私の子供の頃 (1)
今日から、私の子供の頃の話をしたいと思います。
私自身が、現在色々な方のご相談をお受けするにつけ、その人が「いざという時、追い詰められた時に、乗り切れる力」は、どうも「子供の頃にその基礎がある」のではないかと感じることが多いからです。
「自分が、なぜその時(倒産)を乗り切れたのか」いえ、乗り切れただけでなく、その機会を通じて「神様に対しての道を開くことが出来たのだろうか」
一番は、もちろんその時に、神様を信じて進んでいったことです。しかしその基礎となる子供の頃、どんな体験をしたのかを見直してみたいと思います。時代は第二次世界大戦のころです。
自分では、それほど苦労とは思いませんでしたが、母は、よく
「お前には、苦労をさせたのう」と申します。
私が幼稚園児の時、父が赤紙による召集によって兵隊に行ったものですから、母が家業の床屋をし、漁師町であったため、漁から帰る人達が、早朝から詰めかけ、夜遅くまで客が絶えず、昨今とは異なり、当時は労働基準法などももちろんありませんでしたから、母は夜も十二時近くまで働いておりました。
ですから、私も十二時頃に、お店の掃除をしてから休むのが常でした。まだ小さかったものですから、床に落ちた髪の毛などを掃き集め、ふと頭を上げると、よくハサミやバリカンをのせている台の下側に頭をぶつけたものです。
また、洗髪用の水も、今のように水道ではありませんでしたから、井戸からバケツで水を汲んできて、くるくる回る丸椅子を使って、私の背よりも高い用水タンクに入れるのです。一寸でも油断をすると、椅子が回って、頭から水を被ってしまいます。
幼稚園や小学校低学年の男の子が、坊主頭で頑張っていても、バランスを崩して頭から水をかぶっている姿など、当時は珍しくなかったかもしれませんが、冬など凍るような思いをしながらも、毎日続けていたことを思い出します。
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