない事が多い。

病気の素は、六十兆の細胞に少しずつ散らされて表に出ず、本人すら気づかないで、過ごしていることが多い。

それがあるところで限界を越えるから、表に出て来るのではないだろうか。

出来れば病として表に出て来る前に、溜まった毒素を出すことを心がけよう。

しかしそれは薬の力では外に出せない。自然治癒力という力を働かすことなのだ。

    ◆ 今年の夏の砂浴体験、いくつかご紹介・・ これも自然治癒力です。

一緒に出かけた中学生が、今までの足のむくみが一度でとれ、皮膚がすべすべになったと喜んでいた。

「むくみすっきり、お肌すべすべ」というと何かの宣伝のようだが・・

私も三回目に、突然肝臓あたりの皮膚が、赤く盛り上がった。

特に異常を指摘されたことはなかったが、中学生の頃、黄疸にかかり、その後、症状が出る事はなかったが、体内にはまだ毒素として残っていたのかと驚いた。

中学校の時からの年月は、約五十年・・今までも大量の宿便などで「出して」いるが、まだまだ体内には、毒素が残っているのかと。

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2009年9月11日 (金)

藤原大士の一日一言 
219話 マスコミの危険な状態

ある物事が起きると、一斉に同じような報道が流れる。

そしてそれが国の行方を左右するような問題であっても、タレントや評論家が、そのときの思いつきで意見を言い、それが世論となって流れていく。

自分の考えと思っていることが、じつは洪水のように流される報道などに操られてはいないだろうか。

自分はそうではないと言っても、世の中の大半がそれに流される世の中だ。

真実を見極める目は、よくよく養わなければならない。

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2009年9月10日 (木)

藤原大士の一日一言 
218話 先送りのツケ

問題に正面から取り組むことは、おっくうなときもあり、出来ることならば先送りしたい・・と思うであろうか。

それでなくても毎日片付ける問題は、山積みだ。

しかし「忙しさ」にかまけて、問題を先送りしていると、それが自分の首を絞めることとなりはしないだろうか。

問題は、後になるほど大きくそして重くなる。

すぐに行い、対処すれば簡単に抜き取ることの出来きるものでも、時間がたつ間に、驚くほど根を張り簡単には抜けなくなる。

    ◇ 昨日の「前例通り」がなぜいけないのか。

皆さんは、いかがでしたか。

今日の一言も、それと関わりがある話だ。

「前例通り」・・町を歩けば、たくさんの例に出会う。一つの例として載せてみた。ご参考までに。

駅前のシャッター通り商店街、当時は一等地だったはずなのに、なぜ?

車社会となり、駅から離れても、大きな駐車場のあるところの方が便利になった。

また、一カ所でまとめて購入できる便利さが受けた。

イトーヨーカ堂も、元は東京の小さな用品店だったと聞く。そのまま前例通りにしていたらシャッター通りの中の一件であったかもしれない・・

いまはネットでの購入など、さらに変化している。

こうしたことを自分の職業に置き換えて、考えてみて頂ければと思う。

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2009年9月 9日 (水)

藤原大士の一日一言 
217話 大過なく? 

人が、勇退、あるいは転属の際の挨拶で、「前例通り」に物事を行い、「大過なく過ごした」と言うが、本当だろうか。

それは「何一つ、創意工夫をしたものはなかった」という意味になりはしないだろうか。

自分は、前例に従い、冒険をせずに過ごしたと思っても、世の中はすごい勢いで変化している。

「前例」は、いったん受け入れても、常に時代に合った新しい方法を探し続けることが、経営の大事な要素ではなかろうか。

それを怠ると、時代に取り残される経営となり、「大過なく」とは言えないのである。

    ◇ 「前例通り」が、なぜいけないのか。

具体的に例を挙げて、考えて見て下さい。

時代に取り残された経営も、世の中を見渡すと、結構たくさんありますね。

「あぁ、これか」と思ったら、メール下さい。私も明日の一言に、例をあげてみます。

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2009年9月 8日 (火)

藤原大士の一日一言 
216話 常識と限界の枠を外そう

人は、皆、開運を願いながら、自らの運勢を、自らの思いと言葉で、閉ざしてしまうことが少なくない。

「それは無理だ」「出来っこない」

それは自分で考えている以上に、「常識」と「限界」という枠に縛られているからだ。

しかしそう思ったときには、絶対にそこから抜け出すことは出来ない。

物事を願うときには、「でっかい夢を持て」というようにいったん常識と限界と思う心の枠を外して、自由な発想をしてみよう。

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2009年9月 7日 (月)

藤原大士の一日一言 
215話 漠然とした願いは、やめよう 

「いつか、こうなったらいいな」

「いずれ出来るだろう」

この二つの願いには、期限が入っていない。

期限のない願いは、叶いにくい。

願い事は、漠然としたものではなく、「何を」「いつまでに」叶えたいか、明確にした方が良い。

なぜなら漠然とした願いには、自分自身でもいつまでに、何を、どう努力したらいいのかわからないからだ。

それでは、自分自身を奮い立たせることも出来なければ、周囲を巻き込むことも出来ないからである。

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2009年9月 6日 (日)

藤原大士の一日一言 
214話 おさい銭の意味

おさい銭は、神様の前に立つ前に、自らの「迷い」や「雑念」を祓って、心さわやかに神前に立つ為のものだ。

したがって、お願いをするためのものではない。

それを「これでお願い! ほらー」と、乞食に投げ与えるように小銭を投げつけて、願いが叶うと思うほうがおかしいのではなかろうか。

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2009年9月 5日 (土)

藤原大士の一日一言 
213話 願いと祈りの違い 

一般に「祈願」と言い、どちらも神様へのお願い事だと思っている人が多い。

しかし「願い」と「祈り」は異なる。

願いは、自分が中心にあって、まさに神様へのお願い事だ。

祈願のほとんどは、願い事である。

しかし、祈りは天の意が中心にくる。「今の世の中に対して、自分は何をしたらいいのだろうか」と問う心が大切なのだ。

そして天の意志に乗り、経営、行動することである。「祈り」は、この天の意志に乗る「意乗り」であり、神の意に乗った祈りの経営こそが望まれる。

天の意に乗らない開発が、様々な病気や環境破壊を生み、現在の社会を作ったのだ。

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2009年9月 4日 (金)

藤原大士の一日一言 
212話 暗闇にあかりを灯す 

後、どのくらいでゴールになるのか。

先の見当がつかなくなる時がある。

そうしたときは不安だ。

ちょうど暗闇の中を、手探りで進むのに似ている。

先はわからぬが、あきらめず、後一歩進んでみるか、先が見えるよう灯りをつけるか、二つに一つだ。

暗闇で先が見えないときには、ゴールが目の前であっても10cm手前で、あきらめて方向転換してしまうことがある。

出来れば先を読む目を身につけて、暗闇にあかりを灯そう。

いずれにしてもゴールをあきらめずに、座り込まないことが、成功に繋がるのだ。

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2009年9月 3日 (木)

藤原大士の一日一言 
211話 製品の上に、あぐらをかいてはいないか

相手から「是非、売ってほしい」と言われる製品があると、人は知らず知らずの間に、横柄になる。

しかし、順調なときに殿様商売をしていると、それが自分の首を絞める元となりはしないだろうか。

客は、「しかたなく」そこから買っているに過ぎない。製品にあぐらをかくことなく、商売の姿勢でも、「是非そこから買いたい」と思わせる事が大切ではなかろうか。

*** 昨日の一言で、「接触不良」を探して、「そこを正せば今までの努力が実を結ぶ」と出したところ、

「なかなか結果が出ないのですが、どこが接触不良かわかりません。どういう目で見たらいいのですか」という問いかけを頂いた。

どう思われるだろうか。

よければ皆さんの経験や考えも、お聞かせ頂ければ幸いである。

***仕事の成果が出にくい「接触不良」について***

営業マンが、必死で仕事をとっても、その後の手続きが悪い、またインターネットに力を入れ、素晴らしいホームページが出来ても、問い合わせがあったとき、相手の要望に応えなかったときは、仕事には結びつかない。またその後の繋がりにはならない。

また組織内の、連携の悪さ、あるいは社会の求めているもの、ユーザーの潜在的な要望との接触不良。

この接触不良が、一番多いかもしれないが・・

思いの外、接触不良の箇所はたくさんあるはずだ。一つずつ、検討してみられたらどうだろうか。

もし、ご自分で「接触不良」が見つけにくい、そしてどうしてもそれを打破したいときは、個別の経営相談もお受け致します。

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2009年9月 2日 (水)

藤原大士の一日一言 
210話 接触不良を捜そう

電化製品は、はた目でわからなくても、ほんのわずかの接触が悪いだけで、全く動かないときがある。

「ここまでやったのに」という時、後、一歩というところまで来ていても、結果が出ない時、このことを思い出してみられてはいかがだろうか。

個々に問題がなくても、互いの連携がうまくいっていない時がある。

その接触不良を探して、道を通じさせれば、積み上げてきた成果が、実を結ぶのではなかろうか。

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2009年9月 1日 (火)

藤原大士の一日一言 
209話 旧道と新道

今、驚くほどの早さで、各地に交通網などが整備されている。

時には「本当にここに高速が必要なのか」と疑問に感ずる所もあるが、以前とは比べものにならないほど、短い時間で目的地まで行くことが出来る。

しかしせっかくの道が出来ているのに、依然として古い道を回り道して進んでいては、時間も効率も上がらない。

それと同じに、仕事の進め方にも、整備された新しい道(方法)を使って行えば何倍もの速度で進めることが、出来るのではなかろうか。

要は、その目で世の中を見る事、今までの習慣だからと、そのままの方法に疑問を感じず、改良も改善もしないでは、旧道をそのまま進む様なものだ。

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