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2008年2月26日 (火)

はじめて神様にお姿に接する (2)

どうしたら神様が出てきてくださるか、手探り状態でしたが、ご神前において、十分ないし十五分間、正面のあの辺りに神様がいらっしゃるであろうと思われる処に、自分の気持を合せて、神様がお出ましになられるのを待つようにしたのです。

こうして、念を通すと申しますか、気持を合せてお待ちすれば、神様は出て来て下さると考えたのです。神社に大きなお鏡がある場合には、そのお鏡に合わすようにしました。お鏡を通して神様の御霊に合せるようにしたのです。

 先程、「神様も御用をなさっておられる」と申し上げましたが、たとえば神様が書き物をなさっておられる処へお参りに行ったとします。神様はもちろん誰が来たかということはすぐにわかられますが、何しに来たのかは皆さん次第です。

 そこで、神様は「もう一行書けば終るから」と、その一行を書き終えて出てみると、もう後ろ姿というのでは、かえって神様に失礼になりますし、何の用で神前に来たのかがはっきりしない場合には、神様はそのまま御用を続けられることになります。ですから、ご神前において、十分ないし十五分位は、心を鎮めてお待ち申し上げることが大切なのです。

 そうは申しましても、この十分ないし十五分という時間は、思いのほか長いものです。お茶を飲んだり、おしゃべりをしたりの十分などはあっという間にたってしまいますが、自分の心を白紙にして神様に向かう十分はものすごく長く感じるものでした。

 自分の心に雑念が生じる以前に周囲から奇異な目で見られたり、からかわれたり、心落ち着けていることがとても難しいのです。 

 私自身、その当時事務所が飯田橋にあったものですから、一週間のうち五日くらいは東京大神宮に参拝させて頂いておりましたが、早朝の誰もいない時間ならばともかく、私がお参りをさせて頂きましたのは、十二時から十三時までの昼休みの時間でしたから、大勢の方が境内におられましたし、参拝の方はもちろんのこと、昼休みを利用して、近くのOLの人達も大勢談笑の一時をここで過ごしていました。それに、お天気の良い日などは、ここで昼食をしている方達もいたのです。

 ですから、ご神殿の前で、「心を鎮めて」と思っても、なかなか思うようには参りません。いわゆる「気が散ってしまう」のです。特に最初のうちは、周囲の目が気になるものです。なかには、「何をやっているんだろう」と、わざわざ顔を覗き込んで来る人さえありました。

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