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2012年3月の4件の記事

2012年3月26日 (月)

第50話 あの世は、天国と地獄だけではない 

「天国と地獄」という映画もあり、「あの世には、天国と地獄しかない」と思っている人が多いと思いますが、あの世にはこの世でいう身分階級などとは比較にならないほどの、たくさんの階層があります。

それはその人のこの世での過ごし方、考え方から 霊魂の状態に応じたところに行くことになります。亡くなった時に、お寺さんにたくさんのお金を積んで戒名に、いわゆる「院号」をつけてもらったりしますが、それであの世の良いところに行くことは出来ません。

 この世では、お金で買えないものはほとんど無いと思われていますが、あの世の行き先は、絶対に金銭では買うことが出来ないものです。だからこそこの世での過ごし方、考え方が大切なのですが、まずはあの世の階層とはどうなっているかを簡単にお話ししたいと思います。

行く先は人によって異なりますが、最高位は『神界』です。「えっ?死んだら、神様の世界に入れるの?」と驚かれるかもしれませんが、本来「人類は、すべて神の子」ですから、全員が神界に返られるのが理想なのです。

しかし、残念ながら神様の世界にただちに行くことが出来るのは、一世紀に一人か、二人しかいないと言われています。

実は『天命とは、神様の世界に返った時に自分がすべき役目のこと』なのですが、それがまだまだ修行中の状態で、神様の世界でその役目を果たせるようにならないと、神様の世界に入る事は出来ません。

また神様の世界は、一点の曇りも、汚れもない黄金の世界であり、現在のように空気も、水も食べ物も人の心もかなり汚れている世界で生きている人にとっては、かなり難しいことになっています。

そこに返ることができない人が、次に行くべき所が『仏界』です。仏様の世界です。

この神界・仏界に返れる人は、高いところですから、あの世とこの世の出入りも自由ですし、ご子孫の方などを強い力で守って差し上げる事が出来ます。

よく亡くなった方に「成仏して下さい」という言葉をかけますが、「成仏」とは、この仏界に返れることです。なかなか「成仏」出来る人は、少ないのです。

仏界にも返れない人は、次に『霊界』に返ることになります。ここに入るには、天命を知って天命に生きることが前提になります。

しかし今生きている人で、自分の天命を知っている人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。残念ながら・・ほとんどおられないはずです。天命を知り、天命に生きる事は、この世だけでなく、実は人の世を去った後にも重大な関わりがあったのです。

少なくとも仕事がイヤで、金のためだけに仕方なく働いているという人は、絶対にその人の天命の仕事についてはいないはずですから、霊界にも入る事は出来ません。

ここにも入れない人は、次が『幽界』になります。幽界に返るには、感謝の気持ちがあることが条件になります。

人はすべて神の子ですから、一般的に「感謝の気持ちはおありですか」と問えば、皆「あります」と答えます。大切な事は有無ではなく、その感謝の気持ちが日常生活に活かされているかどうかなのです。

この下は俗に言う「低いところ」です。そこは、『餓鬼界』・『修羅界』・『畜生界』の三つに分かれています。餓鬼界は、際限なく「くれくれ」と言う欲望の世界です。

修羅界は争いの世界です。畜生界は感謝の気持ちを持たない者の世界で、今や満杯状態です。日常生活においても、いろいろと「してくれ」とは言ってくるが、お礼も言わない人が増えていると思います。ですから、お礼を言う人がいたら、まだましな方だと思って下さい。

この三つの界は、底なし沼のようになっていますので、最初は幽界に手の届くようなところにいても、よほど気をつけないと、いつの間にか底の方に沈んでしまうおそれがあります。

その下がいわゆる地獄界です。血の池地獄・針の山地獄などがあり、極寒地獄が一番厳しいところと言われています。

地獄に行ってしまいますと、年に一度『地獄の竈の蓋が開く』と言われるように、お盆の時だけ供養が受けられることになります。餓鬼・修羅・畜生の世界では、春・秋の彼岸と、ご命日にも供養を受けられます。

神界は天上にあり、仏界は中空にありますから、地上での出来事には影響を受けません。霊界・幽界は地上にあります。しかし、大地にしっかりと足を踏みしめることが出来ますので、少しずつでも高いところに登って行くことが出来ます。

生きているときの考え方や生き様が、あの世の行く先を決めるのですから、辛いことがあっても、やけくそになって人生を投げたりせず、『人生は修行の道場』と立ち向かいたいものですね。

        今年の小田原定例講演会は、『天命シリーズ』です。

人はなぜ生まれ、どう生きるべきか

日本人として生まれた天命

先祖に繋がり、天命を知る方法

4月は、職業別の天命 です。

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2012年3月19日 (月)

第49話 人は、死んだらどうなるのか

お彼岸の時期でもありますので、人が亡くなった後のことについて、お話ししたいと思います。

皆さんは、人が死んだら、どうなると思いますか。そんなことを言われたって「死んだ後のことなどは(死んでみないと)分からない・・」でしょうか。

ですから人それぞれにいろいろな考えがあり、それによってご供養に対しての気持ちの込め方や取り組み方なども、ずいぶん異なる様に見えます。

皆さんの考え方は、「死んでも、どこかで生きている」と思う人と、「死んだら全てが終る」と思う人に大きく分かれます。

「死んでも、どこかで生きている」とはおかしな言い方のようですが、「肉体は死んでも、霊魂は天国か、地獄か、あるいは行くべき所に行かれずに迷っているか、いずれにしてもどこかで生きている」ということです。

その思いを表わす、いろいろな言葉があります。

「死んだら、本当に全て終る」と思っている人は、「死んで花実が咲くものか」「死んだら、すべてが楽になる」「もうこれで、すべて終わりにしたい」などと言います。

「死んでも、魂は生きている」と思っている人は、「天国から見守っていてね」「人は死んだら、星になるんだよ」「行くべき所に行って、成仏して下さい」「お盆には、ご先祖様が帰ってくる」等と言います。

現代では、「人がこの世を終えると、それで全ておしまい」と思っておられる人が多い様ですが、肉体は終わっても、霊魂は永遠に生き続けられるのです。まずこのことをよく念頭において下さい。それは人がこの世に生きる百歳そこそこの年月よりも、はるかに長い期間です。

そして「死んだら、すべてが楽になる」と言うことも、誤解です。人は、亡くなった時の状態のまま、あの世に行き、その状態で霊魂は生き続けます。病気で亡くなった方は、病気の痛みのまま、事故で亡くなった方は、事故の状態のままです。

だからこそ慰霊やご供養が必要になるのです。事故や災害の慰霊になると、それはシロウトの方では無理な点もありますが、ご家族の方のご命日やお彼岸、お盆の時期は、家族が為すべき大事な時期ですから、子孫の方は真心を込めたお供養をして差し上げて下さい。

亡くなった時の状態から、少しでも良い状態にして差し上げられるのは、この世に生きている人の真心のこもったご供養によるものが大きいからです。少しずついわゆる良いところに行くことが出来るのです。

現在行なわれているご先祖様のご供養や、命日の供養、お彼岸、お盆のご供養の仕方は、残念ながらかなり自己流です。本当に亡くなった方の霊魂に届くような正しいご供養を是非して差し上げて欲しいと思います。

◆詳しく知りたい方は、原則、毎月第一土曜日に小田原で定例の講演会があります。ご質問の時間なども設けていますので、関心のある方はご参加下さい。

http://www.soseinippon.jp/

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2012年3月12日 (月)

第48話 亡くなった人に届く供養  お彼岸には、お墓参りを

先祖供養はお寺さんでするものだ、仏教の専門だと思っておられる方が多いと思います。ですから神道で、ご先祖様や、お墓参りの話をしますと、「えっ?なぜ、神道で、先祖供養の話をするのですか」と奇異に感じられるようです。

神道の教えは、日本の伝統的な習慣の中に受け継がれ、日本人の生活や血の中に息づいていますが、実は、先祖供養もその一つなのです。もともと先祖供養は、仏教の伝来前から日本に伝統的にあったことで、日本人には当然のように馴染んでいました。

日本人には、「人は、死んで肉体がこの世から亡くなっても、霊魂はあの世で生き続けている」という感性を持っています。だから武士なども、自分の力不足なとで殿をお守りしきれず、死なせてしまったときなどに、「あの世で、殿にお詫びをする」という言葉が出たり、楠木正成公が、七度生まれ変わってでも、初志を遂げようと「七生報国(しちしょうほうこく)」というような言葉が出たりするのです。

そして恨みなどを残して、いわゆる「あの世の行くべき所に行かれない人が、幽霊としてこの世に現われる」のだと感じています。

死んだら全てが終ってしまうのであれば、葬儀の後の命日やお盆、お彼岸などの供養は、単なる気休めと言うことになってしまいます。

人は、死んで肉体がこの世から亡くなっても、霊魂は生き続けています。

人が死んだ後、実際に肉体から霊魂が離れて、「ひとだま」として飛ぶのを見たことがありますか。私も子供の頃、ご近所で人が亡くなると友達と連れだって、夜、人魂(ひとだま)がその家から出るのを、怖さ半分、興味半分で、よく見に行きました。

供養は、その霊魂に対して、届くようにすべきなのです。

たとえ災害などで、遺体が家族の元に戻ることが出来なかったとしても、霊魂に対しての供養をすることは出来ます。昨日は、東北大震災の日でした。各地でたくさんの慰霊の行事がありました。しかし単なる式典ではなく、本当の慰霊の事をして差し上げる事こそが大事なのです。

一年には、命日当日と、春秋のお彼岸、そしてお盆には、あの世にいる方にとって格別の時期です。あの世にいる霊魂に特別に届かせることが出来る時でもあります。

今月は春のお彼岸の時期です。三月十七日がお彼岸の入りで、二十日がお中日、二十三日はお彼岸の明けです。この一週間の間に、出来ればお墓参りをして差し上げるとよいのです。

ちなみになぜ先祖供養が、仏教の専門と思われるようになったのか、その経緯を簡単にお話したいと思います。

仏教伝来のときに、ご皇室や貴族の方々がこれを受け入れようとされましたが、一般にはなかなか受け入れられませんでした。

聖武天皇は、東大寺を始め、全国に国分寺と国分尼寺を作って、布教されましたが、なかなか一般には受け入れられなかったのです。それは、仏教には、先祖供養が入っていなかったからです。

お釈迦様は、人の生き様についてお説きになられたので、あの世のことについては、アナンというお弟子さんが、「私の母は、今どこにいるのでしょうか」とお問いかけされたのに対して、お見せ下さったということくらいで、後は人が生きて行く上において必要な事や大切な事柄を教えておられるのです。

やがて仏教の側が先祖供養を取り入れられて、やっと一般にも布教されるようになったのです。

今は、『政教分離』が問題になっていますが、明治十五年には、神社は祭事を行なうことと、神様がいるという教えをするこことは別にしなさいという『祭教分離』令が出され、同じ太政官布告で「神社は葬式を出してはならない」とされたのです。以前は神葬祭が一般に行なわれていましたが、社家の方以外は、仏教に頼らざるを得なくなり、現在においては、葬式や法事等は当然仏教だと思われるようになってしまいました。  

そうした経緯があって、先祖供養は仏教と一般的にも思われていますが、ご先祖様を大事に思う心、あの世の方に届くご供養をして、亡くなった方とも魂を通わせていくことは、日本人の昔から受け継がれてきた大切な伝統です。

是非大事になさって下さい。

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2012年3月 5日 (月)

第47話 船の神様について

新しく船を造ったときには、造船所では、進水式を行なっています。一般に進水式とは、ドックで組み立てられた船を始めて水に触れさせる儀式で、命名式が行なわれた後、支え綱切断の儀式があり、シャンパンやくす玉が割られ、たくさんの紙吹雪等が舞う中で、ドックに海水が引き込まれ、賑やかに船の完成を祝う儀式のようです。

しかし、その船の運航を守るための儀式は、どうなのでしょうか。豪華客船や絶対に沈まないと思われている船が、沈没したり、座礁したりの事件が起きています。どんなに豪華な船であっても、「板子一枚下は、地獄」と言う言葉があるように、水の上の航行は一つ間違えば船もろとも海の藻屑となりかねない危険と隣り合わせです。そこで安全な航行が出来ることが、なによりも大切なことです。

ですから船には、昔から「船魂(ふなだま)の神様」をお祀りし、航行の安全をお願いしているはずです。今日は、その船魂の神様のお話をしたいと思います。

この神様は、天照大御神様よりも古い神様で、琵琶湖の近くにいらっしゃいます。

一般には、古代の神様については、九州とか大和のことが想起されますが、不思議なことに、前回お話した百里が岳を降ったところに朽木渓谷があり、安曇川として琵琶湖に注いでいます。この琵琶湖周辺も神々の里なのです。それも船に関する神々の里なのです。

まずこの安曇川を枯れ木に鵜が止まって流れていくのをご覧になられた島津彦命は、棹を発明されて、筏舟(いかだふね)を造られました。

その子の沖津彦命は、沖に泳ぐ鴨をご覧になり、その足の水かきから櫂を発明し、鴨舟を造られました。

そして孫の志賀神は帆を発明し、鰐舟を造られ、その後、金析命(かなさくのみこと)は大型の大亀舟を造られました。

これらを整理すると、①島津彦命―②沖津彦命―③志賀命・・④金析命―ハデ神―⑤豊玉姫―⑥みづはのめの神となり、この六神が船魂(ふなだま)六神です。

実際に地図を見ると、琵琶湖に注いでいる安曇川の中程に「朽木」という地名があり、朽木渓谷の名もあります。島津彦命が朽ち木に乗った鵜を見た場所を思わせます。また地図ではそのすぐ下の鴨川には鴨という地名もあり、さらに南下すると志賀があります。

ずっと以前に、「琵琶湖周辺を活性化するにはどうしたらよいでしょうか」と相談を受けたことがあり、「一カ所や二カ所を個々に売り出すよりは、四国八十八ヶ所のように、周遊するようにしたらいかがですか」と申し上げましたが、まずは対岸に天照大御神様のご両親であるイザナギ・イザナミの神様をお祀りしている多賀大社があるのですから、そこに早朝参拝をされ、彦根城を見学してから長浜に行き、お城や黒壁の町並みを見て長浜に泊り、翌朝は船で竹生島に行き、対岸に渡ってこうした場所を尋ねるのも一案だと思います。

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