藤原大士の一日一言
1563話 百聞は一見に如かず
「百聞は一見に如かず」と言われる。
直接目で見るにこしたことはない。
目で見ることだから、読書も入るだろう。
そう言えば、「読書百遍意おのずから通ず」とも言う。
どんなに難しい書物でも、繰り返して読めば、
自然に内容が理解できるという意味だ。
しかし、一見も体験に如かずだ。
体験の積み重ねこそ、人生の宝である。
今日も、どうぞ良い一日を!
「百聞は一見に如かず」と言われる。
直接目で見るにこしたことはない。
目で見ることだから、読書も入るだろう。
そう言えば、「読書百遍意おのずから通ず」とも言う。
どんなに難しい書物でも、繰り返して読めば、
自然に内容が理解できるという意味だ。
しかし、一見も体験に如かずだ。
体験の積み重ねこそ、人生の宝である。
今日も、どうぞ良い一日を!
人は、余程信念を持って目標を定め、
それを実行するための
手段方法まで決めていても、
三日坊主になりがちである。
「一年の計は元旦にあり」
などと気負って計画を立てても、
すぐに挫折しがちである。
だから、気負うことなく、
日々に出来ることを
気長にする積りで頑張ればよいのだ。
「人に、任せること」と、
「人に、依存すること」は、異なる。
人に任せるのは、必要な指示を出し、
そして責任は、自分が取ると言うこと。
人に依存するのは、指示も曖昧なまま、
ただ相手にぶら下がり、
当然自分が、責任を持つことまで、
人にかぶせてしまうことだ。
仕事は、人に任せられないと
大きくなれないが、
依存し、逃げていると、
自分自身が少しも大きくなれない。
今日も、どうぞ良い一日を!
「自分だけが、大変なんだ」
「苦労しているのだ」と、
常にその思いと言葉をまき散らしている人は、
まわりから、どう見られているだろうか。
「本当に大変ですね」
「大丈夫ですか」
「何かお手伝いしましょうか」
と言ってくれる人もいるかもしれないが、
普通は、敬遠される。
大変なのは、その人だけではないからだ。
もうすぐ、八月のお盆。
こうした機会に、お子さんやお孫さんに、
亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんなどの
思い出を聞かせてあげてはいかがだろうか。
その時に、写真などを一緒に見せてあげると、
より鮮明に記憶に残るはず。
生きているときのことを知らない相手でも、
幼いときに旅立ち、
どこか身近に感じられない相手でも、
語り伝えることで、家の歴史が繋がっていく・・
そんな時期でも、ありはしないだろうか。
今日も、どうぞ良い一日を!
ある会合で、
「皆さんは、自分のメンターと思う人と、
どのようなつきあい方をしますか」
と尋ねてきた人がいた。
ほとんどの人は、
「何か、相談したいとき
(意見を聴きたいときに)に会う」
だった。
あなたは、どうだろうか?
もしそうだったら、
相手の本気は、ほどほどにしか引き出せない。
自分に都合の良いときだけ
連絡してくる人の話を、
本腰を入れて聞く人は少ない。
そうは思わないだろうか。
今日も、どうぞ良い一日を!
今まで自分が行っていたことを
人に任せることは、一つの決断、
時には勇気だ。
「自分がする方が早い」
「自分がする方が、的確だ・・」
と言いたくなるのを抑えて、
人に任せ、そして責任を持つ。
それは自分がしたことでない失敗も、
自分が責任を持つことになる。
時として大変なストレスを
伴うことになるかもしれないが
この決断は、一つの分岐点となる。
勇気をもって
乗り越えてみては如何だろうか。
今日も、どうぞ良い一日を!
人の身体は、毎日同じようで、
その体内では、驚くほどの速度で、
血液がめぐり、体内の循環がなされている。
それが証拠に、ケガなどで、
身体の動きが少し止まるだけで、
手がむくんだり、足がむくんだり
ということが起きてしまう。
あれもやりたい、これもやりたい、
あれも必要だ、これも必要だ
と思い始めると、
あれも、これもいなければならない
となってしまう。
そう思って、やる気はあるのに、
そのどれにも手がつかずに、
気がついたらあっという間に、
一ヶ月過ぎていた
ということはないだろうか。