第18話 本来の神様と人が祀りあげた神様
日本においては、伊勢神宮の『天照大御神様』をはじめ、いろいろな神様がいらっしゃいます。大勢の神様ですから、これを『八百万(やおよろずの)神様』とお呼びしています。
一方においては、新興宗教の神様などいろいろあって、どの神様を信じていいのか、わからない世の中になっています。
結論から言いますと、古事記の上の巻、すなわち初代の神武天皇様の前までに出て来られる神様なら、安心して神様と言えるでしょう。
これは、天変地異の多かった平安時代に、私達の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感以外の直感、すなわち第六感で感じるものを畏怖して、魑魅魍魎(ちみもうりょう)に至るまでを、すべて神様として崇めたことから、本来の神様と、人が勝手に作った神様との区別がつかなくなったのです。
そして皇位継承に破れて自殺をされた親王様や今で言う村八分的なことで亡くなられた人達も、その怨霊のたたりを恐れて、御霊社(ごりょうしゃ)として祀るようになったのです。
たとえば、学問の神様として有名な天神様は、菅原道真公をお祀りしています。
菅原道真公は、醍醐天皇の時代に右大臣まで昇りましたが、左大臣の藤原時平に讒訴され、京都から九州の太宰府に左遷されて、その地で亡くなっています。
道真公の死後、天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、それをおさめるために、天満天神としてお祀りすることになったのが天神様のはじまりです。
道真公は、大変に頭の良かった方なので、その後学問の神様としてお祀りされるようになりました。
一般に、合格祈願の時なども、天神様に行かれる方が多いと思います。
道真公が、京都から太宰府に流される時に詠んだ
「東風(こち)吹かば 匂いよこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という歌や、
その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛び梅伝説」は、有名です。
しかし道真公は、人であり、本来の神様ではありません。
日本の神社の中には、祟りを恐れて、あるいはその方の偉業をたたえて神社を作ることはたくさんありました。
ちなみに神様の世界の知恵の神様は、八意思金(やごころおもいかね)の神様です。東京の近くでは、秩父神社にお祀りされています。
こうした流れによって、楠正成公や各藩のお殿様方も神として祀られ、明治維新の吉田松陰先生や軍神としての乃木希典大将や東郷平八郎元帥、あるいは広瀬中佐なども神として祀られるようになったのです。こうした方々は、それぞれ立派な方ですが、人なのです。
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