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2013年4月30日 (火)

藤原大士の一日一言
1507話「もうダメか」は、成功への分岐点

経営者で、「もうダメか」「もうダメだ」
と思わないで、過ごし通せた人など、
おそらく一人もいないはずだ。

そのギリギリの所を乗り越えたからこそ、
成功した経営者としての、今がある。

皆、成功した人は、
何一つ挫折も苦悩も味合わないで、

順調に進んで、今がある
と誤解をしている人が多いが、

おそらく、成功しなかった人の何倍も、
「もうダメか」と向き合い、
それを乗り越える努力をしてこられたはずだ。

もし「もうダメだ」と思うことがあったとき、
それは成功する経営者として残れるか否かの
分岐点に立っていると思ったらよいのだ。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月29日 (月)

藤原大士の一日一言
1506話 挫折したかと思うとき

ある人が、順調に出世コースを歩いているはずが、
突然に、あきらかに本流から外れた
と思われる地方の勤務を命じられた。

その時には、「自分は、左遷されたかと思った」が、
それで腐らず、しかし気持ちを鎮めるために、
近くの神社に日参したのだろうだ。

出勤前の早朝に、毎日お参りし、
休日には、境内の掃除をさせて頂いた。

不思議な事に、その時に気付いたことや、
出会った人が、その後のその人にとっての人生を
大きく変えることになった。

「挫折したか」「なぜこんな事になったのだ」
と思うようなことは、人生に何度もある。

しかしそこで腐らず、焦らず、
次の飛躍のために力を蓄えることで、

挫折が挫折のまま終わらず、
甦ることが出来るのではなかろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月26日 (金)

藤原大士の一日一言
1505話 言葉で伝える事、文字で伝える事

手紙でも、書物でも、
文字にして相手に送ったものは、

(相手が、読めば)言葉で話すよりも、
はるかに相手の中に残りやすい。

手紙やメールなどは、残ってしまうものだから、
あまり出したくない、面倒くさいと思いがちだが、

本当に相手の中に残したいことは、
話して伝えるよりも、文字で伝える事の方が効果的だ。

ただし文字は「残るもの」なだけに、
「そんなことは、言った覚えはない」
という逃げ口上も使いにくい。

「自分の言動には、責任を持つ」
そんな習慣が、身につくのではなかろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月21日 (日)

藤原大士の一日一言
1504話 勝手食からの脱却

一人暮らしが長くなると、
食事の仕方も、食べたい物を好きなだけ、
食べたい時間に、勝手に食べる習慣が、
身についてしまいがちだ。

気ままな食事は、楽な様だが、
それでは本当の栄養は入らない。

「とりあえずお腹を塞ぐ」食事から、
心も満たすことが出来る、そんな食事へと
食生活を変えていっては如何だろうか。

まずは、たとえ一人の食事であっても、
「頂きます」「ごちそうさま」などを
言ってから食べ始める、そんなことも、
切り替えの第一歩となるのではなかろうか

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月19日 (金)

藤原大士の一日一言
1503話 専門と経営

営業なり、ある分野に優れた人は、
「この会社は、自分で持っている」
と思ってしまうことがある。

会社を背負って立つ仕事をするという
気概でしているうちはいいが、

会社勤めの立場から、
もし独立を考えるようになった時には、

「自分は、この分野に突出していたとしても、
経営に果たして向いているだろうか」
と考えてみることが必要だ。

企業の運営には、営業だけでは
成り立たない要素も多くある。

それは事業計画や、人事面の管理、
資金計画なども含めて、目を向けなければならない
経営に自分は果たして向いているだろうか。

せっかくの素晴らしい営業のセンスや、
技術力、設計の力、デザインのセンスなども、
経営をしながらでは、力が出し切れないこともある。

ある部門の専門で行くか、
経営者の道を選ぶかは、本人の向き次第だが、

専門家、必ずしも経営者ではないのだから、
その点の自分の向き不向きを
よく見ることが大切ではなかろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月18日 (木)

藤原大士の一日一言
1502話 欠点と欠点が、衝突すると

人は完全ではないから、
相手から見て、必ず不満なところが出てくる。

特に仕事の場では、毎日のように顔を合わせ、
避けることが出来ないだけに、

お互いの欠点、いたらぬところが目につき、
表面的な争いにならなくても、
心の中で、衝突を繰り返すことは少なくない。

あの人が悪い、あの人のここが耐えられないと
相手のせいにしがちだが、
それは相手から見ても、同じことが言えるはずだ。

欠点と欠点がぶつかると、
顔を見るのも、イヤなことが起きるが、

長所と長所が融合すれば、
互いの欠点を補うだけでなく、

一足す一は、二どころか、
三にも、四にも、五にも
発展していくものがある。

人を見る時に、どちらから見るか。
長所の側から見るか、
欠点の方から見て、責め立てるかで、
同じ人と接していても、大きな違いが出てくるはずだ。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月15日 (月)

藤原大士の一日一言
1501話 なり切ること

人は皆、人生という壮大な舞台の上で、
本番の役どころを演じている。

名優は、その役になりきることで、
素晴らしい演技が生まれるというが、

経営者もまた、その立場、その役目に
なり切って、日々過ごして行くことが、
名経営者への道ではなかろうか。

はじめは、与えられた役目が重たく、
負担になることもあり、

自分にしっくりとこないで、
もがくことも、あるはずだ。

辛くてもそこから逃げずに、立ち向かう人は、
次第にその役目になり切って、成長していくが、

それから逃げ、あるいは避けている人は、
肩書きだけ、社長、専務、取締役と頂いても、

いつまでたっても、肩書きだけが歩いている
という事になりはしないだろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月14日 (日)

藤原大士の一日一言
1500話 言葉で伝える事、文字で伝える事

手紙でも、書物でも、
文字にして相手に送ったものは、

(相手が、読めば)言葉で話すよりも、
はるかに相手の中に残りやすい。

手紙やメールなどは、話をするより面倒だから、
あまり出したくない、と思いがちだが、

本当に相手の中に残したいことは、
話して伝えるよりも、文字で伝える事の方が効果的だ。

ただし文字は「残るもの」だから、
「そんなことは、言っていない」
という逃げ口上も使いにくい。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月13日 (土)

藤原大士の一日一言
1499話 天に向かって唾を吐くと

親に、なったけれど・・
親の役目を負うのは、負担だ、
「逃げてしまいたい」

「こんな子、いなければいいのに」等と
暴言を吐く人もいるが、
それは天に向かって、唾を吐くのと同じ事。

どんなに力を込めて、
憎らしさいっぱいに唾を吐いても、
その唾は、自分の顔の上に落ちてくる。

天に向かって吐いた唾は、
自分にそのまま返ってくるのだ。

自分が「こんちくしょう」と思って、
思わず言ってしまったことの中に、
そんな天に唾するような言葉は、ないだろうか。

親が「こんな子、いらない」という暴言、
天に唾する言葉を、経営者に置き換えたら、
それは、どんな言葉になるだろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月12日 (金)

藤原大士の一日一言
1498話 部下からの批判には

誰でも、本当は部下に好かれたい。
人望ある人、頼りになる上司、
仕事の出来る人と尊敬を集めたい・・

が、現実は決してそうならないし、
上司の悪口が、酒の肴になるほどだから、

批判は、必ずされているものと
腹をくくってしまう方が賢明だ。

自分が部下の立場だったときに、
上司や経営者を褒めちぎり、
心から心酔していただろうか。

人の上に立つとき、
風当たりや、批判は当たり前。

よく見られようと、変に媚びることよりも、
自分のすべき事は、何か、

人の上に立つ時、経営者ならば、
それに徹していくべきではなかろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月11日 (木)

藤原大士の一日一言
1497話 自分の声を聞いてみると

自分の声を聞いた事があるだろうか。
そんなものは、毎日聞いている
と思われるかもしれないが・・

録音して改めて聞いてみると、
普段、自分が聞いている声と
かなり違うことに、驚かれることと思う。

特に相手に分かるようにと
一所懸命に話せば話すほど、

相手から見たときに、うんざりするほど
くどく同じ話を繰り返していることもある。

録音した、自分の声を聞いてみることは、
聞く立場に立って、自分の話を聞くことでもある。

「このくどい話は、一体誰なのだ!」
「こんなきつい言葉で注意されたら、
相手は絶対に、心を閉ざしてしまう」
と驚くことも、決して少なくはない。

自分の話が、なぜ相手に伝わらないのだろうと
もし思われることがあれば、

「相手の理解が悪い」と責める前に、
一度自分の声を聞いてみては如何だろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月 9日 (火)

藤原大士の一日一言
1496話 思惑が、外れたときには

「予定が狂う」というが、
時として思惑が外れて、
計画の変更を余儀なくされることがある。

自分が思っていたことの
思惑が外れてしまったときには、

普通は、「まだ、機が熟していない」
「それでは、準備が足りない」
という事が多いが、

『何か、先にしておくべき事がある』
という暗示であることも少なくない。

ひょっとしたら、「自分がこうしたい」
と思っていたことをする前に、

片付けておいた方が良いこと、
あるいは土台を固めておくべきことはないだろうか。

その目線で、見直しをして見ると、
気づかないでいた問題点などが、
浮き彫りになってくることもある。

思惑が外れることが、総て悪いわけではない。
かえって大きな飛躍のヒントが、
隠されていることもあるはずだ。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月 8日 (月)

藤原大士の一日一言
1495話 速攻勝負

すぐに行うと、すぐに変化が起きる。
そして早くに乗り切れるかもしれないのに、
なかなか行動に繋がらない。

いいと分かっていても、
一日延ばしにして動けない。
そんな時はないだろうか。

しかし「動けない」と思っている
自分がいるだけで、
動こうとしない自分に、負けているだけなのだ。

人と競り合い、勝つことよりも、
自分の弱さに打ち勝つことの方が、はるかに厳しい。

物事は、速攻勝負。
物事を先延ばしにすることの口実を考える前に、
すぐに片付け、心の負担を感じる前に、
乗り切ってしまおう。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2013年4月 7日 (日)

藤原大士の一日一言
1494話 希望を受け入れる余地

どんなに良い話を聞いても、
発展的な助言をもらっても、

自分の器一杯に、悩みや思いが詰まっていると、
新しい話は、総てその器からあふれ出て、
自分の中に残ることは、ほとんど無い。

「どうしよう。どうしたらいいんだ。」
と同じ所をぐるぐる回るが、出口が見つからない。

そして人からの話が、全く耳に入らない、
胸に響かないというときは、ないだろうか。

そんな時には、一呼吸置いて、
自分の中に、希望を受け入れる余地を作ろう。

自分の中の「ダメだ、もうダメだ」
「どうしよう、どうしよう」という声を、

片っ端から否定して、
「ダメ・・じゃない!」
と何度でも、自分に言い聞かせよう。

その上で考えを巡らせたり、
人からの助言を聞くようにしては、如何だろうか。

『諦めない限り、必ず乗り越えられる道はある』
とひたすら信じて。

今日もどうぞ良い一日を!

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2013年4月 6日 (土)

藤原大士の一日一言
1493話 器の範囲

人は自分の器の範囲でしか、
物事を受け止められない。

自分にとって大問題と思われるようなことでも、
実は自分の器が湯飲み茶碗位の大きさしかないから、
起きている問題かもしれない。

自分だけの事にこだわり、
物事をマイナスの方からしか捉えられないと、

発展性のない小さな器の人に
凝り固まってしまうのではなかろうか。

今日もどうぞ良い一日を!

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2013年4月 5日 (金)

藤原大士の一日一言
1492話 心のゴミ屋敷

何年も前から、「ゴミ屋敷」が話題になっている。

それをテレビなどで見た人は、皆、
「なぜあんなにゴミだらけの所に
住んでいられるのだろうか」
と半ばあきれ、半ば軽蔑していうが、

それを笑っている人も、
「あなたの中の心のゴミは、
溜めていないだろうか?
きれいに片づいているだろうか。」
と問われたら、如何だろうか。

何年も、何十年も前の心のゴミを、
そのままにして、片付けないまま溜め込み、

それを引きずり、心のゴミ屋敷の中で
暮らしているということは、ないだろうか。

ゴミが腐って、耐え難い臭気を放っているのは、
心のゴミについても、同じではなかろうか。

今日もどうぞよい一日を!

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2013年4月 1日 (月)

藤原大士の一日一言
1492話 なりふり構わず、突き進む時には

普段、あまり意識はしていないが、
結構人目を気にして、日々を過ごしている
とは思わないだろうか。

なりふりや体裁をかまい、
世間体などを気にして生きている。

しかし本当に、起死回生の時、
たとえば人の命が懸かっているときや、
会社の存亡に関わるときなどは、

人目やなりふりなどは、
一切うち捨てて、かかるべきではなかろうか。

なりふり構わず、突き進むからこそ、
もうダメだと思うような場合でも、
乗り切れる時があるからだ。

今日もどうぞよい一日を!

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