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2012年5月14日 (月)

第57話 大宇宙創世の神様 大神様のご存在

私は、長いこと『大宇宙創世の神様 万物創成の神様』を求めていました。

しかし富士古文献(宮下文書)・竹内文書・上記・九鬼文書・秀真伝・東日流外

三郡史等いわゆる古史古伝と言われる書物にも、一様に『大神様』と言う文字が出て来ます。しかしそこに出てくる神様は、なぜかピンときませんでした。

そこで「お名前は分かりませんが、根源の神様 大宇宙創造の神様」と毎日のようにお呼びかけをし、そして日が経つうちにその思いを念じながら「大神様」と申し上げるようになりました。

ここで、『大神様』と申し上げますのは、『神漏岐大神様』と『神漏美大神様』のことです。一般には、この神々様は、『神漏岐命』・『神漏美命』と言われています。なぜ、この『神漏岐大神様』と『神漏美大神様』が、『大神様と言えるのでしょうか。

『神漏岐大神様』と『神漏美大神様』が、『大神様』であると気付かせて頂いたのは、ある日の御祭で祝詞を奏上しているときでした。奏上した文言の中に、心に「あれ?」と引っ掛かるものがあったのです。

この祝詞は、一般には『大祓の祝詞』とか『大中臣の祝詞』と言われている祝詞です。私もみ祭り毎に奏上させて頂いていましたが、それまではそれほど気にも止めておりませんでした。しかし、その時は、何故か気になって仕方がなかったのです。

 御祭を終えてから、今一度気になったところを読み返してみたのです。

 

 『高天原に 神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て』

 と、始まります。

 ですから、一般には、『神漏岐命様・神漏美命様』というようにお呼びしております。私の心に引っかかったのは、この点だったのです。

 『命』と申しますのは、本来「神様のお言葉をお伝えされる方のこと」を言うのです。『御言葉(みことば)を伝える方』を略して、『御言(みこと)』と申し上げるようになり、やがて『命(みこと)』の字が当てられるようになったのです。

 それはともかくとして、私達が言っております『命様』は、神様の下にお仕えして、神様のお言葉を伝え、神様のご意志にしたがって行動されるお方、ということになります。

 

ところが、この祝詞によりますと、その次に、

『八百万の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて』と続くのです。

「はて?」

おかしくないでしょうか。

私は、かつて内閣国防会議事務局というところに勤務をしたことがあります。現在の内閣安全保障室というところです。

その時に、「国防会議を開いて欲しい」というときに、その書類をもって各大臣の所へ回ります。だいたい各省庁の官房長の所に直接届けに参ります。私が「い

ついつの何時に集まりなさい」という書類をもっていきますが、私の権限で集めるわけではありません。

「内閣総理大臣 佐藤栄作」とちゃんと名前が書いてあって、印鑑を押したものを届けに行くのですから、集めたのは「内閣総理大臣 佐藤栄作」です。私はそれをもっていくだけで、いわば『命』の役目をするだけです。

お集めになるのは内閣総理大臣です。そうしたことが頭の中に浮んできたのです。

 それにもかかわらず、この祝詞によりますと、『神漏岐命様・神漏美命様が、八百万神様をお集めになられ、審議をさせられたということになってしまうのです。

 神様の、いわば御使いをなさられる命様が、八百万神様をお集めになり、審議をさせた、ということになります。それは、つまりお使いをした私が国防会議を招集し、審議をさせた、というのと同じことになってしまうのです。

 これは、どう考えてもおかしいではありませんか。法律を専門にしていた持ち前の理屈屋の顔が覗き出して来ました。

 

そうして、ここに書かれております『命』という文字は、『神漏岐命様・神漏美命様』という意味ではなく、次の『命以て』にかかるものであり、それは文字通り『命令を以て』とか、『命令によって』という意味に解さなければならないのではなかろうかと考えたのです。

 そうして、それならば、と思った途端に、思わず、

 「大神様だ!」

 と、大声をあげてしまったのです。

 八百万神様にご命令出来るのは、大神様以外にはおられないはずだからです。そうして、その時に、はからずも、

 「よくわかったな」

 と、荘重で重厚なるお声が、聞こえてきたのです。

 驚きとともに、厳かなるお声に、思わず平伏してしまいました。

 お言葉と致しましては、たった一言でしたが、感応によって、このお方こそが、私が日々『大神様』とお呼びして、求め続けて参りました、大宇宙のすべてを束ねておられる、大根源の神様であらせられると、瞬時にすべてを解し得ることが出来たのです。

 その時は、全身が震え、ひたすら平伏しておりましたので、ただ感動したとか感激したなどという生易しいものではなく、まことに筆舌し難いものでした。

 そうして気がついた時には、眩いばかりの黄金の光の中にいたように思います。大神様ですから、当然のことではありますが・・・。

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