導きの人 (2)
この方の場合は、神様のことはもちろんですが、易もしておられまして、それも一師相伝としてのもので、本来は別のお方に伝授されるところを、
「何とか、国のため人類のために役立つものとしてさせて頂きたい」
と願い出られて、ようやく伝授されたものですから、いわゆる易者さんの易とは、
まったく異なるもののようで、企業の大切な将来の見通しや、計画の是非の判断等には、欠くことの出来ない重要な意味を持っていたようです。
それで、こうして歴代の社長が、自ら
「もう少し、いて欲しい」
と言っては、迎えに来られていたのです。
七十歳になられてから、この方は、
「神道をもっと本格的に学び、正式に神様にお仕えをしたい」
と言って、常勤から非常勤にして頂き、國學院大学の神道科の夜間部に通われたのです。
この方は、お歳をとられ、大企業の重役であられましたが、
「自分は、生徒だ」
と言って、少し早目に会社を出られ、一番に教室に入られて、全部の机の上を拭き、教室の掃除をなさられたということです。
これは、言うは易くなかなか出来ることではありません。大企業の重役ともなられますと、大方の人は、ふんぞり返って聴講し、特別扱いを期待するのでしょうが、この方は、
「教えを請う」
という生徒の原点に立ち返り、年若き先生を迎え、他の生徒さんを迎えたというのです。
『実るほど 頭を垂れる 稲穂かな』
とは、まさにこういうお方のことを申すのでしょう。
この方は、「自分はもう年をとっているから、五年計画で神官の最高位の試験を目指そうと思う」と言っておられましたが、古事記などは奥様が担当し、その要点をご主人に伝えるというように、奥様との二人三脚で、一年で合格されました。
そして後日、「いやぁ、実に不思議なんだよね。試験の一週間くらい前になると、ふと『ここをよく読んでおきなさい』という声が聞こえてくるというか感じがして、そこを読んでおくと、それが全部試験に出てね。そのお蔭と家内のお蔭で合格出来たんだよ」と言って、笑っておられました。
この方は、真冬でも毎日水垢離をなさられていたので、「自分は大丈夫ですから」と申し上げたんだけど、二月の伊勢神宮の五十鈴川での禊は、「ご高齢だから」ということで、六月まで延期されたということでした。
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