2012年8月15日 (水)

藤原大士の一日一言 
1286話 今日は、終戦記念日

今日は、終戦記念日だ。

戦後67年経ち、焦土と化したたくさんの都市は、

その傷跡も止めないほどに、復興しているが、

精神的な敗戦は、実はまだ続いているのではなかろうか。

国家の基本は、国民の安全、領土の維持

国の統治機構の三点とされているが、

他国から国民が拉致されても、

強く抗議することも出来ず、

自国の領土を外国から侵されようとしても、

のほほんとしている。

特に領土問題などは、

民主党が政権を取ってから、その現れ方が、

顕著になっている。

国民の生活が第一というが、

目先の生活だけでなく、政治家は

国家の基本は何であるのかを

もっと腹に据えるべきだ。

そして私達も、精神的敗戦のまま、

今日に至っているのではないか。

早くそれから抜け出し、精神的にも独立すべく

見直しをする必要があろう。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2012年8月 9日 (木)

藤原大士の一日一言 
1280話 長崎原爆に寄せて

今日は、長崎に原爆が投下された日だ。

広島の惨劇より、わずか三日後に、

長崎に二発目の原爆が投下され、

わずかのうちに、地獄絵図が繰り返された。

戦争の記憶は、段々と風化されると言われるが、

決して風化させてはならないのは、原爆の恐ろしさだ。

もしあなたが、広島、長崎の原爆を知らないならば、

それがどんなものであったのか、

ネットなどを通じてでも、見て欲しい。

今、核保有が国際的な駆け引きの一つのようだが、

それが使われたときには、どんなことになるか、

考えて欲しいのだ。

当時よりもはるかに大きな破壊力があり、

それらが使われたときには、一瞬にして、

人や国や,地球の未来はどうなるのだろうか・・

と改めて考えるときではなかろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2012年5月 4日 (金)

藤原大士の一日一言 
1183話 福島原発と水俣病

水俣病は、

熊本の化学工業会社であるチッソが

海に流した廃液が原因で

引き起こされた公害病だ。

水銀汚染の恐ろしさは、

世界的にも注目されることとなったが、

その後環境庁が、水俣湾の安全確認をして、

漁が再開され、一般には過去の公害病と思われていた。

最近のニュースで、

その後に生まれた若い世代の人にも、

水俣病が現われているという報道があった。

実際に、海底に沈んだヘドロの収拾は、

事件の後、何年も経ってからだったという。

水俣病の裁判が終れば、

人々の記憶から薄れがちだが、

人々の体内に蓄積した毒素は、

なくなってはいない。

水銀と放射能の違いはあるが、

共に、人の人体に深刻な問題を

引き起こすものだ。

今でも、福島原発の問題は

終息したとは言えないし、

震災後に流れ出た放射能の問題は、

水俣病の水銀の比ではないはずだ。

解決は、時間を追うほどに困難になっていくが、

既に一年以上経って、なにがどのくらい

「安全」な方向に解決したというのだろうか。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2012年5月 3日 (木)

藤原大士の一日一言 
1182話 福島原発と菅前総理 

東北大震災の際の菅前総理の責任問題が、

改めて浮上しつつあるようだ。

特に震災直後に、

福島原発に自らが出向いた事による、

一番大事時期の初動ミスは致命的だ。

総理は、国の総責任者だ。

一カ所だけに目を向けるのではなく、

全体の指揮を執らなければならない立場だ。

そして総理が出向いて、

説明を求められたこと等の、

応対に取られた時間とエネルギーを

原発の収拾に全力を挙げていれば、

もっと違う展開になったはずだ。

緊急時の対応こそ、

その人の力量が現われるというが、

未曾有の大震災の時に、この総理、

歴史に残る人災を

引き起こしてはいなかっただろうか。

しかしこれで終わりではなく、

世界的に見て、大震災は

規模なども拡大の傾向にあり、

本当にそれに対処出来る人材を

出す必要に迫られているはずだ。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2012年4月17日 (火)

藤原大士の一日一言 
1166話 原発「はじめに再開ありき」か?

政府の方針は、原発再開の方向にあるようだが、

安全確保のめどもつかないまま、

「はじめに原発再開ありき」で、

進めてはいないだろうか。

エネルギーの必要性は、

はじめから分かっていることだ。

従って安全性を如何に確保するかが

大事であるのに、

はじめに再開ありきで、

その為のゼスチャーとしか取れない会議、

時間稼ぎにしか過ぎない中身のなさは何なのだ。

四閣僚が、何回検討会議をしたかが

大事なのではなく、

「いかなる基準に基づいて、

どう安全か確保されたか」

という中身が大事なのだ。

それが示されないままの、ごり押し、

もしくはなし崩し的な進め方では、

県民や国民は、決して納得しないであろう。

今日も、どうぞ良い一日を!

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2012年3月11日 (日)

藤原大士の一日一言 
1129話 東北大震災に思う

今日は、東北大震災の日から、

ちょうど一年目の日だ。

あれだけの大きな災害を受けながら、

暴動一つ起らず、整然と秩序を保つことが出来た、

日本人は、なんと素晴らしいと、

世界中から驚嘆と賞賛を受けながら、

反面、政府のあり方が、

大いに問われた一年ではなかっただろうか。

なかなか進まない復興、

進んでいることは、民間レベルのことばかりか

と言いたくなるほど、

「一年経って、政府は何をしているのか」

と思っている人は多いのではなかろうか。

民間レベルで頑張っていることも、

政府レベルで決め、進めなければならないところで、

停滞しているように見えてならない。

マニュアル通りのことは出来る

優等生は多いのかもしれないが、

「想定外」という言葉が飛び交い、

マニュアルにない事態に対して、

考え、行動していく、

つまり道無きところに道をつけていく

と言う気概と能力が欠如しているのではないだろうか。

東北の問題は、一地方の問題ではなく、

日本全体の問題だ。

国の何分の一が壊滅状態になった

非常事態はまだ続いている。

一年目の今日、心よりご冥福をお祈りさせて頂くと共に、

もう一度「がんばろう日本!がんばろう東北!」

という気持ちを新たにしたいものだ。

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2012年2月13日 (月)

藤原大士の一日一言 
1102話 大阪維新の会というけれど

現在の日本の政治家を見て、

安心、満足している人は、ほとんどいないはずだ。

このままでは、日本はどうなるのだ、

こんな事をしていたら、日本はダメになる

と危惧しておられるのではないだろうか。

大阪で橋下市長が、大阪維新の会の塾長として、

塾生を募集したところ、

四百人の定員に三千人を越える

人の応募があったとか。

その面々には、現職の国会議員や地方議員、

官僚までもいたようだ。

しかし、現職議員など一部を除いて

人を絞ることもなく、

ほとんど全員受け入れるようだが、

果たしてそれでよいのだろうか。

人は、一度に大勢集めれば、

良い方向に動くよりも、

澱んだ方向に動きやすい。

まずは、この国を

どのようにするつもりなのか、

その目標と内容をはっきりとし、

核を作り、盤石なものにしてから、

その周りに、広げていくことが大切なはずだ。

船頭多くして、船山に登ることのないように

願いたいものだ。

今日も、どうぞ良い一日を!

☆ 今日は、神道のブログも更新しました。

第44話 一年の祈願 祈年祭

http://soseinippon.way-nifty.com/shinto/

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2012年1月25日 (水)

藤原大士の一日一言 
1083話 消費税と春闘に一言

今消費税率の引き上げが問題視され、

その前提として、国家公務員の給与が

七点何%か引き下げる案がある一方、

今年の春闘においては、

連合は、一%の定期昇給を確保の上、

さらに賞与を含めた上乗せと、

非正規労働者の賃金上乗せを主張し、

経営者側は円高等により、

定期昇給さえ厳しいと言う。

それぞれの立場における主張ではあるが、

どこかおかしくはないだろうか。

いつまでも、お互いが言いたいことを言い合って、

足して二で割る式の方法は

やめられないものだろうか。

お互いに相手の立場に立って、

総合的に解決出来るとよいのだが。

それぞれの立場における主張ではあるが、

どこかおかしくはないだろうか。

いつまでも、お互いが言いたいことを言い合って、

足して二で割る式の方法はやめられないものだろうか。

お互いに相手の立場に立って、

総合的に解決出来るとよいのだが。

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2012年1月17日 (火)

藤原大士の一日一言 
1075話 阪神大震災に思う

今日は、阪神淡路大震災があった日だ。

心からご冥福をお祈りしたいと思う。

6000人以上の方が、亡くなられ、

神戸の町は、目を覆うほどに壊滅状態だった。

それから17年。その間に

2004年 スマトラ沖大地震 M9.1

  死者22万人以上

2008年 四川省大地震 M7.9

2009年 サモア沖大地震 M8.1

2010年 チリ大地震 M8.8

2010年 ハイチ大地震 M.7.0

2011年 東北大震災 M9.0

こうして見ただけでも、数年おき、

あるいは毎年のように起き、

段々と規模が大きくなってきている。

地球全体を見てもかつての大地震は、

100年に1回あるかどうかであった。

そしてM9を超える地震など、ほとんど無かった。

しかし近年の地震、津波の大きさと、

その周期の短さは、

地球全体の歴史から見ても、明らかに異常である。

自然界の異変をもっと感じるべきではなかろうか。

自然の中に人は活かされている。

本日、心より黙祷を捧げると共に、

今を生きる人として、自然と共生する道、

人として為すべき事を改めて考えて見たい。

◆「100年に一回あるかどうかのことなどに、

予算はつけられない」と仕分けた政治家もいたが、

その直後の東北大震災をどう考えたのか。

如何に歴史も知らなければ、現状を把握することなく

政治をしているということではなかろうか。

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2011年11月12日 (土)

藤原大士の一日一言 
1009話 食べ物にもっと関心を

「食は、人を良くする」と書く。

そして健康や命を養うものでもある。

しかし最近は、その食が自分達の健康や、

命を養うものであるという感覚が、

弱くなってはいないだろうか。

国産のもの、無農薬のもの、

天然のものとこだわって探すと、

驚くべき事に気がつく。

世の中に溢れるほどにある食べ物だが、

如何に国産のものが少ないのか、

また天然の魚も昆布なども、激減している事を知る。

自分達の命を支える食にもっと関心を持つと、

環境の問題にも自然に目が向くはずだ。

ただ安い、便利なだけで、無関心な事は、

自分の健康にも無関心になってはいないだろうか。

TPPに参加すると、食糧自給率が

十三パーセントまで落ち込むと言われるが、

その後で、食料閉鎖をされたら、

日本は死活問題に直面することになる。

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