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2012年5月の4件の記事

2012年5月28日 (月)

第59話 念と言霊 その2 ノイローゼのコンピュータ技師を立ち直らせた話 

前回の第58話で、「念と言霊 言葉は、壁に残っている」の話をしましたので、

今日は、本当に残っていたんだという証になるノイローゼのコンピューター技師を短期間で立ち直らせた時のお話しをご紹介します。

銀行などの大がかりなシステムの切り替えの時は、専門の人は何ヶ月も深夜まで続く作業になるそうで、残業も多い代わりに、収入も多い。

残業をすればするほど、収入にも繋がるので、初めのうちは皆張り切って行なっていたそうです。しかしそれが何ヶ月も続く間に、段々体調や、精神的に参ってくる人が増えてきて、中にはノイローゼ、鬱病の診断をされる人が増えてきたそうです。

段々それがひどくなり、プロジェクトの推進にも影響するほどになったとき、その中の最も無断欠勤の多い人を、「もう、あいつはクビだ」とついに社長が耐えかねて言い出しました。社長からすれば、依頼された期間までに切り替えなければならないところに、これでは全く予定が立たないわけです。

しかしその人の上司、たしかその当時は室長だったと思いますがその人が「ちょっと待って下さい。対処しますから。」と言って、以前から時々見えていた私の所にその人を連れてきました。

その方から見れば、「他の理由でのクビならばともかく、『鬱病で無断欠勤のため』では、その人が再就職する場合でも、この先何処も採用してくれないだろう。何ヶ月も一緒に働いてきた、まじめな人なので、何とか治してやって貰えないだろうか」といってきたのです。

その人は、向き合って座ってもほとんど顔も上げないままで、正直言って暗いです。ですからいきなり体調のことなどは聞かないで、まずほんのわずか世間話をして、相手の人の気持ちをほぐして、少し相手の方が顔を上げはじめた頃を見計らって「ところで、あなたは何処が悪いのですか」とお聞きしました。

相手の方は、間髪を入れずに「僕は、鬱病です」と言うのです。

「えっ、鬱病?あなたは鬱病のように見えるけれども、決して鬱病ではないですね。」と言いましたら、「いいえ、れっきとした鬱病です。病院で三カ所も鬱病という診断をもらいました。」とその時はきっぱりと言い切るのです。

「そうですか。ところであなたはどうしたいのですか。会社では、クビだと言っているそうですが、鬱病でクビでは、この先何処にも再就職できませんよ。」

と言うと、彼は、うつむいたまま、ずっともじもじとしていました。

「あなたは、れっきとした鬱病なんかではありませんよ。鬱病に近い症状は出ていますが、鬱病ではありません。騙されたと思って、私の言うことをちゃんとやってみますか。」

相手の方は、その時は顔を上げて「はい」と返事をしたので、

「神道では、『念と言霊』と言って、本当に心を込めて、本心から言葉に出したときには、その力がその通りに働くのです。ですからこれからお教えすることを本気で本心から言葉に出して下さい。必ず変わりますからね。

明日の朝、会社に行ったら仕事を始める前に、自分の机とコンピューターに向って、『おはようございます。今日もよろしくお願いします』と言いなさい。

ただ言えばいいと言うのではないのですよ。自分がそう思う事が先ですからね。」と言うと、彼は、きょとんとした顔をしていましたが、それでも「はい」と言って帰って行きました。

翌日、仕事を終えてからやってきて、「やりました」と言いました。「感じは、どうでしたか」とお尋ねすると、「感じは分からなかったですが、何となく仕事は出来ました」と言います。

それまでのように、途中で家に帰ってしまったりはせず、一日なんとか仕事が出来たようです。

「では明日は、自分の机だけでなく自分の両隣の机とコンピューターにも同じ事を言いなさい。」

と伝えると、翌日も仕事を終えてからやってきて、「やりました」と言う。

はじめにつれて来られたときよりも、少し明るい顔になっています。

「ところで君の上司は、普段からガミガミ言っているのじゃないかね。」と聞きますと、彼はその通りとばかりに大きく頷いて「そうです!」と力が入ります。そのことが彼にとって、かなりの精神的な苦痛になっているのだなと感じましたので、

「では自分の机と、両隣の机に加えて、ガミガミ言う上司の机とコンピューターにも、おはようございます。今日もどうぞよろしくお願い致します。と言いなさい。」と言うと、

「あの人の机に・・ですか?」と聞かれましたので、「そうだよ。特別に気合いを込めて『おはようございます。今日もよろしくお願いします』と言いなさい。」と答えると、彼は素直に「はい」と言って帰りました。

翌日は、幾分胸のつかえが取れたような顔をしてやってきました。そこで、

「明日は、少し大変だけれどね。お部屋の全員の机とコンピューターにも一つひとつ言いなさい。100人以上いると言うことだけれども、途中で気を抜かないで、一つ一つていねいに言いなさい。」と伝えました。

それが金曜日でしたので、二日間は土日で来ないのだろうと思っていたら、月曜の夕刻になっても、火曜の夕刻になっても来ませんでした。水曜日の夕刻になって、彼を連れてきた室長が息せき切って飛び込んできました。

そして「先生、彼に何をしたんですか!」と言ってきました。

「どうしたの。何かあったの」と聞きましたら、

「昨日、社長がやってきて全員を集めて、どうするのが一番いいかと皆の意見を聞きました。やはり体調を崩したり、ノイローゼになった人が多いので、皆さんの立場からしたらどうしたらいいかという問いかけがあったのです。正直このままでは期限に間に合わせるのは、かなり難しいですから。

そうしたらクビだと言われた彼が、何人かのグループにして、それぞれがその班ごとに成果が出るようにしたらどうでしょうか。今は、一人一人がそれぞれのノルマを抱えてコンピューターとだけ向き合っています。皆その状態で朝から晩までやっているのですから、精神的に切れたり耐えきれなくなったりするのです。グループ毎にして打ち合わせをしながら、成果を上げていったらいいのではないですか。」という意見を言いました。

早速十いくつかの班を作って、彼をその中の班長にしました。

『クビだ。』と言われていた彼がです。」

ただ言葉だけでは、人は動かないけれども、本当に心を込めて行なったときには、人の心だけではなく、機械をも動かすことが出来るのです。だからどう思って言葉に出すかが大事なのです。彼はそれを本気で素直に行なったから、こうした変化が出たのだと思います。

今日の一日一言 1207話 原因と結果 現象と大元

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2012年5月21日 (月)

第58話 念と言霊  言葉は壁に残っている

毎日口にしている言葉、言った途端に消えて無くなるものと思ってはいませんか。

平気で言いたいことを言う人は、「自分は、口は悪いが、腹には残さないタチだ。」などと、言いわけをしがちですが、言われた相手の心にはグサリと残っていることがあります。

時に「何年も前に言われたあの言葉で、本当に傷ついた、落ち込んで立ち直れないほどだった」と言われて「えっ、あんなに前のことを、お前はそんなに根に持っているなんて・・」

それも覚えておいて欲しいことは、ころっと忘れられて、何でそんなことをと思うようなことをしつこく覚えられている・・

毎日飛び交う言葉、使わないで済ませられる日はないのに、知らずに使っている言葉が、案外自分の足かせになっていることがあります。

「言ってはならない一言を言ったばかりに、絶交になった」

これも以後、ほとんど収拾がつきませんので、本当に怖いですが、「毎日繰り返され、少しずつ蓄積されていく言葉の威力」は、案外無視されています。

しかし、気付いていないのではなく、「あの上司の顔を見ただけで、胃が痛くなった」「○○さんのキンキンした声を思い出すだけで、うんざりする」などと、実は「嫌悪感」としてけっこう反応しているのです。

言葉は、口にした途端に消えて亡くなるものと思っていますが、実はたばこの煙が、しばらくすると空気中に消えて無くなるように見えて、まわりの壁にヤニとなって残ってしまうように、言葉も周囲の壁に残っているものなのです。

最近は、受動喫煙の防止などで、新幹線やレストランなどでも喫煙席、禁煙席に分かれるようになりましたが、職場などではなかなかそこまで徹底出来にくいのか、年末などに大掃除をすると、拭いた壁の色が掃除前と変わるほどに、べっとりとヤニがついていることがあります。

掃除したときは、その汚れにうんざりして、「こんなに汚れていたのか」と驚きますが、日々発している言葉も実は同じように蓄積しています。

自分達の発していた言葉が、こんなに周囲に残っていたのかと、もしその声が聞こえたら本当に驚ろかれると思いますが、その部屋にいると、そこの壁に残っている言葉の影響を少なからず受けてしまいます。

年中ガミガミ言う上司の所では、胃腸の具合の悪い部下や、ノイローゼになる人が出やすいと言われます。実は、怒鳴っている上司の方も本当は「そこまで言うつもりはなかった」と密かに思っているのです。

ところが注意しているうちに、段々とエキサイトして、「これでもか!」というほどに怒鳴ってしまい、止めようがなくなってしまうようです。

それは注意している間に、時間が経つと周辺の壁に残っている「過去に吐いたののしりの言葉」と反応してしまうからです。だから「なんであんなに怒鳴ってしまったのだろう」というほどに相手を責めたり、罵ることになってしまうのです。

それを取り去るには、一つには油絵の絵の具を塗り重ねていくように、日々いい言葉をなるべく出していくことです。しかしこれは周辺に「悪い言葉・責める言葉・ののしりの言葉」などが、たくさん残っているときには、結構努力がいります。

言葉は、自分一人で出来るのではなく、会話ですから相手とのキャッチボールで成り立ちます。自分がどんなにいい言葉を出そうとしても、それを片っ端から否定されたり、罵られて、自分の気持ちが沈んでしまう事もあるからです。

ですからいい言葉、いい環境をその部屋の中に作りたいときには、朝一番が勝負です。会社であれば、その部屋に一番乗りして、可能であれば窓を開けて昨日の空気と入れ換えてから、(窓を閉めて)誰もいない部屋に向って、明るく「おはようございます!」と言います。

はじめは気恥ずかしくて、「何でこんな事しなければならないのだろう」と思うかもしれませんが、これはやったが勝ちです。やってみなければ分からない事ですが、いい環境で、良い仕事をしたいと思えば、今までのイライラ、セカセカから発した相手を罵る言葉に囲まれて過すマイナスから、早く切り替えて、いい言葉からなる「やる気、元気のプラスの環境」に変えていく事が本当に出来るからです。

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2012年5月14日 (月)

第57話 大宇宙創世の神様 大神様のご存在

私は、長いこと『大宇宙創世の神様 万物創成の神様』を求めていました。

しかし富士古文献(宮下文書)・竹内文書・上記・九鬼文書・秀真伝・東日流外

三郡史等いわゆる古史古伝と言われる書物にも、一様に『大神様』と言う文字が出て来ます。しかしそこに出てくる神様は、なぜかピンときませんでした。

そこで「お名前は分かりませんが、根源の神様 大宇宙創造の神様」と毎日のようにお呼びかけをし、そして日が経つうちにその思いを念じながら「大神様」と申し上げるようになりました。

ここで、『大神様』と申し上げますのは、『神漏岐大神様』と『神漏美大神様』のことです。一般には、この神々様は、『神漏岐命』・『神漏美命』と言われています。なぜ、この『神漏岐大神様』と『神漏美大神様』が、『大神様と言えるのでしょうか。

『神漏岐大神様』と『神漏美大神様』が、『大神様』であると気付かせて頂いたのは、ある日の御祭で祝詞を奏上しているときでした。奏上した文言の中に、心に「あれ?」と引っ掛かるものがあったのです。

この祝詞は、一般には『大祓の祝詞』とか『大中臣の祝詞』と言われている祝詞です。私もみ祭り毎に奏上させて頂いていましたが、それまではそれほど気にも止めておりませんでした。しかし、その時は、何故か気になって仕方がなかったのです。

 御祭を終えてから、今一度気になったところを読み返してみたのです。

 

 『高天原に 神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て』

 と、始まります。

 ですから、一般には、『神漏岐命様・神漏美命様』というようにお呼びしております。私の心に引っかかったのは、この点だったのです。

 『命』と申しますのは、本来「神様のお言葉をお伝えされる方のこと」を言うのです。『御言葉(みことば)を伝える方』を略して、『御言(みこと)』と申し上げるようになり、やがて『命(みこと)』の字が当てられるようになったのです。

 それはともかくとして、私達が言っております『命様』は、神様の下にお仕えして、神様のお言葉を伝え、神様のご意志にしたがって行動されるお方、ということになります。

 

ところが、この祝詞によりますと、その次に、

『八百万の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて』と続くのです。

「はて?」

おかしくないでしょうか。

私は、かつて内閣国防会議事務局というところに勤務をしたことがあります。現在の内閣安全保障室というところです。

その時に、「国防会議を開いて欲しい」というときに、その書類をもって各大臣の所へ回ります。だいたい各省庁の官房長の所に直接届けに参ります。私が「い

ついつの何時に集まりなさい」という書類をもっていきますが、私の権限で集めるわけではありません。

「内閣総理大臣 佐藤栄作」とちゃんと名前が書いてあって、印鑑を押したものを届けに行くのですから、集めたのは「内閣総理大臣 佐藤栄作」です。私はそれをもっていくだけで、いわば『命』の役目をするだけです。

お集めになるのは内閣総理大臣です。そうしたことが頭の中に浮んできたのです。

 それにもかかわらず、この祝詞によりますと、『神漏岐命様・神漏美命様が、八百万神様をお集めになられ、審議をさせられたということになってしまうのです。

 神様の、いわば御使いをなさられる命様が、八百万神様をお集めになり、審議をさせた、ということになります。それは、つまりお使いをした私が国防会議を招集し、審議をさせた、というのと同じことになってしまうのです。

 これは、どう考えてもおかしいではありませんか。法律を専門にしていた持ち前の理屈屋の顔が覗き出して来ました。

 

そうして、ここに書かれております『命』という文字は、『神漏岐命様・神漏美命様』という意味ではなく、次の『命以て』にかかるものであり、それは文字通り『命令を以て』とか、『命令によって』という意味に解さなければならないのではなかろうかと考えたのです。

 そうして、それならば、と思った途端に、思わず、

 「大神様だ!」

 と、大声をあげてしまったのです。

 八百万神様にご命令出来るのは、大神様以外にはおられないはずだからです。そうして、その時に、はからずも、

 「よくわかったな」

 と、荘重で重厚なるお声が、聞こえてきたのです。

 驚きとともに、厳かなるお声に、思わず平伏してしまいました。

 お言葉と致しましては、たった一言でしたが、感応によって、このお方こそが、私が日々『大神様』とお呼びして、求め続けて参りました、大宇宙のすべてを束ねておられる、大根源の神様であらせられると、瞬時にすべてを解し得ることが出来たのです。

 その時は、全身が震え、ひたすら平伏しておりましたので、ただ感動したとか感激したなどという生易しいものではなく、まことに筆舌し難いものでした。

 そうして気がついた時には、眩いばかりの黄金の光の中にいたように思います。大神様ですから、当然のことではありますが・・・。

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2012年5月 7日 (月)

第56話 出雲大社と熊野大社の関係 

私の疑問から明らかになったお話を続けます。

大国主神様をお祀りしている出雲大社では、大きな行事をするときに、熊野大社から忌火(いんび‥木と木を摺り合せて起こす清らかな火)を頂いてから行うと言われています。

「忌火なら、出雲大社でも起こせるだろうに、なぜだろう」というのが、私の疑問でした。一般に熊野大社と言いますと、紀州を思い出されると思いますが、出雲にも、八束郡八雲村、今は松江市八雲町にもあるのです。

そこで、出雲大社にも熊野大社にも「なぜですか」とうかがったのですが、どちらも「昔からの古い古い伝統でそうしているのです」というお返事で、理由については一切お答えがありませんでした。

自分の興味だけで神様にお伺いすることは致しませんが、「神社に伺っても、理由は分りませんでしたので、お教え願えませんでしょうか」と、改めてお伺いすると、次のようなことを教えて頂いたのです。

これは「因幡の白兎」の話の中にヒントがありました。そして熊野大社、昔から熊野権現と呼ばれていることに大事な意味が隠されていたのです。それをお話ししたいと思います。

皆さんは、因幡の白兎の話をご存じでしょうか。ほとんどの方は子供の頃に呼んだ、日本神話などにも出て来ますので、ご存じの方が多いと思いますが、簡単にご紹介します。

「だいこくさま」という唱歌の中に「大きな袋を肩に掛け」と大国主神様(別名 だいこくさま)が歌われていますが、それは大国主神様の大勢のお兄様が、因幡の八上比売(やかみひめ)をお嫁様にしたいと出かけられた時に、お兄さん達のたくさんの荷物を大国主神様お一人で担いで後から歩いて行ったときの姿です。

 

お兄さん達が、気多の岬にさしかかったとき、皮を剥かれて、丸裸になった兎が横たわっていました。お兄さん達は、それを見て「海水を浴びて、山の頂に横たわり、風に吹かれると良い。そうすると良くなるぞ」と口々に兎に言いました。兎がそのようにすると、海水が乾くに従って、痛みが治まるどころか、皮膚が風に吹かれてひび割れて、ますます痛みがひどくなり、もがき苦しんで泣き伏していたところに、大国主神様が通りかかりました。

大国主神は、兎に「どうしてそんな姿になったのだ」と尋ねると、兎はこう話しました。

「私は、於岐(おき)の島にいて、この本土に渡りたいと望みましたが、渡る手立てがありませんでした。

そこで海の鮫を騙して海を渡ってやろうと考え、鮫たちに向って『私達兎の仲間と、あなたたち鮫の仲間の、どちらの同族が多いかくらべっこをしよう。お前は同族のありったけを連れてきて、この島から向こう岸の気多の岬までずらり伏し並べたら、私がその上を踏んで、走りながら数えてあげる。そうしてどちらが多いかを知ることにしよう』と言ったところ、鮫はそれを信じてずらりと並びましたので、私はその上を踏んで数えながら渡ってきて、対岸(本土)に渡ることが出来ました。

そして地上に降りようとした時に、つい口が滑って、鮫たちに『やーい、お前たちは騙されたのだ』と言ってしまったのです。その瞬間に一番端にいた鮫に私は捕えられて、すっかり私の毛皮を剥ぎ取られてしまったのです」と事情を話しました。

苦しんでいたところを、先に行きました大勢の神々が『海水を浴び風に当たって横たわっておれ』と言われたので、そのように致しましたところ、私の身体の痛みは益々ひどくなってしまいました」と申し上げたのです。

これを聞いた大国主神は、「そんなことをしたら痛むに決まっている。今すぐに河口に行き、真水で身体を洗い、そのままその河口の蒲の穂を取って敷き、その上に寝ていてごらん。すると蒲の花粉が身体について傷はふさがり、そっと寝ていれば元の皮膚のようにきっと治るだろう」と教え、兎がその教えの通りにしたところ、兎の身体は元通りになりました。これが因幡の白兎のお話です。

この兎は大国主神に、「大勢の兄弟の神々は、きっと八上比売を妻に得られすまい。袋を負って卑しい役目をしておられますが、あなた様が必ず得られるでしょう」と申し上げました。

八上比売は、求婚に来た兄弟の神々に、「私はあなた方のいうことは聞きません。大国主神と結婚しましょう」と言ったので、これを聞いた兄弟の神々は怒って、大国主神を殺そう」とみんなで相談して、伯耆の国の手間山の麓に大国主神を連れて行き、「この山に赤い猪がいる。それをわれわれが追い落とすから、お前は下でそれを待ち構えて捕まえろ。もしも捕まえ損なったら、お前を殺してしまうぞ」と言い、山の上から、猪に似た大きな石を火で真っ赤に焼いて転がり落としました。

大国主神がそれを捕まえようと抱き留めると、真っ赤に焼けた石にたちまち身体を焼かれて死んでしまいました。この話を聞いて、母親の刺国若比売(さしくにわかひめ)は泣き悲しみ、なんとか息子を助けたいと、高天原に上がって行って、神産巣日神(かみむすびのかみ)にお願いしました。

神産巣日神(かみむすびのかみ)は、すぐにきさ貝比売とうむぎ比売を呼んで、大国主神のもとに派遣し、治療に当たったところ、大国主神は復活しました。

きさ貝比売とは、赤貝を人態化したお名前です。蛤貝(うむぎ)比売とは、蛤を人態化したお名前のことです。この二人の比売神は神魂神(かむむすびのかみ)様のお子様で、近くに神魂(かもす)神社があります。

その時の様子は、きさ貝比売が赤貝の貝殻を削り落として粉を集め、蛤貝比売がその粉の集まるのを待って受け取り、蛤の汁を溶いて母親の乳のようにして火傷の部分に塗ったところ、大国主神は、再び立派な男性として出歩くようになりました。

一般に、熊野大社というとご祭神は、スサノオノミコト様だと思われていますが、熊野大社は、「熊野権現」とも呼ばれています。

「権現」の「権」とは、「仮の」という意味でもあります。ですから「権現」とは、「仮に現われる」ということを意味しています。

つまりスサノオノミコト様の他に、まだ表に出ておられない尊い神様がいらっしゃるということです。この事については、「熊野権現の謎」として、別の機会にお話ししたいと思いますが、ここでは大国主の神様がお命を救われた神産巣日神様が、熊野大社にはいらっしゃるということにとどめておきたいと思います。

こうしたことから、大国主神様は、ご自分の大御祭りを行うときには、まず神産巣日神様のいらっしゃる熊野大社から忌火をいただくようにされたのです。火とは、霊魂の『霊(ひ)』ということにも通じます。そしてご恩になったことを、いつまでも忘れることなく、今の世にも伝えておられるのです。

出雲の熊野大社では、この儀式を亀太夫神事として、出雲の神主さんにさんざん威張り散らして渡す儀式であるように伝わっていますが、本来の意味とはかなり異なることではないかと思います。

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