だんだん感応が強まる
他人から心にもないことを言われ、「よく言うよ」という気持で聞き流すような時には、有り難くもなんともないではありませんか。ましてや、相手は神様です。
「神様は、すべてをお見通しゆえ、言わずとも願い事を叶えて下さい」
などと、言葉をはしょるなどは、あまりにもおこがましいことではありませんか。
いくら神様は私達人類の親だからと申しましても、失してはならない『礼』というものはあるのです。神様の前に立つ時には、常に心を正し、威儀を正して向かはなくてはなりません。
皆さんからの依頼と言うか祈願の中にも、神様を下僕のように勘違いをしておられる方が、大変多いのに驚いています。たとえば、ご自分の願いでありながら、「ご用があったら、ご連絡下さい」と言ってこられます。神様の方には、その方に対して、別段ご用はないのです。あくまでお願いするのは、私達人の側です。この心得違いは頂けません。
また、「いくらいくらのお玉串をするのだから、この願いを叶えよ」という態度の方もおられます。要するに、神様には、あくまでも人の側がお願いする立場なのだということを、認識して欲しいものです。
また、私達の胸の中の思いのままに、神様が願いを叶えて下さるようなことがあれば、却って大変なことになるのではないでしょうか。
人の心というものは、常に一定というわけには参りません。希望に燃えて、人類の為に、一生懸命頑張ろうと思っている時などはよいのですが、失意のどん底にいる時や、人が憎くて殺してやりたいだとか、金欲しさにせっぱ詰まって泥棒をしようなどと、よからぬ思いの時などに、一々神様がそのことを叶えさせていたのでは、世の中は余計に真っ暗になってしまいます。
それに、うつろいやすい人の心に付き合っていたのでは、神様もやり切れないでしょう。「今鳴いた烏がもう笑っている」とか、「女心と秋の空」などということは、しょっちゅうあることです。ともかく、神様の世界では、言霊の作用で、しかも神様の意に叶ったことについてのみ叶えて下さるのです。
やがて、その感応は、少しずつ強まり、はっきりとして参りました。この点も、後
でわかったことですが、神様の世界も、八百万神様ということで、大勢の神様がいらっしゃいます。そうして、それぞれの神様は、職務分担と役割をお持ちなのです。
神様の序列と権限の範囲は、私たちの想像以上に厳しいものがあります。
後々のことになりますが、弘法大師様にいろいろとお伺いをしております時に、「師よ、われに越法の罪を犯させないで下さい」と言われたことがあります。たとえご存知のことでも、ご自分の権限外のことは言ってはならないのです。
人の世界に似ておられますが、もちろんその秩序や位置づけは、私達の世界よりもはるかにずーっと厳格です。人間の世界では、人を押し退けてでも、ということが随分行なわれていますが、当然のことながら、神々様の世界には、そうしたことは全くございません。その役目役目のお仕事をなさられるのです。
ですから、神様にお尋ねした事柄が、その神様のご担当の範囲と異なる時や、範囲を超えている時には、ご存知の内容のことであっても、はっきりとその旨を申され、「担当の神様からお伺いするように」と申されます。
こうして、ご自分の範囲・役割をしっかりと守られますから、当然のことながら、神様の世界では、秩序がしっかりとしています。それだけに、神様の序列もはっきりしておりますので、順序を間違えたお祀りの仕方は、大変困ることになります。
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