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2008年4月23日 (水)

私の子供の頃 (2)

小学校の一年生の秋祭りからは、母の里へよく行ったものです。一時期などは、毎週のように、土曜日になると出かけて行きました。

祖父が草履を編んでくれたり、祖母が囲炉裏で焼き芋をしてくれたりするのが、楽しみだったのです。母の里は、駅を降りてから、四キロも山道の田舎道を歩かなければなりませんでした。

さすがに、冬の木枯らしの時は、身に沁みました。途中に山と山の切れ目があり、そこから谷あいに向けて吹き降ろす風の冷たく強いこと、身体が冷え込むのと、吹き飛ばされそうになるのを、必死で耐えたものでした。

母と一緒の時は、母がお米や野菜などを、背に背負ったり、両手に持てるだけの荷物を持っているものですから、私も小さいながら、風呂敷に包んだものを背負ったり、にんじんやごぼうなどを、新聞紙に包み、わら縄で括ったものを手に提げて帰ったものです。

 道のりが遠いだけに、家の近くになると、ポロポロと涙を流しながら、それでも歯を食いしばって、黙って母の側を歩いていたそうです。

 その印象が強いために、母は私に苦労をさせたと思っているようです。

 私にとって、印象に残っていますのは、小学校四年生、つまり終戦の年の師走に、お正月用のお餅を二臼背中に背負って帰った時のことです。もちろん、両手にも荷物を持っておりますが、長い道のりを歩いて、いよいよ駅というところが上り坂になっ

ていて、途中に魚の群れを見る物見があり、そこの階段に背中の荷物を乗せようとしたところ、思っていたところより一段下になってしまい、荷物の重みで仰向けになったまま、バタバタしなければならない羽目になってしまったのです。

 しばらくして、通りがかりの大人の人に助け起こされるまで、苦しい思いを致しました。

 その翌年頃からは、母の末の弟に当たる、三つ年上の叔父が、帰りは駅まで自転車で送ってきてくれるようになり、この自転車に乗せてもらうのも、楽しみの一つになったものです。

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