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2012年3月12日 (月)

第48話 亡くなった人に届く供養  お彼岸には、お墓参りを

先祖供養はお寺さんでするものだ、仏教の専門だと思っておられる方が多いと思います。ですから神道で、ご先祖様や、お墓参りの話をしますと、「えっ?なぜ、神道で、先祖供養の話をするのですか」と奇異に感じられるようです。

神道の教えは、日本の伝統的な習慣の中に受け継がれ、日本人の生活や血の中に息づいていますが、実は、先祖供養もその一つなのです。もともと先祖供養は、仏教の伝来前から日本に伝統的にあったことで、日本人には当然のように馴染んでいました。

日本人には、「人は、死んで肉体がこの世から亡くなっても、霊魂はあの世で生き続けている」という感性を持っています。だから武士なども、自分の力不足なとで殿をお守りしきれず、死なせてしまったときなどに、「あの世で、殿にお詫びをする」という言葉が出たり、楠木正成公が、七度生まれ変わってでも、初志を遂げようと「七生報国(しちしょうほうこく)」というような言葉が出たりするのです。

そして恨みなどを残して、いわゆる「あの世の行くべき所に行かれない人が、幽霊としてこの世に現われる」のだと感じています。

死んだら全てが終ってしまうのであれば、葬儀の後の命日やお盆、お彼岸などの供養は、単なる気休めと言うことになってしまいます。

人は、死んで肉体がこの世から亡くなっても、霊魂は生き続けています。

人が死んだ後、実際に肉体から霊魂が離れて、「ひとだま」として飛ぶのを見たことがありますか。私も子供の頃、ご近所で人が亡くなると友達と連れだって、夜、人魂(ひとだま)がその家から出るのを、怖さ半分、興味半分で、よく見に行きました。

供養は、その霊魂に対して、届くようにすべきなのです。

たとえ災害などで、遺体が家族の元に戻ることが出来なかったとしても、霊魂に対しての供養をすることは出来ます。昨日は、東北大震災の日でした。各地でたくさんの慰霊の行事がありました。しかし単なる式典ではなく、本当の慰霊の事をして差し上げる事こそが大事なのです。

一年には、命日当日と、春秋のお彼岸、そしてお盆には、あの世にいる方にとって格別の時期です。あの世にいる霊魂に特別に届かせることが出来る時でもあります。

今月は春のお彼岸の時期です。三月十七日がお彼岸の入りで、二十日がお中日、二十三日はお彼岸の明けです。この一週間の間に、出来ればお墓参りをして差し上げるとよいのです。

ちなみになぜ先祖供養が、仏教の専門と思われるようになったのか、その経緯を簡単にお話したいと思います。

仏教伝来のときに、ご皇室や貴族の方々がこれを受け入れようとされましたが、一般にはなかなか受け入れられませんでした。

聖武天皇は、東大寺を始め、全国に国分寺と国分尼寺を作って、布教されましたが、なかなか一般には受け入れられなかったのです。それは、仏教には、先祖供養が入っていなかったからです。

お釈迦様は、人の生き様についてお説きになられたので、あの世のことについては、アナンというお弟子さんが、「私の母は、今どこにいるのでしょうか」とお問いかけされたのに対して、お見せ下さったということくらいで、後は人が生きて行く上において必要な事や大切な事柄を教えておられるのです。

やがて仏教の側が先祖供養を取り入れられて、やっと一般にも布教されるようになったのです。

今は、『政教分離』が問題になっていますが、明治十五年には、神社は祭事を行なうことと、神様がいるという教えをするこことは別にしなさいという『祭教分離』令が出され、同じ太政官布告で「神社は葬式を出してはならない」とされたのです。以前は神葬祭が一般に行なわれていましたが、社家の方以外は、仏教に頼らざるを得なくなり、現在においては、葬式や法事等は当然仏教だと思われるようになってしまいました。  

そうした経緯があって、先祖供養は仏教と一般的にも思われていますが、ご先祖様を大事に思う心、あの世の方に届くご供養をして、亡くなった方とも魂を通わせていくことは、日本人の昔から受け継がれてきた大切な伝統です。

是非大事になさって下さい。

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