第45話「お蔭様で」の心を大切に
人はついつい、うまくいったときには、自分一人の力、あるいは自分達の努力だけて出来たように思い、そこに神様のご加護や、お力を加えて頂いたことに対する感謝を忘れがちです。
「オレがこれだけ頑張ったからだ」「自分は運がいいんだ」と感謝の心を忘れ、中にははっきりと神様にご祈願をしたにも関わらず「どういう訳か、うまくいった」などと、うそぶく人もいます。
しかし日本人には、昔からこんな言葉がありました。
「お蔭様で」と言います。お子さんが無事生まれたときに、「お蔭様で無事に生まれました」といい、病気が良くなった時なども、「お蔭様で、熱が下がりました。回復しました」等と言います。
お子さんが受験などに合格したときも、誰かから「おめでとうございます」と言われた時に、「お蔭様で、合格出来ました」と答えますね。会社が大きくなり新しくビルなどを建てることが出来たときも、「お蔭様で、ビルを建てることが出来ました」と言います。これは大変に謙虚で素晴らしい習慣です。
自分を支えてくれた方達の、「お蔭様で」、そして神様、ご先祖様のご加護の「お蔭様で」ということです。この「お蔭様」という心を持っている人と、持っていない人とでは、その後の人生に大変大きな開きが出てしまいます。
人は、もちろん努力することが必要ですが、それを活かすことが出来るためには、目に見えないご加護や、周囲の人々の支えを忘れてはならないからです。
受験などで言えば、健康で受験勉強が出来た日々に対して、天候や交通機関などもその影響で受験会場に遅れることもなく着くことが出来たことに対して、面接などであれば、あがることもなく(あがったとしても)、自分の良さを発揮出来たからこそ、「お蔭様で、合格出来ました」なのです。
農家の方であれば、良き水、良き天候に恵まれて、収穫を得られた時に「お陰様で、実りの季節を迎えました」と言います。途中、汗を流し雑草を抜いたり、数々の手入れをしますが、豊作、不作を決めるのは、それをはるかに上回る自然の力が大きいことを知っているからです。
そうした自然の力や神様やご先祖様のご加護に対して、「お蔭様で」と言うのです。物事の成就の為には、自分の努力だけではどうにもならないことがあります。その努力が出来る健康や気力を与え続けてくれたことに対して「お蔭様」と感じる事が出来るからです。しかし、こんな理屈を言わなくても、日本人なら「お蔭様で」は、自然に口に出来る言葉ですね。
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