はじめに

目に見えない世界の存在

 「神様のお姿が見える。神様からのお声が聞こえる」と言うと、皆さんはどう思われるでしょうか。私自身も「神様からこのようなお伝えが・・」と言うと怪しげな眼で見られたり「あぁ、霊能者ね」と片付けられてしまうことが多かったのです。

 いろいろな神社の宮司様方とお話を致しましても、「昔はそういうご神示とかお伝えがあったかも知れないけれども、この文明の世にそういうことはあり得ない」と言われたのです。

 「昔の素晴らしく清らかな空気やきれいな水の頃でさえ、神様はいろいろとお伝えを下さったのに、今のようなこの世を神様は『よし』とされるでしょうか。以前にもましてお伝えをしてくださっているのではありませんか」と申し上げても、なかなか理解出来そうにありませんでした。

 神社界の人でこうなのですから、一般の皆様に「眼に見えない世界からの声が聞こえる」と言うと、皆さんはどうしても霊能者かいかがわしいものと一律に感じるのかもしれませんね。

 でも眼に見えない世界からの声は、神様からのお言葉もあれば、如来様や菩薩様といった仏界からのお言葉もあります。また、自分を導いたり、直接守ってくれる成仏されたご先祖様からの声もあれば、反対にまだ成仏していないご先祖様などからの訴えの声、俗に地縛霊と呼ばれる事故などで不幸にも命を落とされた方からの訴え、また動物霊からの働きかけまで、本当に千差万別ですが色々とあるのです。

 本当の神様からのお声ではなく、動物霊に操られてはいませんか? 昔話で、旅人が夜、野原で饅頭を見つけて、喜んで食べたら、馬の糞を食べさせられていたという話がありますが、でもそれは、昔話だけではないのです。今でも、そういう働きかけはきているのです。

 テレビで霊能者と称する人が、出て行っているものの中には、私には「これが神様か?」と目を疑いたくなるような番組があります。

 ずっと以前に、なんと「私には天照大御神様がのり移っている」と称する人がスイカを割ってわしづかみにして食べ、そのあとにお酒を入れてがぶ飲みをするというテレビ番組がありましたが、天照大御神様がそのようなことをなさられるでしょうか。神様に対しても失礼なことですし、企画する人も放映する人も、一考すべきではないかと思います。

 今の世の、目を覆いたくなるような事件等についても、神様は大変憂いられ、お嘆きです。また、本来の神様の他に、平安時代に魑魅魍魎のようなものまで、怖いものや不安なものを神に祀り上げてしまったものがたくさんあり、それに乗じていろいろな新興宗教が、信仰の自由に名を借りてはびこっていますので、皆さんとしては、一体何を信じればよいのか分からないという部分があると思います。

 そうした意味で、私がどのようにして神様に巡り会えたのかを披露申し上げ、素晴らしい日本人本来の姿に蘇って頂きたいと思い『本当の神様を求めて』と題して、明日の立春祭を期してお伝えをいたします。

         皇紀2668年2月3日 藤原大士

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