何を心の支えにしたか (名刀の鍛え)①
こうして、何千万円かの借金を背負って、受験指導の職から退却をすることになったのです。これは、大変なことです。
しかし、大神様は、二年余りも以前から、「人を裁くような職に携わる者を養成することはやめよ」と言っておられたのにもかかわらず、私が「ああでもない、こうでもない」と言って逆らっていたのですから、「自分が悪かったのだ」と必死で言い聞かせようとしました。
こうして、何千万円かの借金を背負って、受験指導の職から退却をすることになったのです。これは、大変なことです。
しかし、大神様は、二年余りも以前から、「人を裁くような職に携わる者を養成することはやめよ」と言っておられたのにもかかわらず、私が「ああでもない、こうでもない」と言って逆らっていたのですから、「自分が悪かったのだ」と必死で言い聞かせようとしました。
私の母は、ある種の強い霊感を持っていました。
戦後間もなくの頃、「今日、東京の叔母さんが来るよ」と、朝食の時に突然言い出し、それ迄何の音信もなかった父の叔母だけに、父も私達も、「そんなバカなこと」と笑っておりましたところ、夕刻になってひょっこりと、本当にその叔母が訪ねて来たり、ある意味で予感というのでしょうか、いろいろなことがよく当たるという面がありました。
中学生になると、学校の工作室の窓ガラスが汚れているのがなんとも気になって、一人で遅くまでガラス拭きをしたりしているうちに、学校中の窓ガラスの割れも気になりだし、校内の見回りのようなことをしていた時期もありました。
そんな所は当時でも変わり者でしたが、なんとそのうちに、見回りを頼んでくる日直の女の先生まで出てこられ、今にして思えば「先生の職場放棄」なのですが、そうしたこともあってか、卒業式の時には、その他の賞状の他に、特別に『学校功労賞』を頂いたりもしました。
終戦後に父が復員してきてからも、店を新しく立て替えるということで、大きな料亭の倉の二階を借りて住み、そこで弟妹に食事をさせてから両親のところへ弁当を届け、それから学校へ行ったり、炊事洗濯の一切をした時期もありました。
面映いことですが「昭和の尊徳さん」と称される一方、「継子と間違えられた」と、後年母が苦笑したりする時期もありました。
私は、小学校四年生で終戦を迎えました。
大人だけでなく子供も、皆それぞれの形で、大きな時代の変化を感じながら日々を過ごしていました。
特に戦争中毎日のように、「最後の一人になっても戦え」「米英鬼畜」と教えていた同じ先生の口から、終戦の翌日に正反対の「右のほほを打たれても、左のほほを出せというよ」と言われたときには、何を信じたらいいのかが分からず、今まで「絶対」と信じてきた教師が実は信じられない存在であったというのは、大変なショックでした。
そして昨日まであんなに毅然として自分たちに向かっていた先生が、突然腑抜けのようになってしまったことにも、「なぜ?」と言いようのない思いでした。
戦時中、子供の私も「九死に一生」という体験をしました。
ふるさとは、四国の愛媛県の伊予市です。当時は伊予郡郡中町と言っていました。瀬戸内海をはさんで、ちょうど広島と向かい合っている所です。広島には大本営(当時の日本軍の中枢)があった関係で、アメリカ軍の攻撃もそこに集中していました。
広島空爆の帰りに、残りの爆弾を松山市や伊予市に落としていくのです。自分の真上に落ちてくるように見えたときには、実際にはかなり先のほうに落ちていき、後方に落とされた爆弾は、かえって危険でした。
小学校の一年生の秋祭りからは、母の里へよく行ったものです。一時期などは、毎週のように、土曜日になると出かけて行きました。
祖父が草履を編んでくれたり、祖母が囲炉裏で焼き芋をしてくれたりするのが、楽しみだったのです。母の里は、駅を降りてから、四キロも山道の田舎道を歩かなければなりませんでした。
今日から、私の子供の頃の話をしたいと思います。
私自身が、現在色々な方のご相談をお受けするにつけ、その人が「いざという時、追い詰められた時に、乗り切れる力」は、どうも「子供の頃にその基礎がある」のではないかと感じることが多いからです。
「自分が、なぜその時(倒産)を乗り切れたのか」いえ、乗り切れただけでなく、その機会を通じて「神様に対しての道を開くことが出来たのだろうか」
神様から「人を裁く人を養成する仕事(法律家を育てる仕事)は、やめよ」と言われてから二年余りたったころです。
その間、その理由を繰り返しお伝え頂いていたのですが(その過程は、前日までのブログをご覧下さい)、それにもかかわらず、二年あまりも、「ああだ、こうだ」と、繰り返していたのです。
しかし、とうとう私自身が、神様の裁きを受ける羽目になってしまいました。
「歴史に残る名奉行が、決して神様の目から見たらいい評価をされていない」といことは、大変に以外でもあり、またショックなことでした。
「何が人の本当の値打ちなのか?」ということも、この時期改めて感じさせられたものです。「人が評価する、その人の値打ち」と「神様の目から見ての、人の評価」の間には意外な隔たりがあることも知りました。
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神様から「人が人を裁いてはいけない」そして「そうした人を養成することをやめよ」といわれても、わが国で一番難かしい試験と言われております司法試験に、当時は毎年三十名以上の合格者を出しておりましたし、すでに引き受けていた生徒さんも大勢おられ、おいそれと辞められる状態ではありませんでした。
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私自身、最も強く神様を求め、神様に語り掛けをするきっかけとなりましたのは、経営していた会社の倒産でした。
多額の債務をかかえ、家族は離散し、私はその不安とストレスのため、一時顔面マヒにまでなってしまいました。
ただ、不思議なことに、この時は、何年も前から、神様に言われておりました
「人を裁く権利は、人にはない」
という言葉を、この時ほど強く感じたことはなく、また、この時はこの言葉が素直に心に響いてきたのです。
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神様は、難行苦行ではなく
「おのれの身を清め、心を清め、霊魂を清めるには、自らの家にて、風呂に入るときに行なえばよい」
と言って下さったのです。
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いろいろとこうして身を清め、心を清め、魂をも清めて頂きましたが、これらはすべて神様からのお計らいによるもので、自分自身が特に何かをするというようなことはしておりませんでした。
それで、「これではいけないのではなかろうか」、と思うようになったのです。古の人達、殊に名僧高僧と言われた人達がしたと言われるような修行は、全くと言ってよいほど何もしていないのですから、少しはしなければならないのではないか、と気になってきたのです。
そうかと言って、「いまさら山野を跋渉し、何年も何か月も空白の時を持つことも叶わないであろう」などと考え、てっとり早くと言うとお叱りを受けるかもしれませんが、滝に打たれる滝行などが良いかもしれないと、滝行を思いついたのです。
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しかしどんなに「体内に溜まった汚れを、取り除くことが大切」と言われても、それを押し流すことが出来ない分が日々体内に溜まるのですから、年月をかけて溜まってしまったものを押し流すには、それだけの力が必要になります。
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私の所に相談に来られる人の中にも、その場で病気が治り、また、相談事の内容が解決しなければ気に入らない、そうでもしなければ、神様を信じない、信じることは出来ない、と言わんばかりの人もいますが、人の身体にこれほどのものが溜っている以上は、これを取り除く期間が必要な方もあるのです。
特に慢性病、生活習慣病と言われる人は、長年にわたって体内に蓄積してきた汚れは、想像をはるかに超えるものです。特に病気でなかった私ですら、神様の事をさせて頂いて何年かたったときに出た汚れは、信じられないほどのものでした。
一回に和式トイレのおまるを超えるほどの宿便が出たり、一日に丼鉢三杯もの痰が出たりしたのです。(関心のある方は、4/8~4/12までのブログをご覧下さい)
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神様のことも、いろいろとさせて頂いているうちに、こうした体内の汚れや穢れも、自分自身で意識してとれるようになって参りました。そこで、普段にはなかなかまとまった日が取れないので、正月の三が日を利用して、こうした汚れを取って頂こうと思い、神様にお願いをしてから始めたところ、元旦早々丼鉢三杯の痰が出たのです。
初めて宇佐の八幡様にお参りをした夜、別府温泉に宿泊をし、夕食を済ませてから、市街地を散歩しようと出かけてすぐに、大変尾篭な話しで恐縮ですが、少しもよおしてきたものですから、急いで宿に戻り、トイレに入ってから驚いたのなんの。と申しましても、皆さんには分かりかねるでしょうが、私自身にも信じられないほどの量の便が排泄されたのです。
普段の何十倍になるでしょうか。あのおまるの中一杯、しかも山盛りの感じです。信じられますでしょうか。用を終えた時には、一瞬これをどうやって流そうかと思いました。
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こうした毒素の出方は、人によって異なるようです。私の場合には、さらに次に述べます『宿便』や『痰』という形で出ましたが、人によっては皮膚に吹出物として出たり、頻繁な下痢として出たり、青鼻汁や耳汁、目やになど、さまざまな形で出して下さいます。
もともと食べ物や飲み物については、大小便や汗などで排泄出来るように作られていますが、私達の身体は薬についての排泄装置は用意されていないのです。だから、特別のご神縁によって取り除いて頂かない限り、半永久的に体内に残ってしまうのです。
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人の身体には、長い年月の間に、信じられないほどの汚れが溜っているものです。毎日掃除をしていても、毎日毎日埃やゴミが出ることを考えれば、人の身体にもそうした汚れが溜っていても不思議ではないのかもしれません。私は、そんな経験をさせて頂いたのです。
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神様のことをさせて頂くようになって、間もなくの頃のことでした。私は、突然膝のところまで水につかり、道路が川のようになって、濁流が流れるというほどの大雨に見舞われたのです。下着まで、ビショビショのビッショリ、という表現でも足りないほどの大雨でした。
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今一つの『言霊』につきましては、決して『大きな声で』というわけではありませんが、『はっきり』と、言葉に出して言って下さい。
皆さんは、往々にして、両手を合わせ、胸のうちで願い事をされることが多いと思います。しかし、これではなかなか願い事は叶いにくいのです。
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また願い事についても、たくさんの段階があることに気がつくようになってきました。例えば一口に「商売繁盛」と願われましても、それが「自分だけの商売の繁盛」を願っているのか、「取引先や従業員のことも考えて、共に商売繁盛」と思っているのかどうかによっても違うのです。
神様は、当時の私が、自分だけの願い事から、神様の『意に乗る=祈り』へと転換するようにされたのだと思います。
一般には、神様のところに行くのは「自分の願いを叶えてもらいに行くもの」と思われています。ですが段々に神様との接しが深くなるにつれて、神様に対しては自分の願い」を聞いて頂くだけでなく、さらに神様の「ご意思を伺い、それに添って人生を過ごす」という、「祈り= 神様の意に乗り過ごす」があるのだということを感じるようになってきました。
人は、一生懸命に日々を過ごしていても、何か満たされないものを感じることがあります。これは天命との関わりが大きいのです。どんなに社会的な名声を得ようとも、経済的に成功しようと、自分がこの世で成し遂げるべきことをしていないときには、こうした満たされなさを感じることがあります。
このことについては、「天命に生きよ」という小冊子がありますので、関心のある方はどうぞお読みください。(ご希望の方は、メールか電話などでお申し込み下さい。郵送します。一部500円です)
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一般に「あの人は、一生懸命しているのだから・・」と言うと、「たとえいたらなくても、それ以上責めたらいけない」ように思われています。つまり「一生懸命」ということは、「いいことの代名詞」のように使われているかと思います。
この『一生懸命』については、大神様からこのようなお叱りを頂きました。
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ではどうしたら神様は、お姿をお見せ下さるのでしょうか。
今振り返ってみますと、ある気持ちが高まって、それなりの回数が重なってきた時に、初めて神様に通ずるものがあったのではないかと思います。