二十日間の断食 (2)
断食の後は、本来ですと、重湯だとか、ゆり根だとか、お粥などと、食事には随分と気を使い、徐々に普段の食事に戻して行くのだということですが、私の場合は、偶々祖母から送ってもらっていたゆり根を最初に頂き、次からは普通の食事に戻っておりました。
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断食の後は、本来ですと、重湯だとか、ゆり根だとか、お粥などと、食事には随分と気を使い、徐々に普段の食事に戻して行くのだということですが、私の場合は、偶々祖母から送ってもらっていたゆり根を最初に頂き、次からは普通の食事に戻っておりました。
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家に帰り、神様にご報告を申し上げてから、久々に落ち着いてその間の自分の行動を振り返ってみますと、丁度二十日たっていました。そして行っている間は、無我夢中でしたが、その間何も食事をしていないことに気がつきました。
私はこの二十日間の断食によって、人の心が見えるようになったのです。
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こうして徹夜に近い状態で毎日毎晩飛び回り、一生懸命させて頂いているうちに、ある日ハッと気がつくと、出先のお家で夜が白々と明けてきていたのです。
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この救急車の方の場合は、その前に、長女の方が、ある日突然に、朝起きると下半
身が麻痺して動かなくなって、大きな病院に入院したのですが、原因不明ということで、一月程してから神経科と精神科に廻され、それでも原因がわからないということで、このご夫妻が、長女を車に乗せて連れて来られたことがあったのです。
さあ、後が大変でした。お婆さんの喜びようったらありません。マージャン仲間から老人クラブ、さらには温泉療養などで知り合った人達にまで、次々と宣伝するものですから、一時は腰が悪いの、足が悪いのというお年寄りの方ばかりのところへ伺う羽目になりました。
それでも、こうして目の前で完治したり、皆さんの喜んで下さる笑顔は、当時の私にとっては、この上ない幸せを感じたものです。
ある日、いつものように奏上をしておりますと、
「そなた、誠神に生命を賭けるか」
と、お声がかかったのです。
突然のことで驚きましたが、「『何の用もない』のなら、生命をお召し下さい」とまで言った私ですから、喜んでお受けさせて頂いたのです。
たった一人で壁に向かって「神様との問答」と言うよりも「ただひたすら神様に対してのお問いかけ」を繰り返していたある日、「自分の人生は、自分のものだと思っていたが、すべてを神様にゆだねるのならば、すべての時間を神様の時として徹底するべきではないか」ということに気がつきました。
原則の場合には、ただその原則通りにしていればよいのですが、例外の場合には、原則と異なったことをするのですから、例外を主張することがなるほどと認められるだけの要件をみたさなければなりません。しかも、その要件は、原則を破るのですから、大変厳格になります。そうして、解釈の上でも、できるだけ狭く解するのです。
来る日も来る日も、神棚の前に坐って、時には膝の上で握りこぶしを震わせて涙ながらに、また自分の膝をきつく握り締め、満身の力を込めて、いやまさに全身全霊をもって、畏れ多いことながら、大神様と対峙するが如くに、問いかけをさせて頂いたのです。
それでも、なかなかお返事を頂くことは出来ませんでした。と申しますよりも、本当はお返事を頂いていたのかも知れませんが、当時の私には、まだ受け取ることが出来なかったのです。