蘇れ日本人 (3)
第一冊目の書物「神から人類への啓示」では、『人徳者、神徳者を求める』とあり、いろいろな方にお見え頂きました。しかしながら、世の中を動かすほどには至りませんでした。
大神様の直接のご意思ではなかったのですが、出版社の意向でノストラダムスの大予言の一部を挿入致しました。また大神様のご意図としては、「まだそなたが如何に論じようとも、今の世ではなかなかに信じてはもらえないであろう。それゆえ、既にアインシュタインをして言わしめてあるから、その言葉を引用せよ。アインシュタインの言葉ならば、皆の者も信ずるであろうほどに」ということでした。
その後は、何の宣伝もしていないのに、北海道から九州まで、どこからどう伝わっ
たのかさえ分からないほど、いろいろな方がお見えになられました。ある時、北海道
から小学四年生の子供さんを連れて、「一週間で治して下さい」と言って、春休みにや
ってきたお母さんがおられました。
ただ、いかがわしい者の言動には、くれぐれも惑わされぬよう、ご注意下さい。「お釈迦様の生まれ変りだ」とか、「何々の生まれ変りだ」などと言っている人がいるようですが、そういうことはあり得ません。
こうして、大神様をはじめ神々様が、大宇宙へお出掛けになられた後、人々に教えを説き、人の世を導いて参りましたのが宗教であったのです。しかし、大宇宙へお出掛けになられた大神様をはじめ神々様が、すでに昭和三十七年にご帰還遊ばされたのですから、その留守を守られた宗教の時代は終りを告げることになったのです。
また、大日如来が天照大御神であり、阿弥陀如来が八幡様で、薬師如来が春日様であるなどと、本地垂迹説なるものが云々された時代もありましたが、これは縦の神々様がお留守になられたので、縦と横の十字を九十度右回転させたために、横であったものが縦になり、縦であったものが横になった状態を指して言ったものです。
それはまさに大自然そのものという感じであり、だからこそ悟りの境地と感じたのでしょう。場面はどんどんどんどん出て来て解明されるのですが、なるほど『神様の世界は念の世界』と言われるように、言葉ではなく、ただその時に通ずる奥のところ、自分の身体の中でも奥のほう同士で通じ合うような感覚でした。
家内は、後から、「今でも、あの時なぜ悟りを開いたようなお方と感じたのか、よくはわからない」と言います。
では「何で悟りと感じたのか」と聞くと、「深山幽谷の樹木が発する木の気というもの、でも俗に言う森林浴の空気の感じとは全く異なるもので、そう感じたのだ」と言います。
弘法大師様がお出ましになられてからしばくして、大変に苦しんでおられるご様子のお坊さんが、次々と助けを求めて出てこられました。ところがお伝えを聞いていると驚くことに、人の世では名僧・高僧と呼ばれるような方々まで、そこに何人もおられるのです。「なぜこのようなご高名な方が?」とはじめは大変不思議に思いました。よく伺ってみると、弘法大師様の即身成仏を真似て旅立たれた方たちだったのです。
「頼みますよ。あの山は、あの山は、あんな山ではありません。高野の山と、高野の山と同じように、同じように、わたくしが、あそこに一つの庵を開いた時のように、どうぞ、どうぞお願いを致します。どうぞ、どうぞお願いを致します」
「そのように、努めさせて頂きます」
「有り難うございました」
「ほんとうに、ほんとうに有り難うございます」
「こちらこそ・・申し訳ございません」
「よろしくお願い致しますよ」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
「有り難うございます。あなた方は、大神様のもとを、決して、決して、離れてはなりません。どんなに苦しい時や、どんなに悲しい時も、大神様のもとで、師と共に歩んで下さい。
「そんなことはございません。いにしえに、わたくしは、わたくしよりお年のお若
い海阿闍梨様に、師弟の労をとりました。知っている者が、知らない者を教え導くことが大切なのですよ。どうか、物覚えが悪い」
「とんでもございません」
「理解力もない、こんなわたくしですが、一歩一歩導いて頂けますね」
「恐縮です。こんな私でよろしければ・・」
そして、勧学生として、時の帝のお力により、大切な勉学をさせて頂き、この日の本の国に帰って参りましたが、わたくしのあとからお戻りになられました海阿闍梨様の御請来目録(ごしょうらいもくろく)を見て、わたくしは非常に驚きました。
わたくしの持ち帰りました法華の教えよりは、もっともっと奥が深く、もっともっと意味ある教えであったのでございます。
この日を境に、私の頭は、冴えに冴え、十人でも二十人でも、すべての人の話を、同時に聞き分けることが出来、また素晴らしい記憶力を持つという体験をさせて頂きましたが、残念なことに、夜も頭が冴えて眠れないために、頭と身体のバランスがとれなくなり、一月ほどで、誠に畏れ多いお話ではございますが、一旦私の身体からは
お離れ頂き、ご用がおありの時にお知らせを頂いたり、お伺いをさせて頂くことに切り替えさせて頂いたのです。
わたしが、人の世にある時に、諸国にいろいろと奇跡を起こしたように伝わっておりますが、あれは、わたしがしたのではありません。すべて、大神様のお力をお借りして、奇跡を起こさせて頂いたのです」
(普通でしたら、「私が奇跡を起こしたのだ」と自慢するところを、弘法大師様は、
謙虚にこう申されたのです。)
わたしも、古において、あなたと同じように、縦の教えと横の教え、あなたの言われる『十字の教え』を伝えたのです。今風に申し上げますと、密教を縦の教えとし、顕教を横の教えとして、わたしは説いたのです。しかし、残念ながら、わたしの教えをわかってくれる者は、誰一人としていませんでした。
「あなたは、恵果阿闍梨が、わたしに、写瓶の如く伝えて下さったように、真実の
教えを、みなさんにやさしく教えてあげて下さい。
わたしは、高野(たかの)のお山(高野山のこと)で、この世を去る時、『ミロクが世に現われる時、われもまた再び下生(げしょう・・天界からこの世に生まれること)する』と、言い残しておきましたが、後の世の者が、これを『ミロク菩薩』だと勝手に解釈して、『五六億七千万年後』に現われると言っているようですが、そんな遠い先の話ではありません。
「その時、畏れ多いことですが、大宇宙のこと、神の世界のこと、地球のこと、すべてを教わったのです。
ですから、わたしが、この世にある時に広めようと致しましたのは、仏の教えではない教えなのです。わたしが説こうと致しましたのは、仏の教えだけではなく、神の教えも、ともに説こうとしたのです。それだけに、わたしの時代のお方には、ご理解出来なかったように思います。
その上、目の前にいらっしゃるのは、何しろお大師様なのですから、緊張も致します。
それで、おおよその見当はつきましたものの、「万が一にも、間違っていては」と思ったものですから、やはり黙っておりますと、「みなの者が、われのことを、『南無大師遍照金剛』と申すであろうが」と、言われるのです。
こうして、神様からのお伝えが受けられるようになりますと、お釈迦様をはじめいろいろなお方からのお伝えも受けられるようになって参ります。ここでは、そのほんの一部を紹介させて頂きます。
人類は、すべて神の子です。ですから、早い遅いの差はあるでしょうが、皆さんが神様のことに気づき、ご自分の魂を磨き、神様の魂と直結すれば、誰でも神様のお声を聞くことが出来、またそのご用をさせて頂くことも出来るのです。大神様は、何事にも「気づいた時からでよい」と仰せです。ここにも神道の大らかさ素晴らしさが伺えます。
しばらく経ってから、同じご用をさせて頂くのなら、ご命令によって嫌々させて頂くよりも、喜んでさせて頂こうと気を取り直し、
「神様が、そのように仰せられますのなら、一生懸命、相努めさせて頂きます」と、こう申し上げるのが、やっとでした。