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2012年5月 7日 (月)

第56話 出雲大社と熊野大社の関係 

私の疑問から明らかになったお話を続けます。

大国主神様をお祀りしている出雲大社では、大きな行事をするときに、熊野大社から忌火(いんび‥木と木を摺り合せて起こす清らかな火)を頂いてから行うと言われています。

「忌火なら、出雲大社でも起こせるだろうに、なぜだろう」というのが、私の疑問でした。一般に熊野大社と言いますと、紀州を思い出されると思いますが、出雲にも、八束郡八雲村、今は松江市八雲町にもあるのです。

そこで、出雲大社にも熊野大社にも「なぜですか」とうかがったのですが、どちらも「昔からの古い古い伝統でそうしているのです」というお返事で、理由については一切お答えがありませんでした。

自分の興味だけで神様にお伺いすることは致しませんが、「神社に伺っても、理由は分りませんでしたので、お教え願えませんでしょうか」と、改めてお伺いすると、次のようなことを教えて頂いたのです。

これは「因幡の白兎」の話の中にヒントがありました。そして熊野大社、昔から熊野権現と呼ばれていることに大事な意味が隠されていたのです。それをお話ししたいと思います。

皆さんは、因幡の白兎の話をご存じでしょうか。ほとんどの方は子供の頃に呼んだ、日本神話などにも出て来ますので、ご存じの方が多いと思いますが、簡単にご紹介します。

「だいこくさま」という唱歌の中に「大きな袋を肩に掛け」と大国主神様(別名 だいこくさま)が歌われていますが、それは大国主神様の大勢のお兄様が、因幡の八上比売(やかみひめ)をお嫁様にしたいと出かけられた時に、お兄さん達のたくさんの荷物を大国主神様お一人で担いで後から歩いて行ったときの姿です。

 

お兄さん達が、気多の岬にさしかかったとき、皮を剥かれて、丸裸になった兎が横たわっていました。お兄さん達は、それを見て「海水を浴びて、山の頂に横たわり、風に吹かれると良い。そうすると良くなるぞ」と口々に兎に言いました。兎がそのようにすると、海水が乾くに従って、痛みが治まるどころか、皮膚が風に吹かれてひび割れて、ますます痛みがひどくなり、もがき苦しんで泣き伏していたところに、大国主神様が通りかかりました。

大国主神は、兎に「どうしてそんな姿になったのだ」と尋ねると、兎はこう話しました。

「私は、於岐(おき)の島にいて、この本土に渡りたいと望みましたが、渡る手立てがありませんでした。

そこで海の鮫を騙して海を渡ってやろうと考え、鮫たちに向って『私達兎の仲間と、あなたたち鮫の仲間の、どちらの同族が多いかくらべっこをしよう。お前は同族のありったけを連れてきて、この島から向こう岸の気多の岬までずらり伏し並べたら、私がその上を踏んで、走りながら数えてあげる。そうしてどちらが多いかを知ることにしよう』と言ったところ、鮫はそれを信じてずらりと並びましたので、私はその上を踏んで数えながら渡ってきて、対岸(本土)に渡ることが出来ました。

そして地上に降りようとした時に、つい口が滑って、鮫たちに『やーい、お前たちは騙されたのだ』と言ってしまったのです。その瞬間に一番端にいた鮫に私は捕えられて、すっかり私の毛皮を剥ぎ取られてしまったのです」と事情を話しました。

苦しんでいたところを、先に行きました大勢の神々が『海水を浴び風に当たって横たわっておれ』と言われたので、そのように致しましたところ、私の身体の痛みは益々ひどくなってしまいました」と申し上げたのです。

これを聞いた大国主神は、「そんなことをしたら痛むに決まっている。今すぐに河口に行き、真水で身体を洗い、そのままその河口の蒲の穂を取って敷き、その上に寝ていてごらん。すると蒲の花粉が身体について傷はふさがり、そっと寝ていれば元の皮膚のようにきっと治るだろう」と教え、兎がその教えの通りにしたところ、兎の身体は元通りになりました。これが因幡の白兎のお話です。

この兎は大国主神に、「大勢の兄弟の神々は、きっと八上比売を妻に得られすまい。袋を負って卑しい役目をしておられますが、あなた様が必ず得られるでしょう」と申し上げました。

八上比売は、求婚に来た兄弟の神々に、「私はあなた方のいうことは聞きません。大国主神と結婚しましょう」と言ったので、これを聞いた兄弟の神々は怒って、大国主神を殺そう」とみんなで相談して、伯耆の国の手間山の麓に大国主神を連れて行き、「この山に赤い猪がいる。それをわれわれが追い落とすから、お前は下でそれを待ち構えて捕まえろ。もしも捕まえ損なったら、お前を殺してしまうぞ」と言い、山の上から、猪に似た大きな石を火で真っ赤に焼いて転がり落としました。

大国主神がそれを捕まえようと抱き留めると、真っ赤に焼けた石にたちまち身体を焼かれて死んでしまいました。この話を聞いて、母親の刺国若比売(さしくにわかひめ)は泣き悲しみ、なんとか息子を助けたいと、高天原に上がって行って、神産巣日神(かみむすびのかみ)にお願いしました。

神産巣日神(かみむすびのかみ)は、すぐにきさ貝比売とうむぎ比売を呼んで、大国主神のもとに派遣し、治療に当たったところ、大国主神は復活しました。

きさ貝比売とは、赤貝を人態化したお名前です。蛤貝(うむぎ)比売とは、蛤を人態化したお名前のことです。この二人の比売神は神魂神(かむむすびのかみ)様のお子様で、近くに神魂(かもす)神社があります。

その時の様子は、きさ貝比売が赤貝の貝殻を削り落として粉を集め、蛤貝比売がその粉の集まるのを待って受け取り、蛤の汁を溶いて母親の乳のようにして火傷の部分に塗ったところ、大国主神は、再び立派な男性として出歩くようになりました。

一般に、熊野大社というとご祭神は、スサノオノミコト様だと思われていますが、熊野大社は、「熊野権現」とも呼ばれています。

「権現」の「権」とは、「仮の」という意味でもあります。ですから「権現」とは、「仮に現われる」ということを意味しています。

つまりスサノオノミコト様の他に、まだ表に出ておられない尊い神様がいらっしゃるということです。この事については、「熊野権現の謎」として、別の機会にお話ししたいと思いますが、ここでは大国主の神様がお命を救われた神産巣日神様が、熊野大社にはいらっしゃるということにとどめておきたいと思います。

こうしたことから、大国主神様は、ご自分の大御祭りを行うときには、まず神産巣日神様のいらっしゃる熊野大社から忌火をいただくようにされたのです。火とは、霊魂の『霊(ひ)』ということにも通じます。そしてご恩になったことを、いつまでも忘れることなく、今の世にも伝えておられるのです。

出雲の熊野大社では、この儀式を亀太夫神事として、出雲の神主さんにさんざん威張り散らして渡す儀式であるように伝わっていますが、本来の意味とはかなり異なることではないかと思います。

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神道」カテゴリの記事

コメント

 スサノオは島根県の安来の須賀神社あたりだろうが。にわかに信じがたい。

投稿: 古事記王権の安来 | 2012年11月30日 (金) 22時36分

大神くんなら安来にいる友達だよ。

投稿: 母里小学校 | 2012年12月27日 (木) 21時09分

 確かに、熊野大社は歴史的には、八雲村の村長が地域の神社を習合して出来たのに、今頃になって一ノ宮とはいかがなものか?確かに、出雲大社系の亀甲紋ではあるが、県内外での存在感が低いのはあたり前。いかにもスサノオ神の故事をただよわせているが、出雲でかつて焼くも神社と呼ばれたのは、改名した安来神社であり、この八雲が小泉八雲となり二次的な歴史洗脳につながっているのは山陰文壇が機能しなかったからではないのかとも思う。

投稿: 島根松江人 | 2014年4月27日 (日) 19時53分

そもそも権現は本地垂迹説による概念であって、本来の神道とは何の関係もありません

投稿: 8823 | 2015年8月24日 (月) 04時44分

 ここよりも安来の十神山に大社も神宮も無いことが気になる。

投稿: 大同特殊鋼ファン | 2016年1月27日 (水) 21時38分

私も、スサノオの地安来で、古事記にある須賀というところを探しました。富田八幡宮の須賀神社というところをようやく見つけました。秦さんというかたが管理しているとのことですが話が聞けなかったのでいつかお伺いしたいと思っています。

投稿: 藤原何某 | 2016年9月18日 (日) 22時38分

(私はこちらのブログの他の記事はまだ読んでいませんので、内容から外れるかもしれませんが、)

大元出版の本を読んでみませんか?(複数冊色々出ています。)
・・・・・、でないとお話にならないと思います。
一般に出てくる多くの話は、権力者側が自分達の都合の良いように考えた 作り話 ですからね~。

大元出版の本は、旧出雲王国の2王家(富王家、神門臣王家)側の情報です。大手通販アマゾンで、大元出版と検索してみて下さいませ。

・出雲大社本殿の八雲の図が7つの雲 → 化けの皮が剝がれます(仕組んだのは・・・)

・由緒正しい神魂神社創建等に関する 本当の 由緒 → 化けの皮が剥がれます(仕組んだのは・・・)

・熊野大社 亀太夫神事 → 亀太夫って何の例え? なぜ国造が怒られる?その語られていない本当の意味は?(怒られる方からしたらそりゃあフタをしたくなりますね。自業自得ですが。)   ・・・など数々のほんとのホントがみえてくる

・現存の有名神社は、権力者側によって色々と変えられてしまったところがある → わかる・・・かも、ですね

・出雲王国の事、徐福(スサノオ)と秦国人渡来大集団の事は、公式には史実から抹消扱いが続いている。


大元出版の
出雲と蘇我王国 出雲と大和のあけぼの 古事記の編集室 お伽話とモデル 親魏和王の都 サルタヒコ大神と竜
あたり、いかがでしょう。

いろいろ聞いても、よく分からない・昔からの伝統・・・などなどはぐらかされるのは、知られちゃ困るだったり、知られちゃ困る事までたどり着かれるかも・・というのが理由。こういうケースがたくさんあります。
現出雲大社?最も知られちゃ困る人達が~

出雲大社創建時期はホームページでは、はぐらかしてあります。知られちゃ困るからです。創建は716年正月。

莫大な資金と人材を投入して神社を創建したのは、旧出雲王国の2王家(富王家、神門臣王家)で、秦国からの渡来系ホヒ国造家も関わっています。(大元出版 古事記の編集室をどうぞ)
尚現在は旧王家とは無関係の神社となっているそうです。

突然失礼しました~。

投稿: とく | 2017年4月 5日 (水) 02時37分

大元出版の本を読んでみませんか。旧出雲王国(紀元前~紀元250年頃)の2王家(富王家 、神門臣王家) 側の史実情報です。

特に 出雲と蘇我王国(大元出版)をお勧めします。旧出雲王国の2王家側の伝える史実情報です。熊野大社はもちろん、神魂神社や出雲大社(杵築大社)の本当の由緒についても説明がされています。
(関連読者感想文検索ワードメモ)
八雲の図 、八雲之図 、亀太夫神事 、熊野大社 神話の里から 、神魂神社 穴 、熊野大社 うんせき 、出雲大社本殿 うんせき 、津久井の諏訪の神 、アマゾン 大元出版 、アマゾン 大元出版 レビュー

(大元出版の著書)
幸の神と竜 、サルタヒコ大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、出雲と大和のあけぼの 、出雲と蘇我王国 、親魏和王の都 、古事記の編集室 、お伽話とモデル 、山陰の名所旧跡(※出雲王国側の情報あり) 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱   など。


・私なりの主に大元出版の情報による熊野大社の亀太夫神事
→旧東出雲王国滅亡(~紀元250年頃)後、東出雲王家(富家)は、現熊野大社エリアに屋敷を構え、邸内社を建てたそうです。それが発展したのが旧熊野大社だそうです。
旧と敢えて付けたのは、現在のそれは当時の面影は・・・状態だと思うからです。(祭神も国造家の推す、徐福・スサノオなどではありませんでしたし、国造家が奈良時代に旧王家に無断でねじ込んだクシミケヌ(中国の社稷の神)も関係ありませんでした。
ただし祭神は表記だけが変更されたのか、そっくり中身も変えられたのかは、私としては知るすべはありません、ここの神社に限った事ではないですが。
由緒正しい他のとある古社でも、実は大昔複数回焼き討ちされ、旧出雲王国時代はもちろん、後の物部王国時代のも残っていないとの情報を得ています。)
創建当初は、旧東出雲王家の御先祖の八重波津身王(コトシロヌシ)や古代日本の最高神 大祖先のサイノカミ三神(父クナトノ大神、母サイヒメノ命、息子サルタヒコ大神)だったそうで、宮司も東出雲王家(富家)が務めていました。
紀元前220年頃、隣国の秦国より渡来、移住して来たホヒ国造家。
以後400年以上に渡る、数えきれないほどの裏切り行為に対し、
出雲王家がホヒ国造家をしかりつける訳です。
しかし現在の神事の内容も、本来の百番の 伏拝礼が舞になり、さらに短縮されて百番が五十番に変えられました。(元の姿は百番の伏拝礼。やる人からしたらきつい神事だと思いますし、見た目は観光客には向かないと思います。約2200年前の件に重きを置いている訳ですから。)

本来の趣旨からしたら、何一つ変更してはならないのではないでしょうか?(裏切り行為による尊い2王の死、機密情報を敵に漏洩し出雲王国滅亡へ追いやる・・・・・・・・、などの数々の裏切り行為を戒める。)
どうも現在の権力者側は、観光化に重きを置いているように思えますね。
たしかに元の百番の伏拝礼では、観光客も退屈過ぎてとか時間の都合でとかの理由で帰ってしまうかもしれません。ほとんどの観光客はこの後の亀太夫さんの苦言・文句などを目当てにしていると言っても言い過ぎではないと思います。
苦言も10数年前の時点で、もっと何十年か古い時代より、比較にならないほどや~さしい内容に変えられています。
また徐々に都合の良い様に変更されてきているようです。
本来の趣旨は、
旧出雲王家側がホヒ国造家側の数々のとんでもない裏切り行為を戒めるというものです。

ここに着眼し、こだわっている人がほとんどいない・極端に少ないというのは、大変嘆かわしい事だと思います。 
(※一般には情報操作で伏せられているので、仕方がないのかもしれません。)
※大元出版の本は旧出雲王国の2王家(富王家、神門臣王家)側の情報です。
(参)大元出版 出雲と蘇我王国 、大元出版 山陰の名所旧跡 の140・141ページに熊野大社の事が載っています。

投稿: 主任 | 2017年8月 2日 (水) 15時33分

 ホットランド八雲はいいところですね。
東出雲の久保田さんに教えてもらいました。

投稿: 安来市民 | 2020年6月 1日 (月) 08時57分

(読者コメント 検索ワード)
神話の里から~思いつくまま 富神社 、神話の里から~思いつくまま 亀太夫神事 、神魂神社~ただの穴です 、出雲大社創建は8世紀頃??? 、明かされた古代出雲いんちゅうホイホイ秘密6散歩 (コメントをもっと見る)


寝台?神代???何を言うとんねん。
出雲大社(杵築大社)は716年創建。
出雲の王家ダイレクト 大元出版の古事記の編集室(※出雲大社建立の子細経緯説明あり) 、親魏和王の都(魏志和国の都) 、出雲と蘇我王国 、そして出雲王国とヤマト政権(※出雲と大和のあけぼの の内容含む) などに、表面上の架空の歴史以外の史実(現実)について解説があります。

実在の日本で最初の国家 出雲王国を形成した、出雲の東西2王家(東出雲王家 富家 、西出雲王家 神門臣家)が辿った史実に触れてみると、安いメッキが剥がれて行くかもしれません。

例えば八雲なのに七つの雲は、道教集団 七が聖数のあんた達の仕業だったのか とか、きざはし 社の階段 これも七段だらけですね・・、など。

しかしここは、716年創建時 主祭神は出雲王国の八千矛王―――太陽の女神信仰 聖数八 八つの雲が元の姿。 
 残念ながら今はことごとく改ざんされ、元の王家の痕跡は秦国からの渡来系 元家臣団によって消し去られてしまいました。
現在私は外部の元々の八千矛王のお社だったり、某所 八千矛王の磐座を参拝したりしています。

まあ、たまには遊園地レベルで動物の作り物や、ただ単に巨大な建築物という事で見学に行くのもいいのかもしれませんね、八千矛王もいらっしゃらない訳で真の歴史抜きで見る分には。


紀元前219年頃、秦国より千何百人とも伝えられる、大規模渡来集団(第一部隊が大田市 五十猛海岸に到着 、10年ほど後の徐福第二部隊は九州に)がやって来た。頭は徐福(900年後の奈良時代につけられた仮名はスサノオ) で、出雲大社宮司家の先祖ホヒ達もその一員であった。
ホヒは徐福(スサノオ)の1年前に渡来し、日本で最初の国家 出雲王国の当時の出雲王(8代目オオナモチの八千矛王) に、徐福と大勢の秦国人が出雲王国内に移住して来る事の許可を得に来ていた。(と同時に国内事情を探る、いんちゅう・スパイ活動)

出雲王国とは、神話・作り話上の国譲りの出雲王朝ではなく・・、この日本列島に
実在した日本で最初の国家の事です。(有名な神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡は架空の出雲王朝ではなく 、実在の出雲王国ゆかりの遺跡になります。
 世の中には食品偽装問題のごとく、架空の逸話関連を商売・利権にしたり、あろう事か祭神入れ替え変更や祭神名書き換えなどの規約違反、

出世の為に家系図の書き換えをするパターンがあるので要注意です。例えば、
出雲王国は徐福の次男側の家 物部と連合軍に、紀元250年頃に滅ぼされましたが、その後出雲の国造には物部の秋上家が就任する予定でした。

が、その時点で渡来系一家臣団の家とは縁もゆかりもない純然たる出雲王ーーー東出雲王家 富大田彦王 の事を、あつかましくもその家の者は家系図に取り込みーーーはくがついた 、物部の秋上家が国造を務めるより我々の家が務めた方が国内は良くなります、と来る日も来る日もストーカーのように面談を申し入れ、物部のイクメ王に詰め寄ったそうです。あまりのしつこさに嫌気が差した物部のイクメ王はそれをしぶしぶ承諾。誇り高き物部の秋上家は以後、敵方のしかも主家を裏切って出雲王国を滅亡に追いやった家の者に立場を逆転され、徐々に足蹴にされて行ってしまう。)

紀元前210年代にホヒとタケヒナドリ・いなせはぎ親子は、秦国人渡来集団の頭 徐福・スサノオの命令?で、当時の8代目の2王を拉致監禁して殺害しています。2王とは西出雲王家 主王の八千矛王 、東出雲 副王の八重波津身王の事です。本来であれば王家の意向で、当然ながら処刑され、その子孫もこの世にいなかった、日本列島から消えうせた存在であったそうです。なんとか温情で生き延びたのに、最終的には四百何十年後 大恩ある王家を裏切り、敵に機密情報漏洩、敵を攻めやすい方角に手引きして、広域出雲王国を滅亡へと追いやってしまいました。ホヒの子孫カラヒサ、ウカツクヌ親子による。)

その後、物部政権とのパイプ役にと王家がホヒ家を便宜上の出雲の代表に据えたそうです。(ただし王家の操り人形)
その後権威が欲しくなったのか、出雲の王家から姫様の輿入れを、と要求したとか・・・。私が感情移入するとしたら、泣く泣く輿入れする羽目になった姫様についてですね。

奈良時代の出雲大社建立にしても、大宝律令制定により自分の家が中央政府から指名されなければ失職、無職になってしまう恐れが出て来た為、神社経営の神官に鞍替えしよう、と国造家が思いついたのが始まりとか。しかも王家に神社共同経営を申し出ておきながら、巨額の建立費用の内目くそほどしか出さず、ほとんどを出資したのは東西2王家だったとか。

そういえば出雲地方の八雲村 熊野大社の亀太夫神事は、旧出雲王家が数々の裏切り行為を重ねて来たホヒ家をしかりつける神事だそうですね。
紀元前210年代、渡来後ほどなくして大切な2王を策を弄して拉致監禁殺害、四百何十年後には敵方に内通して出雲王国を滅亡に追いやり、奈良時代に建立した神社は金だけ出さしてその後事実上はく奪。出雲の王家にとってろくでもない存在だったのですね。

これらは国内外に広く知れ渡っている、日本史の家 の著書から学んだものの一部です。
あちらも事実と異なるなどと、王家に文句は言えないのだと思います。

投稿: 古代出雲いんちゅうホイホイ秘密6散歩 | 2020年6月 6日 (土) 07時11分

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投稿: ジブリファン | 2020年9月12日 (土) 19時16分

夢を壊すようで申し訳ありませんが、奈良時代に作成された神話には2大史実の隠ぺい という大きな目的が隠されているという事です。

1、奈良時代から見て900年以上前には既に円熟期に入っていた日本で最初の国家 出雲王国の存在そのもの。
(当時は8代目出雲王 八千矛王と八重波津身王 の時代 紀元前220年前後)

平和的民族インド ドラビダ出雲族の長 大祖先クナトノ大神が数千人規模の移住集団を従えて、北方ルートで住人の少なかった日本列島に到着。それから約千年の時を経て、クナトノ大神の子孫によって出雲王国の建国という流れになった。出雲王はクナトノ大神の子孫。

母系家族制(女主、父より母が偉かった、権限があった。) 、幸の神・サイノカミ信仰(子宝信仰) 、春に1歳 秋に1歳と年齢をカウントする、1年で2歳年を取る暦システムだった。


など、
これら丸ごとなかった事にするのが目的その1。


2、8代目出雲王の時代 紀元前220年頃に、秦国から大船団と共にやって来た 秦国人渡来大集団とその頭 徐福(後の奈良時代にスサノオと仮名表現された人物) に関する史実。

徐福は道教の法師で、道教の布教が目的で渡来し、さらにこの日本列島で王になるべく画策していた。(秦国の始皇帝をうまくダマし国外脱出を実現した。)

徐福は1回目の渡来時に和風名ホアカリを名乗り、出雲王国の八千矛王(西出雲王家)の娘 高照姫様と結婚。

長男 五十猛・イソタケ 後の香語山が生まれる。 が、出雲王国のシステム上この国の王になれないと悟り、一緒に渡来してきた子分のホヒ(出雲大社宮司家先祖)に策を練るよう指示。

ホヒと息子タケヒナドリ(いなせはぎ)が秦国から連れて来た大勢の海童と呼ばれる少年の一部を使い、8代目の出雲王の2人を拉致監禁して殺害した。(出雲王国は東西王家による2王制だったので、八千矛王・主王の他に、八重波津身王・副王もいた。主王の事を官職名でオオナモチと呼び、副王の事をすくなひこな・・ではなくスクナヒコと呼んでいた。)

このような、主副両王をほぼ同時に闇に葬るという前代未聞の大事件を引き起こした徐福は逃亡、一旦秦国の始皇帝の元へ帰国した。その後再度始皇帝をうまくダマし国外逃亡、今度は九州に上陸。和風名ニギハヤヒを名乗った。

このように紀元前210年代に、良くも悪くも前後2回に渡って5千人規模という、当時としてはものすごい数の秦国人が大規模移住して来たのに、上記のような秦国人徐福(奈良時代に設定された仮名スサノオの事) 関連の事はなかった事にされています。


秦国人徐福と渡来大集団についての史実を丸ごと隠ぺい。これが神話作成の目的その2。

尚、徐福に多くの異名が存在するのは秦の始皇帝の追っ手から逃れる為だとも言われているようです。(巧妙に莫大な金品と人材を引き出させた為)

これらは、出雲王国の王家の伝える史実を記した著書から得たものです。

東西2王家の内伝承の役目は、東出雲の富王家が専ら受け持つと話し合いで取り決めたそうです。

東西2王家の元は初代 菅八耳王でその出雲王 菅八耳は、あの大祖先クナトノ大神の子孫です。
元は一緒、昔も今も大変仲が良いというのも納得ですね。
(初代王と妻 稲田姫様との間には2人の王子が生れていた事から、直轄地を東西に分けて与えたというのが東西王家の始まりだとの事です。)
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(メモ参考コメント:神魂神社~ただの穴です 、古代出雲いんちゅうホイホイ秘密6 散歩 コメントをもっと見る 、出雲大社創建は8世紀頃??? 、亀太夫神事 思いつくまま 、あめにじ 出雲大社御本殿特別拝観天井八雲之図 、神話の里から〜思いつくまま 出雲王朝)


(大元出版の著書)
幸の神と竜 、サルタ彦大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、◎◎出雲王国とヤマト政権◎◎ 、出雲と大和のあけぼの 、出雲と蘇我王国 、親魏和王の都 、古事記の編集室 、お伽話とモデル 、山陰の名所旧跡(※出雲王国側の情報あり) 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱   など。

投稿: 古代出雲いんちゅうホイホイ秘密6散歩 | 2020年9月14日 (月) 22時46分

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