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2008年7月15日 (火)

 神様と共に (3)

実際に行ってみるまでは、いろいろと気を使いましたが、「ああ、こういう意味だったのか」と思っておりますと、大神様から、「こうしたことの見えない者には、作法としてこうしなければならないと教えなければならぬが、見える者が祓いをなすには、禍つ者のいる所から祓わねば意味がないであろう。そなたは、それが見えるのであるから、『思いのままにせよ』と伝えたのじゃ」と言われたのです。

さらに、『一心同体じゃ』と言われてからは、皆さんに分かりやすい例で申しますと、皆さんからいろいろと相談ごとや依頼があり、「今はお清め中なので、後で念送りをしておきます」と申し上げたにもかかわらず、次々とお清めを受けに来られる方が続いてしまい、かなか実際に念送りが出来ない時でも、大神様が直接念送りをして下さっているので、しばらくすると、皆さんから、「身体が軽くなりました」とか、「背中のところが、暖かくなりました」とか、「あの件は、うまく解決が着きました」などと、お礼の電話が入ったり致します。

 後は、私が大神様にお礼なりご報告をするかどうかという、私自身の問題です。

 皆さんが、私に話されたことは、すべて大神様が直接お受け取りになられ、処置して下さるのです。

 しかしながら、『師と共にいる』とか、『師の胸の中にいる』とか、『一心同体である』とかと言われましても、そのいずれの段階におきましても、神様がおかかりになられたからと申して、自分自身の存在が全くなくなったり、自分自身が神様自体になった

りするのではありません。

 皆さんからのお問い合わせに対して、すべてお答え出来るのも、大神様がお答え下さるからなのです。私が、すべてを知っているからではありません。

 また、私が講演中に、一方において私の知らないことを話し、他方において私自身が、「へえー、そういう意味だったのか」などと感心しながら聞いていることさえあります。

 ただ、ご注意頂きたいのは、皆さんから私に話されたことは、すべて大神様がお受け取りになられるということです。

 それだけに、皆さんとしては、目の前にいる私を見て、私に話をされているつもりなのに、受け取りはすべて大神様だということで、後で「失礼しました」とか、「しまった」と思われる方がいらっしゃいますので、この点はどうぞお気をつけ頂きたいと思います。

 神様がお憑りになられた時には、私の顔が変わるとかの変化があれば、皆さんも気づいて下さるのでしょうが、この点は申し訳なく思います。

 もっとも、数年前の私の顔写真を見て、「全然違う人みたい」と言われる方もおられます。わかる人にはわかるのでしょうが、それとても、以前の顔と見比べての話です。現実の今の顔が、瞬時に変わるわけではありませんから、やはり皆さんにはわかりにくいかと思います。

 ですから、私自身の判断とは別に、直接大神様がご判断なさられますので、この点はよくよくご注意下さい。

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