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2008年4月26日 (土)

私の子供の頃 (5)信じられるものは何?

私は、小学校四年生で終戦を迎えました。

大人だけでなく子供も、皆それぞれの形で、大きな時代の変化を感じながら日々を過ごしていました。

特に戦争中毎日のように、「最後の一人になっても戦え」「米英鬼畜」と教えていた同じ先生の口から、終戦の翌日に正反対の「右のほほを打たれても、左のほほを出せというよ」と言われたときには、何を信じたらいいのかが分からず、今まで「絶対」と信じてきた教師が実は信じられない存在であったというのは、大変なショックでした。

そして昨日まであんなに毅然として自分たちに向かっていた先生が、突然腑抜けのようになってしまったことにも、「なぜ?」と言いようのない思いでした。

子供にとって最も信じられるのは、親と先生ですが、その先生から、強烈に不信感を味合わされて、本当に信じられるのは何か、先生のいうことを鵜呑みにするのではなく、「自分の判断をする必要がある」と小学校四年のときに感じたことが、その後の自分の人生に大きな影響を与えた気がします。

だから自分からもっともっと学びたいと思いました。先生に言われるままに学ぶのではなく自分から求めて学ぶ、上級生の使わなくなった戦前の教科書をもらってむさぼるように読んだり、小学校から漢字を覚える工夫をしながら、高校一年の時には東大の入試の模擬試験に合格点を取れるまでになったりしていました。

ただ、今と違うのは、受験のための勉強ではなかったということです。自分で正しい判断が出来るようになりたい。

こんないい加減な先生になんかに負けるもんかという気持ちでした。

その影響か、高校のときの源氏物語の授業にエロ話しかしない先生に「もっと文学的な話のはずなのに、そんなエロ話ばかりしないで、まじめに授業してくれ」といってしまい、それに腹を立てた先生が授業放棄している一週間くらい、先生に代わって授業を受け持つことまでしていました。

「真実は何か」「本当に信じられるものは何んなのだ」と求めていったことが神様に繋がる遠因だったのかもしれません。

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