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2008年2月 9日 (土)

導きの人 (5)

 私が連絡なしに、夜遅くお伺いしましても、サッとお吸い物が出され、続いて鰻のお重が出されたり、お鮨が出されたりして、

 「いえ、結構ですから」

 と遠慮申し上げますと、

 「いや、君がまだ食事をしていないことはわかっているのだから、遠慮は要らん。さ、お上がり」

 と、勧められていますと、奥様が、

 「今日は、朝から、主人が『藤原さんが見えるから』と言っていたんですよ。でも、一向にお見えにならないので、先程主人に『お見えになられないじゃないですか』って言いましたら、『いや、何か用を頼まれて、寄り道をしているようだから、間もなく見えるよ』って言うものですから、用意してお待ちしていたんですよ」

 と言われたりしたのです。

 事実、その日は、母校の中央大学で、恩師である木川統一郎先生のところまで書類をお届けするように依頼されて、御茶ノ水の事務所にお寄りしていて遅くなったのです。それにしても、今日訪問することそのものをお伝えはしておりませんでした。それなのに、朝からわかっておられたというのです。

 それも、こうしたことが一度や二度ではないのです。お訪ねして、タイミングよくお膳が並べられた時にも、

 「『ああ、今着いたよ』と主人が言うものですから」

 と、奥様は笑顔で言われるのです。

 駐車場とこの方のお宅とは、少し離れているのですが、私が車を止めると、「私に憑いている霊が、一足先にやって来るので、それでわかるのだ」と言うのです。

 こうした、当時としては、大変不可思議なことを体験させて頂いてはおりましたが、そうかと言って、すべてを信じたというのでもありません。

 その頃の私は、明治神宮や鎌倉の鶴岡八幡宮に、時折参拝に行っていたくらいで、この方から神様のお話を伺う以外の日常は、神様とは全く無縁の生活をしていました。

 現在、私が、いろいろな体験談を皆さんにお話致しましても、

 「それは、先生だからですよ」とか、

 「先生は、特別だから」

 と、受け取られてしまうのと同じように、神様の存在につきましては、当時の私は自分とは関係のない世界の話という感覚しかありませんでした。

 ですから、このお方に対しましても、いろいろと理屈を言っては、折角のお話もお断りしていたのです。

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