どんな思いで神前に立つか
神様に自分の思いが届く、それには、『念と言霊の作用』が重要なのです。
『念』と言いますと、むつかしいことのように思われるかも知れませんが、要するに強く思うことです。『念』とは、『今の心』と書きます。今現在のこの一瞬に、いかに強く、いかに集中した思いをするか、それが大事なのです。
神様に自分の思いが届く、それには、『念と言霊の作用』が重要なのです。
『念』と言いますと、むつかしいことのように思われるかも知れませんが、要するに強く思うことです。『念』とは、『今の心』と書きます。今現在のこの一瞬に、いかに強く、いかに集中した思いをするか、それが大事なのです。
「神様のお声を聞ける」「神様とお話が出来る」というと非常に特殊なことのように思われています。そして「特殊な人しか出来ないことだから」それを「霊能者(霊的に特殊な能力をもっている人)」という呼び方をしているのではありませんか。
現に私のことを「強い力を持つ霊能者」とか「本物の霊能者」などと呼ぶ人がいます。これは迷惑な話です。私は霊能者ではありません。
そして本来は、こうしたお伝えは、誰でもが出来得ることかと思います。その受け取りの方法を知らないから出来ないだけです。私達が『神の子』ならば、神様は私達の『親』です。親子で話が出来ない方がおかしいのです。
「神様、どうかお姿をお見せ下さい」と思った時には、神様の方からすれば、
「われを呼び出して、何の用じゃ」と逆に問われている筈です。
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神様の前では、「心鎮めて」と思いましても、初めの頃は、仕事の中のトラブルに気持ちが一杯になってしまう時もありましたし、時には怒りが納まり切れないまま東京大神宮に着いてしまったこともありましたので、それを何とか、神様の前に引きずらないようにと、必死で手水舎で手を洗い口を濯いで、参道を歩いたこともあります。
不思議なことに、参道の中ほどまで歩いている間に、気持ちは納まってしまうのです。神様の出しておられる波長が、自分勝手な怒りとは相いれなかったのか、あるいはその段階で禊祓いをして下さったのでしょう。
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くしふる神社のご祭神は、天孫降臨をされた二二ギの命様と、その時ご一緒に天降られました五伴緒神(五名のお供の神様)とされております天児屋根命様、天太玉命様、天宇受売命様、伊斯許理度売命様、玉祖命様でした。 さらに不思議なことは、この社殿に向かって右側は四皇子の峯と高天原遥拝所であり、左側は天真名井だったのです。
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「くしふる神社に参拝せよ」というお伝えをお受けさせて頂いたものの、場所が分かりません。今回はレンタカーを借りておりましたので、まずは天の岩戸神社へと出かけたのです。
そして高千穂神社へ向かっての帰り道、急カーブの小さなトンネルを抜けると、前方が下り坂になっており、右手に広場らしきものが見えたので、とりあえず車をそこに止めて、そこでくしふる神社のことを尋ねてみようということでその広場に行ってみると、何とそこに今朝ほど見せて頂いた鳥居と石碑があるではありませんか。そこは、くしふる神社の社前の広場だったのです。
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幣立神宮への三回目の参拝は、その翌年の五月でした。この時は、春木宮司から、
「明朝も参拝されてはいかがですか」
と言われましたので、神社のすぐ後ろにある知保焼という窯元のお宅でお世話になりました。
翌朝は、雲一つない晴天で、外に出るとまさに朝日が昇る時だったので、同行の者はまだ顔を洗っておりましたが、私は一生懸命真心を込めて拝みました。すると、大きな鳥居と石碑が目に写ったのです。そうして、そのお宮と思われる「くしふる神社に参拝するように」と言う声が聞こえてきたのです。
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幣立皇大神宮から熊本空港に行くまでの間に、阿蘇の湧水で有名な白川水源があります。湧き出た所から、左右に分かれてそのまま川になり、涸れることのない豊かな水量と清らかな水は、口にするたびに心が洗われ、お参りの帰りによく立ち寄ります。
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昨日は、やまめの里での癒しのひと時をご紹介しましたが、ただ心癒されるだけではなく、私にとってご神示をお受けした大切な所でもあります。
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幣立神宮にお参りに行くときに、二回目からずっと定宿にしている所があります。
場所は、五ヶ瀬町鞍岡にある『やまめの里』といい、幣立皇大神宮の宮司様にご紹介頂いたところです。
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待ちに待った幣立皇大神宮の参拝です。
久保田先生から当時の春木秀映宮司宛にお便りをして下さっておりましたので、大変ご親切かつ丁重に接して頂くことが出来ました。
「当社家も、あなたと同じ藤原の流れを汲むものですから・・・」
と言って下さったことも、安堵感につながったと思います。実際に社家には春日神社をお祀りしておられました。
幣立皇大神宮につきましては、いずれ詳細にお伝えしたいと思っておりますが、今回は参拝の流れに添ってお話したく思います。
恩師である久保田先生から「いずれ幣立皇大神宮に参拝するといいよ」というお話があった時には、矢も立てもたまらず「早速にも参拝したい」旨を申し出たのですが、残念ながら
「まだ早いね。このお宮は、伊勢神宮の元になるお宮で、大神様のいらっしゃるところだから、ただのお宮にお参りするようなつもりで参拝をしてはいけないよ」
と言われてしまいました。
「まだか、まだか」の思いのまま、結局参拝をさせて頂くのに、二年も待たされたお宮です。
私は自動車の中に乗っていたので、実際の高さは知り得ようもありませんが、二メートルか三メートル上昇したところで、急にタイムスリップをして、まるでスロービデオを見ているような感覚になって、今度はゆっくりと前へ移動を始めたのです。
そして、今、自分が本来滑り落ちるはずであった川の上を、ゆっくりゆっくりと進んでいるのです。私は、両手でしっかりとハンドルを握ったまま、身を前に乗り出して、その川底を覗いているのです。そして、そのことを自分自身が意識しているのです。恐怖感などまったくない、非常に不思議な時間でした。
やがて、車は向こう岸の上にやってきました。そこは、やっと自動車が一台通れるくらいの道が、川に沿って走っていましたが、私の車は川を横切って渡ったかっこうになっていたので、丁度その道を直角に横切る形になっていました。
すると、今度は自動車が真っ直ぐ下へ降り始めたのです。その時、やはり人の心というものは弱いと申しましょうか、微妙と申しましょうか、
「ひょっとしたら、助かるのかな」
と、こんな思いが脳裏を掠めたのを覚えています。
しかし、次の瞬間には、後五十センチくらいで地上というところで、今までのタイムスリップが解けて元の時間帯となり、「夢ではないぞ」と言わんばかりに、勢いよくドスンと、地上に叩きつけられたのです。そうして、これが証拠とばかりに、右側後部のタイヤだけが、パンクしていたのです。
車を降りてみると、驚いたことに、前も後ろも、十センチ余りを残しているだけで、ピタリと止まっていたのです。
ふと振り返ると、後ろから来ていたタクシーの運転手さんが、川を隔てた元の道路に車を止めて、車に身を持たせかけながら、さかんに「あ・・、あ・・、あ・・」と言っているのです。
しばらくして、ようやく声になった言葉は、「あんた、よくここを飛び越えられたね」ということだったのです。運転手さんは、声だけでなく、足もガタガタ震えていたので、車に身を持たせかけていたのでした。
「とてもとても、この川を飛び越えるなんてことは、スタントマンの方だって、出来っこありませんよ」と、思わず口に出そうな気持ちでした。だって、向こう岸は土手になっていて、その先は田んぼなのです。
放物線のように弧を描いて飛び越えたら、土手の上の道に直角にピタリと止まるなんてことは、とても出来るものではありません。勢いに乗って、今度はどてを滑り降りるか、直接田んぼの中に飛び込むか、いずれにしても車は田んぼの中ということになる筈です。
これは神業としか言いようがありません。そうなのです。これは神業です。丁度車が上昇し始めた時に、そのことを感じたのです。神様か仏様か、何かの力が私を救って下さっていると。瞬間には、弘法大師様かなとも思いました。
それは、万が一にも、高校生の生命を奪うようなことがあってはならないという思いで停車させたことが、おそらくご神意に叶ったのでしょう。
もしこれが、逆に高校生の列の中に突っ込んでもいいというようなことを思ってしたのであれば、おそらく私が生命を失う羽目になっていたことでしょう。
車の前方の中心より右側は土手になっていて、その先は田んぼなのですが、幸いなことに、左側は三十センチくらいの段差があるだけで、その先は広場になっていたのです。
タクシーの運転手さんは、近くの小屋から、長くて幅広で部厚い板と、四角い柱を持ってきてくれ、柱の方を左前輪に合わせ、板の方を右前輪に斜めに入れて下さったので、ゆっくりとその広場に車を移動することが出来たのでした。
親切な運転手さんは、近くの修理工場まで案内してくれました。その工場の社長さんは「〇〇のカーブかい。俺は、二年前にあそこで、正面衝突やっちゃったよ」ですって。そこは、魔のカーブだったのですね。
もっとも、私はその翌日、私の信奉する九州は熊本県阿蘇郡蘇陽町大野に鎮座されています幣立皇大神宮に参拝することになっていたのです。ですから、、そのご加護によるものであったのかも知れません。
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それは、昭和五十八年五月の連休明けのことでした。久しぶりに行事とは別に、みんなで寸又峡へ行った帰りのことです。他の者は皆「SLに乗りたい」ということになり、終着駅の金谷駅で待ち合わせることにして、私だけが乗用車に乗って、国道三六二号線をひた走りに走っておりました。
お茶の産地として有名な中川根町に入ってから間もなく、『く』の字を逆にしたような急カーブが見えてきた時、そこに高校生が十五・六名、前後に三列、左右に五・六名の形で、路一杯になって自転車を走らせていたのです。
彼らは、それぞれ話に夢中になって前方に向かっているので、後ろのことなどはとんと無頓着といった様子なのです。
私も、終着駅での待ち合わせのことがあるので、ある程度のスピードは出していたのですが、後ろから地元のタクシーが、さらにスピードを上げて接近しつつあったのです。
このままカーブを突っ走るとなると、彼らは話に夢中になって集団をなしている
ので、おそらく警笛を鳴らしても、誰かに接触するなり、何らかの事故につながるおそれがあると思ったので、万が一にも生命に危険を及ぼすようなことがあってはならないと考えたのです。
幸い、そのカーブの角の部分に、五六十センチも伸びた草むらが、広く続いているように見えたので、そこに車を止めようと思って、軽くブレーキを踏むと、まだ少しだけ距離のあったタクシーも、少しスピードを落としたようでした。
そこで、安心してその草むらに停車するつもりで、再びブレーキを踏むと、外見では充分に車の一~二台はすっぽりと停車出来る空き地のように見えたのですが、いざ近づいてみると、草むらは僅か四~五十センチの幅しかなく、その先は何と深さ二メートル余り、幅五~六メートルもあろうかと思われるコンクリートの川なのです。
すでに車はスピードを落とし、停車寸前の状態でしたから、後はズルズルッと川底に落ちるだけなのです。その瞬間、
「ああ、終わった」
そんな感じでした。
「駄目だ。助けてくれっ」
というような、切羽詰った緊迫感もなく、後になって、「あの時は意外に冷静で落ち着いていたな」と、今でも感心するくらいでした。
その時です。急に自動車がエレベーターのように上昇したのは。ズルズルッと滑り落ちるはずの自動車が、垂直に上っているではありませんか。
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さて、こうなりますと、人間とは欲の深いもので、今度は「早くお声が聞きたい」などと思うようになって参りました。
不思議なもので、神様に逢いたいと思って恋焦がれております時には、なかなかお逢いさせて頂けませんでしたが、その思いにこだわりがなくなって、一生懸命に神様のことをさせて頂いていると、お逢いさせて頂けるのですね。
このことは、お声を聞きたいという点でも同じでした。「お声を聞きたい、お声を聞きたい」と思っている間は、なかなかお声を聞くことはできませんでしたが、こちらがそのこだわりを忘れ、夢中で神様のことをさせて頂くようになってしばらく経ってから、突然にお声がかかったのです。
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比売神様は、手に檜扇を持ち、女雛のようにあでやかな着物姿で、まさに龍宮城の
乙姫様のようなお姿でした。
頭髪も、若いお姫様の桃割れというのでしょうか、とにかく絵に描かれた乙姫様をほうふつとさせるお姿なのです。
この世に、こんなにもお美しいお方がいらっしゃるのかと、固唾を飲んで見とれてしまいました。比売神様は、じっと私の方を見つめたままでした。
不思議なことに、その比売神様のお顔が、十五~六歳くらいから二十七~八歳くらいまでの間を、すーっ、すーっと何度も変わられるのです。美しさには何の変化もないのに、お年の点だけが、なぜか若くなったり加齢されたりと変化をして行くのです。
少なくとも、私にはそう感じられたのです。おそらく、髪型などが変化したのでしょうが、その点については、今もって特に記憶はございません。
三分くらい経ったでしょうか。じっと私の方を見つめておられた比売神様は、「特に用はないのかな」という感じと、不審な様子もないと確認をされたご様子で、パッと消えてしまわれました。
それと同時に、私もわれに返りました。建物も、現実のものよりは遥かに極彩色だったことが、目の前の元のご社殿を見てわかったのです。
その瞬間に、「しまった!お声をお掛けすればよかったのに、どうしてお声をお掛けしなかったのか。お声を聞きたかった」と残念に思いましたが、それはわれに返ってからのことで、すでにお姿は消えておられてからのことです。
お姿をお見せ頂いた時には、ただただ比売神様が、それも今までとは異なり、総天然色で、しかも「目の前におられる」という驚きと、その美しさに見とれていたのですから、致し方ありません。
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神様との接しは、初めは「なんとなく、そう感じただけだろうか」から「丸いひかりのように見える」「今日はいらっしゃるとはっきり感じる」「色で感じさせていただいた」といろいろな段階がありましたが、「神様のお姿を、ついに全身総天然色で拝顔させて頂くことが出来た」時がやってきました。
最初にそうした形でお会いさせて頂いたのは、宗像の比売神様でした。
宗像の比売神様は、お三方いらっしゃいますが、天照大御神様の御子様でございますので、やはりご縁が深いのでしょう。
古事記によりますと、福岡県宗像郡の沖の島にございます『沖津宮』に『多紀理比売命様』が、大島の『中津宮』に『市寸島比売命様』が、玄海町田島の『辺津宮』には『多岐津比売命様』が鎮座しておられるということです。
もっとも、日本書紀と神道辞典では、中津宮と辺津宮の神様が入れ替わっているようです。
この宗像の三比売神様は、天照大御神様の「汝三神天孫を助けて、天孫に斎かれよ」とのご神勅により、宗像の三か所に鎮祭されたと言われ、『海北道中の守り神、道中の道主の神』と称えられています。
私が、その時にお会いさせて頂きましたのは、辺津宮の神様です。数名の方とご一緒に参拝させて頂いたのですが、頭を下げた時に、額の辺りに、何となくいつもの神社参拝とは異なった感じを受けたのです。
建物としても、歴史と由緒のあるたたずまいを持ち、立派なお社には違いありませんが、単にそうした格式とか風格とかという雰囲気から来るものだけではなく、何ともたとえようのない空気の荘厳な神社です。
あえて申しますと、目には見えないけれども、「神様がいらっしゃるのでは」という感じなのです。
そこで、私は、他の方々には休憩所で休憩をしてもらい、先程参拝をさせて頂いたところより一歩前に出て、改めて念を込めて伏し拝ませて頂いたのです。
すると、突然目の前の建物が極彩色の建物に変わり、別世界に入り込んだように、目の前に、美しい姫神様がいらっしゃったのです。比売神様も驚かれたご様子で、突然の闖入者に、「何者か」という感じで、じっと私を見つめておられました。
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とにかくロックされたままの車を開けて中に入らないことには、車を置いて京都から東京までいったん戻らなければなりません。
「ああ、赤い色はこのことだったのか」と、針金を探してきて何とか開けようとするのですが、全く反応がありません。五十分もそうしていたのですが、開けることは出来ませんでした。その日は、雲一つない晴天のため、顔面はもう流れる汗で一杯です。
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いよいよ一連の参拝も、終わりに近づきました。
翌日、石清水八幡宮、弘法大師様の東寺、平安神宮、上賀茂神社を巡り、最後に下鴨神社へ参りました。上賀茂神社では、丁度葵祭のリハーサルをしていました。ご祭神は、賀茂別雷神様です。
次いで下鴨神社へ。この宮は賀茂御祖神社と称し、ご祭神は東殿が玉依媛命、西殿が賀茂建角身命様です。地元の人は神社の駐車場をご存知なのでしょうが、最初だったので一回りしてもわからず、正面の民間の駐車場に止めて、長い参道を進んで無事参拝を終えました。
これで今回の神社参拝のすべてが終了し、「やれ、やれ、さあこれでいよいよ東京に帰れるぞ」と思いつつ参道を戻っていると、印鑑の神様・契約の神様と書かれた小さなお社が目に入りました。「ああ、仕事に関係があるかな」と思って、軽い気持ちでお参りしたのですが、手を合わせて目をつぶると、少し黒味がかった濃い赤い色が目に浮かんだのです。
「赤信号? 」透き通った赤ならともかく、黒っぽい赤だったのでなんとなくいやな気持ちになりました。「何かストップがかかったのだろうか」
「余計なことをしないで、本殿を参拝したままで帰路に着けばよかったのだろうか」と思い、合わせていると、やがて黄金の色に変わるのです。
「黄金は、神様の世界の色ではないか。何でこう変わるのだろうか」と、どういうことだか分からないままに、参拝いたしました。
神様を表わす最高の色、黄金にに変わったとは言え、参拝を終えてからも、やはり気になります。丁度横手に、今度は十二支の神様を祀っている小さな社殿があったので、早速私の年回りの子年の神様に参拝すると、またもや丸くて赤い色が目に映るのです。
後に「色には、色霊がある」ということを知るのですが、そのときにはなんとなく足止めされたような、不吉とまでいわなくても、なんとなく気になるものを感じていました。
仕方なく長い参道を戻り、車の所に戻ってきて驚いたのです。何ということだろう。 自動車に鍵を差し込んだまま、ロックしていたのです。そしてエンジンをかけたままであったらしく、そのエンジンが止まって、赤いランプがついていたのです。
一連の神社参拝からは少し寄り道になりますが、両親が所要のため、四国から神戸まで来るというので、一路神戸へと向かいました。久しぶりに両親と会って懇談のあと、本来は東京まで一気に戻ってくる予定でしたが、久保田先生から、「その日は、年月日共に、東西の方向では、交通事故の起こりやすい日であるから、途中京都あたりで一泊した方がよい」と言われていたので、京都の遠縁の家に泊めてもらったのです。
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さて、春日大社の南門をくぐると、このご社殿と拝殿の間のやや左手にあるご神木が、こともあろうに地上三メートルくらいのところの大枝を切った切り口が、分かれ目から三十センチくらい残して、正面を向いて大きく口を開けているのです。
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さて、奈良市内に入ったのは入ったのですが、丁度ゴールデンウイークの連休中に当たっていたので、どこのお宿も満員で、宿が取れないのです。とにかく急いで出発したため、連休など念頭になかったのです。
「いよいよ野宿か」ともかく腹ごしらえをしなくてはと思い、大衆食堂に入って夜食に近い夕食をとりました。
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談山神社は、どんなところかご存知でしょうか。一般には、重要文化財である十三重の塔や秋の蹴鞠の神事などが有名です。また藤原鎌足公をお祀りしている神社です。
大化の改新の前に、中大兄皇子と藤原鎌足公がその山で談合をされたといわれる場所があります。
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まずは、その時行った参拝の流れをご紹介します。
伊勢神宮の後は、猿田彦神社、二見が浦の興玉神社に参拝し、奈良の方向に向かいました。
山あいに入ったときに竜神の姿をした雲が現れました。それはずっと道案内をするが如くに、宿に着くまで続きました。宿に着く直前には、その竜神の口のところに夕日が来て、竜神が夕日をくわえているような姿になりました。
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神社界でも、「あの人は、生涯に一度神様にお会い出来た人だ」とか、「一度だけ神様のお声を聞くことが出来た」というだけで、大変なことのように思われているようです。
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伊勢神宮では、神気に満ちたいろいろな不思議を体験させて頂きました。
ある時は、伊勢神宮を参拝しての帰り道、神楽殿横の社務所と言うのでしょうか、お札を売っている所を曲がって少し宇治橋の方へ進むと、手水舎の奥にお池が見えたのです。いつもは余り気になりませんでしたが、その時は何となく気になって、お池の傍まで入って行きました。
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四月下旬の東京大神宮での例大祭の日のことです。いつものように参拝をしていると眼前に、底の小石まで見える清らかな川の流れが見えてきたのです。
「
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神様のお姿を拝して、神様にお出ましを頂いたりする状況も、さらに少しずつ強まり、かつ深まって参りましたた。そしてそれから三年ほど後に、遂に神様のお姿を、全身総天然色で拝顔させて頂くことが出来るようになったのです。
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神社で今までと違った感覚をはじめて感じさせていただいてから、参拝毎に、段々とその色も少しずつ濃くなり、やがて橙色から黄色味を帯びるようになり、さらにそれが、黄金の色に変化して光を発するようになり、しかもその色合も濃くなって参りました。
ですから、「今日は、神様がいらっしゃる」とか、「今日は、どうもお留守のようだな」、ということくらいは、何となくわかるような気がするようになったのです。
そうしますと、今度は単なる円形ではなく、その下に人の胴体のような形まで見えるようになって参りました。雪ダルマのように太くもなく、コケシのように細くもなく、丁度幼い子が描く人のような形です。
まだ、手とか足とかは見えません。まして、顔の中の、目・鼻・口等は、発している光の中で皆目わかりませんし、髪型などもわかりませんが、お姿の輪郭だけは、はっきりと拝することが出来るようになったのです。
この段階でも、こうしてお姿をお見せ頂く時には、「神様がいらっしゃる、お出まし頂いたのだ」、という実感を持つことが出来るようになって参りました。
でも、このお方が、大神様かどうかは、まだわかりません。後でわかった時には、このお方は、天照大御神様でした。東京大神宮は、伊勢神宮のご分社であり、天照大御神様の御社なのですから、当然といえば当然のことでした。