放送局は休み?
ところが、何回目かにお伺いした時、この方が、
「君の論法だと、今日は放送局は休みだね」
と、唐突に言われたのです。その意味を解しかねた私は、
「はあ?」
と、言いますと、
「放送局は、放送しているけれども、ここにテレビがないから、見たり聞いたり出来ないのと違うかね。もちろん、テレビがあっても、スイッチを入れなきゃ駄目だがね。スイッチを入れても、チャンネルが合わなきゃNHKを聞こうと思ってもNHKを聞くことは出来ないし、民放を見ようと思っても、民放に合わせなきゃ民放を見ることは出来ないのじゃないかね」
と、おっしゃるのです。
このお言葉の中には、「神様の世界を知るにも、こうした段階があるよ」ということも暗示して下さっていたのでしょうが、この時には、そうしたことを知る由もありませんでした。
「うん、なるほど理屈はそうだけど」
と感心しておりますと、すかさず、
「神様も同じだよ。神様は人類の親だから、子供のことを心配して、常に私達に話しかけをして下さっているんだよ。だけど、こちらが受け取るチャンネルを持っていないから、わからないんだよ」
「えっ」
「その気になって、神様と気持ちを合わせれば、神様からのお話を受け取ることも出来るんだよ」
とおっしゃられるのです。そうして、すかさず、
「理屈はいいから、騙されたと思って、とにかくやってごらん」
と言われ、いつもはなんだかだと反論していたのですが、この時ばかりは何にも答弁出来ませんでした。
私が経験した国会の各委員会の応答などは、その場その場において即答をしなければ、「休憩」と言われてしまうと、次はいつ再開されるか分からないので、後から考えれば理屈のつくことでも、即答主義でなければならないという事に慣れていたので、
「いやぁ、参った」
と、思いました。
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