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2011年9月19日 (月)

第24話 山幸彦と海幸彦の話 その2

前回の23話の続きです。

「井戸のそばの桂の木の上に、りっぱな男の方がいらっしゃいます。その方の首飾りの玉が、器の底にくっついて取れないのです」という侍女の報告を聞いて、不思議に思った豊玉姫は、ご自分でも井戸のそばまで出てきました。

そして一目見て、「ほんとうにご立派な方」と思って、お父さんの神の神様である大綿津津見(おおわだつみ)の神様に入らせに行きました。

お父さんも早速出てきて、「あぁ、あの方は、日の神様の子だよ」といって、山幸彦にていねいに「どうぞお入り下さい」と御殿の中に招き入れて、大変な歓待をしてくれました。

山幸彦は、綿津見の宮の客になって、泊まっていましたが、綿津見の神様が「娘をあなたのお嫁さんにして下さい」と頼みました。

そこで山幸彦は、豊玉姫と結婚して、そのままずっとそこで暮らしているうちに三年の月日が経ちました。

ある晩に、山幸彦は自分の国を思い出して深いため息をつきました。「ここにずいぶん長く住んでしまった。あのお兄さんの釣り針はどうなったことだろう」と、お一人で考え込んでしまいました。

次の朝、豊玉姫は気になって、お父さんのところへ行って「あの方は、いままでずっと本当に楽しく、暮らしていらっしゃいました。それなのにどうしたことでしょう。昨晩はため息をついて考え込んでいらっしゃいました。何か心配事が、おありなのではないでしょうか。」と相談しました。

お父さんもそれを聞くと心配になり、山幸彦をよんで「娘が言いますには、あなたはゆうべため息をなさって、考え事をしていらっしゃったそうですね。何かわけがおありではございませんか」と尋ねました。わけを聞かれて、三年前にここに来たわけを、はじめから詳しく話しました。

それを聞いた、大綿津見神様は、海の神様ですから、早速、海の中の魚達を集めて、「だれか、釣り針を飲んでいるものはいないか」と尋ねてくれました。すると魚たちは「この間、鯛が、のどに何かが刺さって困っていると言っておりました。あの鯛をお調べになってはいかがでしょうか」と言いました。

そこでその鯛を呼びよせて、のどの奥を調べてみると、なるほど一本の釣り針が刺さっていました。大綿津見の神様は、その釣り針をきれいに洗って、「この釣り針でしょうか」と山幸彦に渡しました。

「おお、これです。見つけて頂いてありがとうございます」と山幸彦は、喜んでお礼を言い、お兄さんにそれを返しに行くことになりました。

そのとき大綿津見神様が、二つの玉を取り出して、山幸彦に手渡し、こう言いました。「これで承知をしてくれればいいですが、釣り針のことで、あれだけ厳しく言われたお兄さんのことです。いろいろとこの先も、意地悪をされるかも知れません。この二つの玉をお持ちなさい。

もしお兄さんが、貴方に意地悪をしたり、攻めて来ようというときには、こちらの『潮満珠』という潮が満つる珠を使いなさい。そうしたらあっという間に海の水が満ちてきますよ。それでお兄さんを溺れさせてやりなさい。そしてアップアップ溺れて「助けてくれ」とおっしゃったら、こちらの潮が引くという珠を使って、水を引かせて下さい。この中にはいくらでも水が入ります」

山幸彦は、二つの玉をもらって、お兄さんのいる国に帰っていきました。

実際に攻められたときに潮満珠と潮が引いていくという珠の両方で操作をする。それでお兄さんも、これは叶わないということで、以後は臣下の礼を取るということになります。自分が本当はお兄さんなのだけれども、「あなたの言うことを聞きましょう」と言って、そのときの溺れかけたときのしぐさが、今でも宮中での舞いの中にとり入れられています。

これは何を意味するかというと、海幸彦は、海で仕事をする。山幸彦は、山で仕事をするということが大事ですよという事の裏返しなのです。

だから隣の芝生ということでよく言われますけが、人の仕事が良く見えたとしても、自分の適性は何なのかという事をよく見て行かないと、いけませんよということがこういった神話の中、古事記の中に既に書かれているのです。

ですから海幸彦は海での仕事、山幸彦は山での仕事に専念しなさい。人にはこういう向き不向きがありますよという、最初の出だしで申し上げた適性に関する話が、既に神代の話の中にあるのです。

もう一つには、無理を言って借りた釣り針を無くしてしまった山幸彦も悪いのですが、『相手の過失を、いつまでも咎める』ということは、神様のご意図ではないと言うことです。

それもこのお話の場合のように、海に落としてしまった釣り針を取り戻すなどと言うことは、普通なら絶対に出来ないことを、相手が悔いて、謝っているにもかかわらず、どうしても取り戻せと、ごり押しすることはしてはならない日本人本来の寛容の精神にもとるという教えでもあります。

それをしたために、お兄さんは本来は兄の立場なのに、弟と立場が逆転してしまうことにまでなっています。そして自分だけでなく、お兄さんの子孫は、後々まで海でおぼれる仕草の踊りを踊る役目になってしまったのですから。

        今日の一言は、

 956話 今日は、敬老の日 です。

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