第22話 人はなぜ生まれ、どう生きるべきか
今日は『人の本質』について、「人は何故生まれ、どう生きるべきか」というお話をさせて頂きます。
結論から言うと、人は『天命に生きるのだ』ということす。
天命は天から命じられた『使命』と、天から与えられた『寿命』の二つの意味があります。各人が与えられた寿命の範囲内に、果たすべき使命を全うする。これが大切なのです。
しかし自分の使命が何だか分からないままに、人生を過し、そのままこの世を終わってしまっている人が多いのです。
現代社会そのものが、根本的に違っている事は、一体何なのだろうか。学校教育においても、いわゆるテストの成績のいい人が、頭のいい人であり、いい人だとされていることです。
テストの成績が悪いと、「あの人は馬鹿だ」とか、「落ちこぼれだ」というふうに、人の価値を、成績で決めていることが、一番の原因ではなかろうか。
頭が良くても、法の目をくぐって悪いことをする人の方が、最も悪いのだけれども、一般の評価は、学校のテストの成績で評価をしています。
むしろその人の適性が何なのかという方向に目を向けて頂きたい。しかしそういった事は全く検討されていない。その人は何が適性なのか、何に向いているのかという事には、全く目を向けられていない。人格形成についてこそ、教育者が最も意を用いなければならないことなのです。
皆さん自身が振返ってみて、「貴方は何に向いていますよ」と言われた経験のある方がいらっしゃいますか? 多分いないでしょう。
駄目なことは言ってくれるけれども、いいことは言ってくれないのです。それが現在の世の中を作っているのだということに、もう少し皆さん自身が目を向けて頂きたい。
悪いという方は指摘されるが、貴方はこの方向に向いているから、そちらに進みなさいとは誰も教えてくれないのです。これが現代社会を構成しているのです。
だから今の世の中は、テレビでも、人の欠点は「ああだ・こうだ」という番組は一杯あります。しかし、こういうことをするといいのですよという番組は殆んどないのです。
世の中自体がそういうふうに動いている。世論の旗振り役のマスコミがそういうものしか作らない。世の中を良くしようという意図のマスコミの人が居ない。スポンサーにしても、「よくあんなくだらない番組に金を出すなぁ、広告を出すなぁ」と思う。
少しでもいいから世の中の役に立つような番組制作にお金を出しましょうというのならいいけれども、くだらないミーちゃん・ハーちゃんと、とにかく変わっていれば番組に出られるという世の中です。いい番組には中々金を出さない。またいい番組は皆さんが見ようとしないという時期になっております。
そういった意味でも皆さん自身が、自分の適性は一体何だろうかと考えて頂きたい。自分は何に向いているのだろうか。自分の適性は一体何なのだろうかと考え直して頂けたらと思います。
本来は十五歳までに、自分は将来何になるべきかということが分かるようにしておきたいものです。しかし今は中々そういうことは難しい世の中です。「貴方の今の成績なら、この学校なら受かります」という今の制度では、進学はしてみても、一学期で退学してしまうという実態をよく見て頂きたい。
先生は、わずかの期間であっても、生徒さんの人格形成に携わっているのだから、単なるサラリーマンではなく、聖職者であって欲しい。教え子の将来をも見守ってあげられる人であって欲しいと思います。
そして教え子が、寿命の範囲内に使命を全うすることが出来る人生を送れるようにしてあげて欲しいのです。そうすれば、みんなが豊かで幸せな人生を送ることが出来るようになると思います。
次回は、海幸彦と山幸彦の話です。この話から天命を見てみると・・?
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