第40話 節分の豆まき、してはいけない
「鬼は、外! 福は、内!」
二月三日の節分には、神社仏閣などでも、その年の有名人の年男が盛大に豆まきをします。
「鬼は、外に追い出して、福はわが家にドンドン来て欲しい。」だから節分にはそれぞれの家でも、炒り豆を買ってきて、豆まきをする習慣があります。
ですがこの豆まきは、実はしてはいけないことなのです。生の大豆ではなく、「炒り豆」であることにその意味があります。「福を呼ぶつもりでしている事」が、実は、神様に対してのとんでもない失礼になっていますので、そのことをお伝えしたいと思います。
実は、豆まきの時に言われる「鬼」と言われているのは、「大神様」の事だからです。「鬼」と言われるのは、本当に「悪い鬼」の場合がほとんどですが、神様がお怒りになられたときのお姿も『鬼』という言い方をすることがあります。
世の中には、残念ながら悪魔や悪いものなどはいます。それを叱ったり、退治したりするときの神様のお顔は、大変に怖いもので、それを(悪ものの)鬼が震え上がって退散するほど怖い『鬼』というのです。
『神の子、人』と呼ばれながら、人は、長いその歴史の中で、次第に神様から離れて、今は神様に通じることが出来る人が本当に少なくなってしまいました。しかし、かつて神様と本当の親子として、お姿を見、お話しも出来て日々通じ合うことが出来た時代がありました。
その頃の人は、『神人(しんじん)』と呼ばれていました。それが「神」の字が取れてしまった「人」となってしまいましたが、それでも互いに支え合えという意味で、「人」という字を書きました。今は神様と人の間が出来てしまった「人間」になってしまいました。間が出来てしまったのですから、神様と通じることも出来なくなり、だからこそ神様の側からは、「早く神との間を抜け、間を抜け、間抜け」と言われました。「間抜け」とは、人同士で言う言葉ではなく、神様が人に向っておっしゃられる言葉です。
その「神人」の時代に、天地創造の大神様が、大宇宙にお出かけになられるご用が出来ました。(大宇宙を作られた神様ですから、地球だけにいらっしゃるのではなく、広い宇宙の全てを見ておられます)
それまでは貴い神様のご威光で、ほとんど悪いことも出来ず隠れていたもの達が、これで大神様に叱られることもないとばかりにはしゃぎました。
その時に大神様は、お尋ねになりました。
『われは、いつまで大宇宙に行っていればよいかの』
それに答えて、悪いものたちは「炒り豆の花の咲くまで」「炒り豆に芽が出るまで」と言いました。
炒り豆に芽が出ることも、花が咲くことも絶対にありません。つまり「絶対に返ってくるな」と言ったのです。更に炒り豆を投げて、「鬼は、外!」とはやし立てることまでしたのです。
それが節分の豆まきの始りです。現在は、決してそのような神様に失礼をするという気持ちで豆を投げてはいないと思いますが、それが始まった元は何かを考えますと、人類が根源の神様にしている大きな失礼の一つであることに変わりはありません。
節分の豆まきの習慣は、「今まで知らぬ事とは言え、神様に大変な失礼をいたし、申し訳ありませんでした。」といったん全て取りやめ、その上で数年の間を置いた後に、「改めて、(本当の悪い)鬼を追い出し、各ご家庭にも福を招くことが出来るように『鬼は、外!、福は、内!』と豆まきをさせて下さい。」と願い出るべきではないでしょうか。
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