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2007年4月 2日 (月)

人生は修行の道場 

大神様のいらっしゃる高天原の中心精奇城(さごくしろ)というところは、塵一つあってもいけない黄金の世界です。ですから、そこでお仕えしている人たちは、ほんのわずかの汚れ穢れでも、神様の世界に住むことはできないのです。その汚れ穢れを取り除き、魂を磨く場として、私たちは修行のために人の世に送られて来るのです。だから、人生は修行の道場なのです。

ですから、人生での修行を終えて、神様の世界に戻ったときに、何をもってお仕えするかということが、大切なのです。そのための磨きの場として人の世に送り出されたのですから、人の世を安楽に、好き勝手に生きればよいとする現代の風潮は大いに異なることになります。ここに人の世の生き方の大切さがあるのです。人の世を終わってから、「こんなはずではなかった」と後悔しても、それは後の祭りです。

宮大工さんとして有名な西岡常一さんなどは、神様の世界に戻られても神様の宮殿を作る仕事につくことができます。再び高天原に戻ったときに、何をもってお仕えするすることが出来るかが、最も大切なことになります。職業選択の自由などと言っておりますが、よくよく考えた上での職業選択でないと、神様の世界に戻ったときに、失業ということになりかねません。

また、神様にお仕えする以上、嫌々というわけには参りません。人の世界にいる間に、『何事も、自主的・積極的に、喜びをもってする』という習慣を身につけておかれることが大切なのです。

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