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2010年1月31日 (日)

藤原大士の一日一言 
358話 月が変わるとき、日が変わるとき

今日で、一月が終わる。

一般にも、晦日は多忙だが、今日は日曜だ。

今月の初めには、「いい年になりますように」

と願ったはずだが、このひと月は、どうであっただろうか。

私のふるさとでは「一月はいぬる(帰る)、二月は逃げる、三月は去る」と言われていたが、気がついたら、「あっ」という間に過ぎていた・・

日が集まり、月になり、月が集まり、年になる。

一日、一日を大事に積み重ねると共に、ひと月、ひと月も大事に積み上げていこう。

それが今年一年、いい年になるかどうかの分かれ目ではないだろうか。

    私は、ひと月終わる毎に、「今月もありがとうございました。新たな月もどうぞよろしくお願い致します。」と、ご挨拶をしている。

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2010年1月30日 (土)

藤原大士の一日一言 
357話 胸襟を開く

ネクタイで、首を締め、足は靴で「きゅう靴(窮屈)」な日常を過ごしているとしても、休日には胸元を緩めて、ゆったりと過ごしては、いかがだろうか。

胸元をくつろがせると、驚くほど心が解き放たれる。

何ものにも縛られず、限界も感じない。

わが胸は、地球よりも広い。というよりも、宇宙そのものだ。

そんな感覚から、明日の力と勇気が涌いてくるのではなかろうか。

◆ 私は、一年の半分以上、作務衣の生活だ。

  それだけで、何ものにも拘束されず、ゆったりとくつろげる。

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2010年1月29日 (金)

藤原大士の一日一言 
356話 立ち入り禁止時間

私の恩師は、大学の寮監時代に、毎日「午後の七時から十時までの三時間は、一切扉を叩くな。電話の取り次ぎも、電報が来ても繋ぐな。」

それほど徹底して、研究に没頭され、日本を代表する学者になられた。

 

職業によって、一律にはいかないだろうが、仕事も没頭する前に、電話やいろいろなことで中断されがちなので、時間を区切って、「電話など一切ない」時を作られてはいかが。

    電話が今ほど普及しておらず、「電報が来る」のは、「チチキトク」など、

 肉親の命に関わる急報が多かった時代の話である。

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2010年1月28日 (木)

藤原大士の一日一言 
355話 チャンスを活かす準備

人生にも、仕事にも波が押し寄せるように、誰にも、何度か大きな機会はやってくる。

しかし、それがチャンスであると、即座に判断できるだけの下準備が普段から出来ているだろうか。

チャンスを活かせる人は、決断力があると同時に、日頃から仕事に対する計画性と

それを実践する努力をしている人である。

何の準備も、心づもりもなく機会を待つことは、棚ぼたを待つようなものだ。

少なくとも経営者のすることではない。

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2010年1月27日 (水)

藤原大士の一日一言 
354話 賞味期限

人がよい話を掛け、仕事なり機会を与えてくれることには、賞味期限がある。

いったん聞いた話は、「いつまでも有効なのだ」と、錯覚する人が多いが、とんでもない誤解だ。

「この話は、いい」と判断したら、即日にも行動を起こすこと、何らかの反応を示すことが重要だ。

チャンスは、「魚の活け作りを食すが如く」に、時間を争う。

腐った魚では、どんな高級魚でも価値がないのと同じく、どんなに良いチャンスでも、時過ぎては意味がない。

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2010年1月26日 (火)

藤原大士の一日一言 
353話 殻は、自ら破れ

殻は、いくら待っても人に破って貰うことは出来ない。

鳥の卵を、親鳥などが抱いて暖めることは出来ても、

外から突いて破ろうとすると、中の雛は死んでしまう。

それと同じように、殻は自から破るしかないのだ。

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2010年1月25日 (月)

藤原大士の一日一言 
352話 「厄年」は、「役年」

厄年は、災厄を祓う「厄年」ではなく、

人生の役目、天命に関わる大事な役目を頂く

「役年」が、本来の意味だ。

男性も、女性も「大厄」と言われる

四十二歳(男)と三十三歳(女)は、

人生の大きな役目を頂く「大役」の年だ。

昔から大事な事をなす前は、精進潔斎をして臨んだように、 

大きな役目の前に、祓い清めを受けてから、役目を授かるのだ。

こうしたことを省略するから、本来の役目にも気がつかず、

人生をただ生きるためだけ、食べるためだけ、金のためだけに

過ごすことになるのではなかろうか。

    私の所でも、ご縁のある方には、

本来の「役年」としてのご祈願をお受けすることがある。

人生の大事な節目だけに、こちらも心して務めさせて頂いている。

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2010年1月24日 (日)

藤原大士の一日一言 
351話 よどみを残すな

川の流れを見ても、曲がったところには

汚れが溜まりやすい。

身体も、背中が曲がる、腰が曲がるなどは、

それだけで毒素や老廃物が溜まりやすい。

なるべく背筋を伸ばそう。

胸を張って、身体にも、心にもよどみを残さないようにしよう。

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2010年1月23日 (土)

藤原大士の一日一言 
350話 殿様と御前様

昔の武将は「殿様」と言い、その奥方を「御前」と言った。

木曾義仲の奥方の巴御前、源義経の愛妾の静御前など。

これはかつて、神社参拝の際、男性は建物(御殿)の中まで

入り、女性は御殿の前までしか進めなかった所から来ている。

それが伊勢にある、伊雑宮(いざわのみや)での由来である。

    男性も、字が違うが「午前様」と呼ばれることはある。

しかしこちらはほどほどに。

あまりに続くと、わが家から締め出される

「御前様」になっては・・大変だ。

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2010年1月22日 (金)

藤原大士の一日一言 
349話 縁を大切に

人と人の出会いは、自分の意志で作り出せるものよりも、

目に見えない縁によるものが多い。

親子の縁、夫婦の縁、兄弟の縁、

しかしそれを除けば、共に仕事をする縁は格別のものだ。

とかく身近にいると、長所よりも短所が目に付く。

しかし短所ばかり見ていると、相手を拒絶するだけでなく、

自らの世界も閉ざしてしまう可能性がある。

なるべくは縁ある人の長所を伸ばして、

自分にとって、かけがえのない力となす努力をすべきではなかろうか。

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2010年1月21日 (木)

藤原大士の一日一言 
348話 割り算の法則

算数の割り算は、小学校の時に学ぶが、

それを本当に人生に生かしているだろうか。

現実には、全てが均等に分割出来るものばかりではない。

しかし学ぶべきは、大きな物は割り算で、

小さく出来るということではないだろうか。

巨石を動かすことは困難であっても、

適当な大きさになれば、テコの原理で、

思わぬものまで動かすことが可能である。

こうした応用を日常に活かしているだろうか。

人生も、大きく幼年期、少年期、青年期、成人期に分け、

成人期をさらに幾つかに分けてみてはいかがだろうか。

厄年を単なる厄払いの年としてではなく、

大切な役目を頂く年だとすると、

その後の人生の過ごし方も大いに異なるであろう。

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2010年1月20日 (水)

藤原大士の一日一言 
347話 持てる大きさに細分化

大きな仕事が目の前にあると、

どこから手をつけて良いかわからなくなるときがある。

一度に背負うには重い荷物であれば、

持てる大きさにまで分割して、何度かに分けて運ぼう。

一度に持てないと、それだけで挫折する人が多いが、

それでは小さな仕事しかこなすことが出来ない。

大きな仕事ほど、この細分化は必要である。

大事なのはどう分割するか。細かくしすぎると、まとめるときに細かいジグソーパズルをまとめるような困難を伴う。

まず全体を頭に描いた上で、細分化を心がけよう。

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2010年1月19日 (火)

藤原大士の一日一言 
346話 壁を見て立ち止まると

目の前に、壁が立ちはだかったと思うとき、

どうされるだろうか。

「壁を見て、立ち止まって見ていると、

壁はますます高く見えてくる」

しかし迷わず、ためらわず突き進めば、

目の前の壁は、案外たやすく破れるかもしれない。

壁を見て「破れない」と思っている自分がいる。

破るべきは、そう思う自分自身の心なのかもしれない。

    近況 1月16日に、伊勢神宮の参拝をしてきました。

   

朝、3時に車で小田原を出発し、二見浦で朝日を拝み、

その後、列車到着の人と合流。

伊勢神宮外宮、内宮、共に参拝。

全員で、祓いを受けた後、御垣内参拝をした。

昨年は、二見浦で日の出と共に

海中で禊ぎをしている人たちと出会った・・。

それに刺激され、今年挑戦したいといっていた同行者も、

早朝の海の寒さに思わずコートの襟を立てていた。

(何人かは、越中ふんどしまで、持参したようだが・・)

むしろ「寒さに耐える業」よりも、ゆったりと清々しく

神前に立ち、荘厳な空気から何かを感じ取って欲しいと思った。

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2010年1月18日 (月)

藤原大士の一日一言 
345話 息は、「自ら」の「心」を現わす 

「息」という字は、「自ら」の「心」と書く。

心が乱れていれば、息も乱れる。

ゆったりしていれば、ゆったりとした大きな息に、

セカセカしていれば、短いセカセカとした息になる。

心落ち着かせたければ、息を整えることだ。

「落ち着け!落ち着け!」と

自らに言い聞かせるよりも、よほど効果がある。

静かに身体の奥深くまで吸い込み、

また静かに細く長く吐き出してみるとよい。

呼吸は、心や身体を良好に調整する大事な鍵の一つである。

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2010年1月17日 (日)

藤原大士の一日一言 
344話 今日は、阪神淡路大震災のあった日

今日は、十五年前に阪神淡路大震災があった日だ。

心よりご冥福をお祈りしたい。

今、またハイチの大震災でたくさんの犠牲者が出ている。

大震災で、一瞬にして足下から全てが崩れ、人生の全てを失った人もたくさんおられる。

それは寿命半ばにして、自らの意志とは異なり、不本意に命を絶たれた・・ことではないか。

足下の大地が安定しているありがたみを、人はつい忘れ、愚痴や不満が日常の中心になりがちである。

生かされているというありがたみを、改めて謙虚に受け止め、たとえ苦しくとも、自分の都合で「死んでしまいたい」などという言葉は、厳に慎んでもらいたい。

そして何年経とうとも、犠牲となられた方々への、冥福を祈る心も忘れずにいたいものだ。

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2010年1月16日 (土)

藤原大士の一日一言 
343話 合えば通ずる宇宙の力

人の身体の中で、力の泉とも言える場所がある。

それはお臍の下、十センチくらいの所にある臍下丹田である。

呼吸法でも、上達するにつれ、ここに気を集中させる。

それは大宇宙の気とも通じ合える場所だ。

肩に力が入っていると、この臍下丹田に力は入らない。

まずは肩の力を抜くことから始めて見てはいかが。

    大志塾の実技では、この臍下丹田に気を集める方法を行っています。

やってみると意外に違う所に力が入っている人が多い。

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2010年1月15日 (金)

藤原大士の一日一言 
342話 宇宙人か、異邦人か

いつの時代にも、世代間の格差、断絶はつきものだ。

自分たちが理解できない言葉、感覚に対して、「外国人」と言ったり、「宇宙人」と呼んだりする。

しかしそれは、自分を中心に見た場合ではなかろうか。

いつの時代でも言われる言葉だが、「今の若い者は・・」という言葉で、自ら世代の断絶を作る事はやめよう。

しかし社員を家族と見るならば、「人として異なる」「異邦人」としての行動、考えに対しては、毅然として正す気概を持つべきである。

しかし、それも急ぎすぎず、暖かく・・だ。

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2010年1月14日 (木)

藤原大士の一日一言 
341話 社内での再教育

「そんなことは常識だ」

「当然家庭や学校で学んでいるだろう」・・は通じない。

社員教育に必要なのは、仕事に必要な知識や技術だけではない。

全ての物事は、人としての基礎となる土台があって、初めてその上に積み重ねられ、また生かされてくる。

即戦力としての力も養いながら、同時に人として、

「挨拶」「感謝の心」「世の中や人のために尽くす事を喜べる」ことを実践の中で育てよう。

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2010年1月13日 (水)

藤原大士の一日一言 
340話 法の下の「平等」

「平等」という言葉は優しい、そして心地よいかもしれない。

しかし責任の大きさは、平等ではないのだ。

社長と新入社員が平等であるはずがない。

そもそも世の中に平等などあり得ないのだ。

年齢・性別・能力など、みな異なる。

事実において異なるからこそ、せめて法の下では平等に扱おうということではないのか。

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2010年1月12日 (火)

藤原大士の一日一言 
339話 「平等」という魔力

平等は、良いことのように思われている。

というよりも、そう教育されている。

しかしそれでは、経営は成り立たない。 

地位と責任は厳然と存在するのであり、仲間意識は危険だ。

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2010年1月11日 (月)

藤原大士の一日一言 
338話 成人式の真意

今日は、いったい何の理由で休日なのだろうか、と思ったら、成人の日だった。

一月十五日には、ぴたっときたのにと感ずる人は多いと思う。

肉体が大人になっていくだけでなく、「成人」「元服」という儀式をすることで

精神・魂の面での一つの区切りとなる。

それは「大人の魂」を授かることにある。

これが成人の本来の儀式だ。

こうした儀式は、本来人の勝手で日にちを変えた時、ほとんどの場合、授かることが出来ない。

成人の魂には、「十五」という数字に大きな意味がある。

本来は十五歳に授かるものだ。二十歳でも授かるためには、「十五日」を外しては意味がない。

身体ばかり大人になって、精神がついて行かないことは悲劇だ。

肉体と精神は、大事な両輪であり、その大事な儀式を、大人の勝手で狂わせて良いものだろうか。

成人式の日を変えた最初の二年間、大荒れに荒れたのは、若者が悪いのではなく、変えたこと自体が悪いために、若者の魂がそうさせたことを銘記すべきである。

源氏の大将である源義家は、石清水八幡様で元服をして、以来「八幡太郎義家」と名乗り、歴史的にも名の残る名将として活躍した。

成人の儀式は、このように神社でするのが本来だ。

国の制度で、一月十五日を外された以上、本当に成人の儀式、「大人の魂を授かる」ためには、十五歳の誕生日当日に、神社でその儀式を受けるとよい。

私のところでも、十五歳の誕生日に依頼を受けて、その儀式をさせて頂くことがある。

    ・現在その魂を授けられる神主さんが、非常に少ない事が問題だ。

形だけ祓いをすれば、その魂を授かれるのではないからだ。

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2010年1月10日 (日)

藤原大士の一日一言 
337話 耐えられるからこそ

徳川家康は、「人生は、重き荷を背負いて、遠き道を行くが如し」と言われたとか。

しかし背負っている責任や、荷物の重さが肩に食い込み、息も絶え絶えになる時は、誰しもある。

しかしどんなに大変そうに見えても、天は、その人に背負い切れない以上の荷物は課せられないものだ。

「耐えられるからこそ、この役目か与えられた」

そう、自らを奮い立たせよう。必ず乗り越えられる。

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2010年1月 9日 (土)

藤原大士の一日一言 
336話 特等席に座っていますか?

子供の頃、一家の中でも食卓(かつてはいろりの前)での、座る席は厳然と決められていた。

特にその家の当主が座る席に、他の者は、絶対に座ることも出来なかった。

一家の主が、家の中で厳然とした地位と同時に、大きな責任も負っていたように思う。

少なくとも家族の食卓では、常に特等席を占め、堂々とあるべきではなかろうか。

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2010年1月 8日 (金)

藤原大士の一日一言 
335話 四面楚歌をも乗り越えて

「四面楚歌」とは、周囲全てが敵や反対の者ばかりで、一人も味方や助けがない状態を言う。

不祥事を起こした時の記者会見など、まさに四面楚歌、その時に誰か助けてくれないかと思っても、孤立無援、一人で乗り込んでいかなければならない。

その時の対応が本当に誠意のあるものなら、それを見ていた中で、味方になってくれる人が出てくる。

しかし陰ながらで、表立ってかばって貰えることは少ない。

その後の実際の行動を見て、応援をしてくれる人が出て来るのだ。

経営者は、四面楚歌をも乗り越えて、時には進まなければならないこともある。

それを乗り越えられるだけの胆力を養おう。

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2010年1月 7日 (木)

藤原大士の一日一言 
334話 ハングリー精神を

人は、満ち足り過ぎると、向上心を失いやすい。

ハングリー精神と言い換えてもいいが、これは、仕事に必須の要件と言える。

職場は、戦場なのだ。

ハングリー精神を失った状態で、勝ち残れるはずがない。

二代目、三代目に一番欠けているのは、このハングリー精神ではなかろうか。

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2010年1月 6日 (水)

藤原大士の一日一言 
333話 寒風に身をさらすこと

昨日より、「寒の入り」といって、一年の中でも、最も寒さの厳しい季節に入った。

現代は、エアコンを始め、諸々の暖かさに囲まれているから、本当の寒さが身にしみないかもしれない。

経営も、一段とその厳しさを増している。

それに目を背けて、乗り切ることは出来ない。

「寒風に身をさらすことを恐れるな」

「ぬくぬくと、暖かな中だけで、真実は掴めない」のだ。

寒さ、厳しさを恐れずに、立ち向かっていこう。

冬来たりなば、春遠からじだ。

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2010年1月 5日 (火)

藤原大士の一日一言 
332話 今日は、小寒

今日は、二十四節気の小寒だ。

この日、寒餅をついて食べると冬の間風邪を引かないとか・・

風邪は万病の元とも言う。

インフルエンザの予防には、マスクやうがいも大事だが、

こうした節気の「力餅」も、健康と人生を支える「力持ち」だ。

    私のところでは、暮れにお餅をつくだけでなく、小寒の日に、寒餅をついて神棚に供えている。

といっても、まだ「臼と杵」を使ってではなく、現代的に機械で、なのが残念だが・・

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2010年1月 4日 (月)

藤原大士の一日一言 
331話 褌を締め直す

「褌を締め直して、事に当たる」という言葉がある。

相撲用語だが、一般にも

「一段と気持ちを引き締めて、かかれ」という意味だ。

お正月で、ゆるんだ褌を締め直して、初仕事に臨もう。

褌がゆるんでいては、勝負は出来ない。

気合いを入れた、良い出発を!

    現代流に言えば、新品の肌着を身につけて、心も新たに、初仕事・・などか。

 

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2010年1月 3日 (日)

藤原大士の一日一言 
330話 社長の年頭の挨拶の大切さ

仕事始めの時に、社長の年頭の挨拶をするところは多い。

これは単なる形式ではなく、その会社のその年を左右するほどの大事な意味を持つ。

物事を動かす目に見えない力の一つに、「念と言霊」がある。

人の心に活を入れるのも、一つにまとめるのも、この力によるものが大きい。

社長が、その年一年をどう進めようとしているのか、短い言葉でも、その熱意が伝わる挨拶であれば、社員の心に「活」と「喝」が入るのではなかろうか。

会社を動かし、社会を動かし、日本を動かす、場合によっては世界をも動かす挨拶を試みてみては。会社の発展は間違いない。

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2010年1月 2日 (土)

藤原大士の一日一言 
329話 澄んだ空気の中で

お正月は、普段よりも富士山がくっきりと美しく見える。

工場やいろいろな作業が休止して、その分空気が澄んでいるからか。

空気が澄むと、見通しが良くなる。

心の中で、もやもや、いらいらとしていると写らないものも、心を澄まして見つめると、同じようにくっきりと見渡せるのではなかろうか。

    今日から、箱根駅伝。

二日間、テレビで、あるいは事務所から応援三昧だ。

事務所は、1号線沿線、四区にあり、中大の旗まで預かって立てている。

果たして結果は?

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2010年1月 1日 (金)

藤原大士の一日一言 
328話 一富士、二鷹・・

明けましておめでとうございます。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

一富士、二鷹、三なすびが、縁起の良い初夢という。

広い裾野を持ち、かつ孤高の富士の姿は、人の上に立つ理想の姿であろうか。

また鷹のように、高所から狙いを定め、ためらいなく一直線に進む力強さも、夢の実現に大きな力となる。

夢は、叶えるもの。

今年も良き夢を見て、大いに前進しよう。

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