不思議な電話
忘れもしません。昭和五十年の八月七日に、
「田舎でも、ちゃんと先祖供養をしているけれども、お前は長男なんだから、東京でも先祖供養をしてくれないかね」
と言って、母親が四国から上京してきました。
母の言によれば、私はヨチヨチ歩きの頃から、お仏壇にお茶をお供えしていたということです。歩くのがやっとの頃のことですから、お茶をこぼすといけないので、母が、
「母さんがするからいい」
と言っても、
「ウーウン」
と言って、自分で持って行っていたそうです。
母はいつもハラハラしながら、私のすぐ後をついて歩いていたそうですが、余りにも幼い頃の話ですから、私にはそうした記憶はありません。
私の記憶では、幼稚園の頃からはそうしていたなという思いはありますが、そのことは高校を卒業して上京するまで続いていました。
特に、印象強く残っておりますのは、中学の修学旅行で、京都・奈良に出かけた際に、奈良で大仏様のミニチュアを買って帰り、母親に、
「この子は、変わっているね。みんな羊羮だの煎餅だのお饅頭だのと、お菓子のお土産を買ってくるというのに」
と言われたことです。母は、この時の大仏様を、大切にお守りしてくれましたので、今でも田舎のお仏壇の中に安置されています。
ですから、母親のこの申し入れに対しましては、一も二もなく、すんなりと 「では、そうします」
と受け入れたのです。
その翌日のことです。つまり、昭和五十年の八月八日、それも正午に出かけようと準備をし、テレビの時報が「ツー、ツー」となり始めたので、大急ぎで玄関に出て靴を履いている時に、「チン」という時報の音をかき消すように、「リリーン、リリーン」と、電話のベルが鳴ったのです。
受話器を取ると、
「藤原君、先祖供養をしているかね」
という第一声が聞こえてきたのです。
このお方のお人柄から言って、当然時候の挨拶をされたはずなのですが、この時の私には、先祖供養のことが余程印象的だったようで、第一声が、先祖供養のことだったように記憶しています。
受話器を取ろうとしてそばにいた母親にも、その言葉が聞こえたようで、自分が先祖供養をして貰おうと思ってやって来た時に、
「先祖供養をしているかね」
と言って電話がかかって来たのですから、母もびっくりしていました。私が受話器を置くのを待ちかねたように、母親は、
「今のは、どなた」
と尋ねたのです。
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