2008年4月 3日 (木)

「全身全霊で打ち込めるもの」を求めて

人は、一生懸命に日々を過ごしていても、何か満たされないものを感じることがあります。これは天命との関わりが大きいのです。どんなに社会的な名声を得ようとも、経済的に成功しようと、自分がこの世で成し遂げるべきことをしていないときには、こうした満たされなさを感じることがあります。

 このことについては、「天命に生きよ」という小冊子がありますので、関心のある方はどうぞお読みください。(ご希望の方は、メールか電話などでお申し込み下さい。郵送します。一部500円です)  

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2008年4月 2日 (水)

「一生懸命すればいい」というものではない

 一般に「あの人は、一生懸命しているのだから・・」と言うと、「たとえいたらなくても、それ以上責めたらいけない」ように思われています。つまり「一生懸命」ということは、「いいことの代名詞」のように使われているかと思います。

 この『一生懸命』については、大神様からこのようなお叱りを頂きました。

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2008年3月30日 (日)

神様と話の出来ないほうがおかしい?

「神様のお声を聞ける」「神様とお話が出来る」というと非常に特殊なことのように思われています。そして「特殊な人しか出来ないことだから」それを「霊能者(霊的に特殊な能力をもっている人)」という呼び方をしているのではありませんか。

 現に私のことを「強い力を持つ霊能者」とか「本物の霊能者」などと呼ぶ人がいます。これは迷惑な話です。私は霊能者ではありません。

そして本来は、こうしたお伝えは、誰でもが出来得ることかと思います。その受け取りの方法を知らないから出来ないだけです。私達が『神の子』ならば、神様は私達の『親』です。親子で話が出来ない方がおかしいのです。

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2008年3月28日 (金)

神様は、見世物ではない

「神様、どうかお姿をお見せ下さい」と思った時には、神様の方からすれば、

「われを呼び出して、何の用じゃ」と逆に問われている筈です。

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2008年3月18日 (火)

寸又峡での奇跡 自動車が空中に (2)

私は自動車の中に乗っていたので、実際の高さは知り得ようもありませんが、二メートルか三メートル上昇したところで、急にタイムスリップをして、まるでスロービデオを見ているような感覚になって、今度はゆっくりと前へ移動を始めたのです。

 そして、今、自分が本来滑り落ちるはずであった川の上を、ゆっくりゆっくりと進んでいるのです。私は、両手でしっかりとハンドルを握ったまま、身を前に乗り出して、その川底を覗いているのです。そして、そのことを自分自身が意識しているのです。恐怖感などまったくない、非常に不思議な時間でした。

 やがて、車は向こう岸の上にやってきました。そこは、やっと自動車が一台通れるくらいの道が、川に沿って走っていましたが、私の車は川を横切って渡ったかっこうになっていたので、丁度その道を直角に横切る形になっていました。

 すると、今度は自動車が真っ直ぐ下へ降り始めたのです。その時、やはり人の心というものは弱いと申しましょうか、微妙と申しましょうか、

 「ひょっとしたら、助かるのかな」

 と、こんな思いが脳裏を掠めたのを覚えています。

 しかし、次の瞬間には、後五十センチくらいで地上というところで、今までのタイムスリップが解けて元の時間帯となり、「夢ではないぞ」と言わんばかりに、勢いよくドスンと、地上に叩きつけられたのです。そうして、これが証拠とばかりに、右側後部のタイヤだけが、パンクしていたのです。

 車を降りてみると、驚いたことに、前も後ろも、十センチ余りを残しているだけで、ピタリと止まっていたのです。

 ふと振り返ると、後ろから来ていたタクシーの運転手さんが、川を隔てた元の道路に車を止めて、車に身を持たせかけながら、さかんに「あ・・、あ・・、あ・・」と言っているのです。

 しばらくして、ようやく声になった言葉は、「あんた、よくここを飛び越えられたね」ということだったのです。運転手さんは、声だけでなく、足もガタガタ震えていたので、車に身を持たせかけていたのでした。

 「とてもとても、この川を飛び越えるなんてことは、スタントマンの方だって、出来っこありませんよ」と、思わず口に出そうな気持ちでした。だって、向こう岸は土手になっていて、その先は田んぼなのです。

 放物線のように弧を描いて飛び越えたら、土手の上の道に直角にピタリと止まるなんてことは、とても出来るものではありません。勢いに乗って、今度はどてを滑り降りるか、直接田んぼの中に飛び込むか、いずれにしても車は田んぼの中ということになる筈です。

 これは神業としか言いようがありません。そうなのです。これは神業です。丁度車が上昇し始めた時に、そのことを感じたのです。神様か仏様か、何かの力が私を救って下さっていると。瞬間には、弘法大師様かなとも思いました。

 それは、万が一にも、高校生の生命を奪うようなことがあってはならないという思いで停車させたことが、おそらくご神意に叶ったのでしょう。

 もしこれが、逆に高校生の列の中に突っ込んでもいいというようなことを思ってしたのであれば、おそらく私が生命を失う羽目になっていたことでしょう。

 車の前方の中心より右側は土手になっていて、その先は田んぼなのですが、幸いなことに、左側は三十センチくらいの段差があるだけで、その先は広場になっていたのです。

 タクシーの運転手さんは、近くの小屋から、長くて幅広で部厚い板と、四角い柱を持ってきてくれ、柱の方を左前輪に合わせ、板の方を右前輪に斜めに入れて下さったので、ゆっくりとその広場に車を移動することが出来たのでした。

 親切な運転手さんは、近くの修理工場まで案内してくれました。その工場の社長さんは「〇〇のカーブかい。俺は、二年前にあそこで、正面衝突やっちゃったよ」ですって。そこは、魔のカーブだったのですね。

 もっとも、私はその翌日、私の信奉する九州は熊本県阿蘇郡蘇陽町大野に鎮座されています幣立皇大神宮に参拝することになっていたのです。ですから、、そのご加護によるものであったのかも知れません。

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2008年3月17日 (月)

寸又峡での奇跡 自動車が空中に

 それは、昭和五十八年五月の連休明けのことでした。久しぶりに行事とは別に、みんなで寸又峡へ行った帰りのことです。他の者は皆「SLに乗りたい」ということになり、終着駅の金谷駅で待ち合わせることにして、私だけが乗用車に乗って、国道三六二号線をひた走りに走っておりました。

 お茶の産地として有名な中川根町に入ってから間もなく、『く』の字を逆にしたような急カーブが見えてきた時、そこに高校生が十五・六名、前後に三列、左右に五・六名の形で、路一杯になって自転車を走らせていたのです。

 彼らは、それぞれ話に夢中になって前方に向かっているので、後ろのことなどはとんと無頓着といった様子なのです。

 私も、終着駅での待ち合わせのことがあるので、ある程度のスピードは出していたのですが、後ろから地元のタクシーが、さらにスピードを上げて接近しつつあったのです。

 このままカーブを突っ走るとなると、彼らは話に夢中になって集団をなしている

ので、おそらく警笛を鳴らしても、誰かに接触するなり、何らかの事故につながるおそれがあると思ったので、万が一にも生命に危険を及ぼすようなことがあってはならないと考えたのです。

 幸い、そのカーブの角の部分に、五六十センチも伸びた草むらが、広く続いているように見えたので、そこに車を止めようと思って、軽くブレーキを踏むと、まだ少しだけ距離のあったタクシーも、少しスピードを落としたようでした。

 そこで、安心してその草むらに停車するつもりで、再びブレーキを踏むと、外見では充分に車の一~二台はすっぽりと停車出来る空き地のように見えたのですが、いざ近づいてみると、草むらは僅か四~五十センチの幅しかなく、その先は何と深さ二メートル余り、幅五~六メートルもあろうかと思われるコンクリートの川なのです。

 すでに車はスピードを落とし、停車寸前の状態でしたから、後はズルズルッと川底に落ちるだけなのです。その瞬間、

 「ああ、終わった」

 そんな感じでした。

 「駄目だ。助けてくれっ」

 というような、切羽詰った緊迫感もなく、後になって、「あの時は意外に冷静で落ち着いていたな」と、今でも感心するくらいでした。

 その時です。急に自動車がエレベーターのように上昇したのは。ズルズルッと滑り落ちるはずの自動車が、垂直に上っているではありませんか。

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2008年3月14日 (金)

初めて目にした女神様

 神様との接しは、初めは「なんとなく、そう感じただけだろうか」から「丸いひかりのように見える」「今日はいらっしゃるとはっきり感じる」「色で感じさせていただいた」といろいろな段階がありましたが、「神様のお姿を、ついに全身総天然色で拝顔させて頂くことが出来た」時がやってきました。

最初にそうした形でお会いさせて頂いたのは、宗像の比売神様でした。

 宗像の比売神様は、お三方いらっしゃいますが、天照大御神様の御子様でございますので、やはりご縁が深いのでしょう。

 古事記によりますと、福岡県宗像郡の沖の島にございます『沖津宮』に『多紀理比売命様』が、大島の『中津宮』に『市寸島比売命様』が、玄海町田島の『辺津宮』には『多岐津比売命様』が鎮座しておられるということです。

 もっとも、日本書紀と神道辞典では、中津宮と辺津宮の神様が入れ替わっているようです。

 この宗像の三比売神様は、天照大御神様の「汝三神天孫を助けて、天孫に斎かれよ」とのご神勅により、宗像の三か所に鎮祭されたと言われ、『海北道中の守り神、道中の道主の神』と称えられています。

 私が、その時にお会いさせて頂きましたのは、辺津宮の神様です。数名の方とご一緒に参拝させて頂いたのですが、頭を下げた時に、額の辺りに、何となくいつもの神社参拝とは異なった感じを受けたのです。

 建物としても、歴史と由緒のあるたたずまいを持ち、立派なお社には違いありませんが、単にそうした格式とか風格とかという雰囲気から来るものだけではなく、何ともたとえようのない空気の荘厳な神社です。

 あえて申しますと、目には見えないけれども、「神様がいらっしゃるのでは」という感じなのです。

 そこで、私は、他の方々には休憩所で休憩をしてもらい、先程参拝をさせて頂いたところより一歩前に出て、改めて念を込めて伏し拝ませて頂いたのです。

 すると、突然目の前の建物が極彩色の建物に変わり、別世界に入り込んだように、目の前に、美しい姫神様がいらっしゃったのです。比売神様も驚かれたご様子で、突然の闖入者に、「何者か」という感じで、じっと私を見つめておられました。

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2008年3月 6日 (木)

 心ここにあらざれば、見るもの見えず、聞くもの聞こえず

 神社界でも、「あの人は、生涯に一度神様にお会い出来た人だ」とか、「一度だけ神様のお声を聞くことが出来た」というだけで、大変なことのように思われているようです。

 

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2008年3月 3日 (月)

集中の日々で神に会えた

神様のお姿を拝して、神様にお出ましを頂いたりする状況も、さらに少しずつ強まり、かつ深まって参りましたた。そしてそれから三年ほど後に、遂に神様のお姿を、全身総天然色で拝顔させて頂くことが出来るようになったのです。

 

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2008年3月 1日 (土)

はじめて神様のお姿に接する (6)

 神社で今までと違った感覚をはじめて感じさせていただいてから、参拝毎に、段々とその色も少しずつ濃くなり、やがて橙色から黄色味を帯びるようになり、さらにそれが、黄金の色に変化して光を発するようになり、しかもその色合も濃くなって参りました。

 ですから、「今日は、神様がいらっしゃる」とか、「今日は、どうもお留守のようだな」、ということくらいは、何となくわかるような気がするようになったのです。

 そうしますと、今度は単なる円形ではなく、その下に人の胴体のような形まで見えるようになって参りました。雪ダルマのように太くもなく、コケシのように細くもなく、丁度幼い子が描く人のような形です。

 まだ、手とか足とかは見えません。まして、顔の中の、目・鼻・口等は、発している光の中で皆目わかりませんし、髪型などもわかりませんが、お姿の輪郭だけは、はっきりと拝することが出来るようになったのです。

 この段階でも、こうしてお姿をお見せ頂く時には、「神様がいらっしゃる、お出まし頂いたのだ」、という実感を持つことが出来るようになって参りました。

 でも、このお方が、大神様かどうかは、まだわかりません。後でわかった時には、このお方は、天照大御神様でした。東京大神宮は、伊勢神宮のご分社であり、天照大御神様の御社なのですから、当然といえば当然のことでした。

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