神様と共に
経緯を長々と申し上げますと、冗長になり、また、却って分かりにくい点も出てこようかと思いますので、結論の部分だけをかいつまんで申し上げることに致します。
神様におかかり頂く場合にも段階がおありのようで、『われがついておる』という場合には、側で見守っていて下さる、という感じが近いかと思います。
さらに進みまして、『われは常にいる』とか『われが共におる』という場合には、行動を共にしておられるということになります。
そうして、畏れ多いことではございますが、『われは、そなたの(胸の)中にいる』と言われるようになりますと、神様は本当に胸の中にお入りになられます。
さらに、『われは、そなたと一心同体じゃ』と言われますと、まさに神様と人とが一心同体ということになります。お玉串奉奠によって、『神人合一』になるということが言われますが、まさにその状態になるのです。
そうして、そのいずれの段階の場合にも、ここまで参りますと、すべて『お受け取りは、神様ご自身』がなさられます。
そうは申しましても、皆さんには、「一体何のことやら、さっぱりわからない」と思われるでしょう。
そこで、私の体験から、例を挙げてお話致します。
神社に正式参拝をされますと、拝殿の上に通されて、神主さんが太鼓を叩かれますが、これは『降神の儀』と言いまして、神様が降りて来て下さるようにする儀式です。
そうして、『献饌の儀』と言って、神様にお供え物を献上致します。次に、祝詞を奏上して、ご祈願の趣を述べ、『撤饌の儀』と言って、神様にお供えした物をお下げし、再び太鼓を叩いて『昇神の儀』として、神様にお帰りを頂くのです。
神社においては、このように太鼓を叩いて、神様においでを頂いたり、お帰り頂いたり致しますが、神社以外の場所と言いますか、こうした太鼓のないところでは、『警蹕』と言いまして、右手を上に上げまして、「オーォ、オーォ」と声を出して、神様をお呼びしてお迎えをするのです。
ですから、私も、御祭事はもちろんのこと、実際に地鎮祭や祓いなどで出かけた時にも、最初のうちは警蹕をし、「オーォ、オーォ」と声を出して、神様をお呼びしていたのです。
しかし、大神様の方から、「われは、そなたと共におるゆえ、不要じゃ」と言って下さったので、以後は、どこへ行く時にも大神様とご一緒なので、「大神様」と申し上げると、直ちにして下さるので、こうした行為はしなくてもよいようになったのです。
本来ならば、天高き高天原に鎮座しておられます大神様をお呼びして、降りて来て頂かなければなりません。
さらに、『胸の中にいる』とおっしゃって下さってからは、本来ならば『念と言霊』ということで、こちらの方で強く念じ、かつそのことを言葉に出して言わなければならないのですが、胸の中にいて下さるのですから、「念じただけで、言葉を発しなくてもよい」ということになりました。ですから、禍つ者がいるような時には、直ちに、一瞬のうちに祓いが出来るようになったのです。
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