民主主義は、外国から来たものと思われていますが、実は日本には古来から有りました。それは「皆の意見をよく聞く」ということと、「民を宝として慈しむ」という意味の民主主義です。
それは神様の世界からの伝統です。驚かれるかもしれませんが、天照大御神様は日本の国の事については、全ての権限を与えられているにも関わらず、ご自分で独裁の形を取らずに、神々様をお集めになって会議をしておられました。
ただし現在の国会のような会議ではありません。私達は、会議とは物事の賛成か反対かの意見を言う場で、そして多数決で決定する事だと思っています。
しかし神々様の会議とは、天照大御神様が、大元で「こうする」と決定したことに対して、「どのような手段方法をとるのがよいか」について、神々様がご意見を出し合うのです。そして天照大御神様は、それをよく聞かれたということです。
祝詞の中にも、『八百万の神等を神集へに、集へ給い、神議りに議り給いて』とあります。八百万の神々様を天の安河原に、お集めになられて、神々の意見をお聴きになられたのです。
天照大御神様は、日本のことについては全ての「権限有れども、行使せず」といわれ、徳をもって治めていかれました。
神様の世界でも、鹿島の神様、香取の神様をはじめとした大勢の「武の神様」はいらっしゃいます。悪い者を退治するときや、柔らかく言葉で言っても分からないときには、断固とした態度で臨むということは必要な事であり、これを言葉で和(やわ)して整え、まつらわぬ者に対しては、武で以ておさえるという「ト・ホコの教え」として、神々様もなさっておられました。
しかし「武の神様」が、日本の国の中心の神様ではないのです。日本の神々様の中心はあくまで天照大御神様で、「徳を以て、国を治める」ということを中心とされた神様です。
その直系の子孫としての天皇は、本来それに基づくもので「天皇の徳」については、いろいろなエピソードが残されています。
既にご存じの方が多いと思いますが、仁徳天皇の「かまどの煙」の話は有名です。
仁徳天皇が、即位されて4年目に高台にのぼって見渡されました。すると家々から炊飯の煙が立ち上っておらず、国民は貧しい暮らしをしているのだと気付かされました。
そこで3年間税を免除されました。そのため天皇の着物や履き物が破れてもそのままにし、宮殿が荒れ果ててもそのままにしていました。
そして3年、国民は豊になり、高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見えました。国民の暮らしは見違えるように豊かになりました。
やがて天皇に感謝した人々が、諸国から天皇にお願いしました。
「3年も課役を免除されたために、宮殿はすっかり朽ち果てています。それに比べて国民は豊かになりました。もう税金を取り立てて頂きたいのです。宮殿を修理させて下さい。そうしなければ罰が当たります。」と。
太平洋戦争の後の昭和天皇の時にも、食糧難の時代に食べ物を求めて皇居に押しかけて、台所まで入った人がいたそうです。その時に天皇はさぞかし豪勢な物を食べているだろうと思って、お釜の蓋を開けたら、そこには自分達と同じ麦飯であったそうです。自分達は苦しいのに天皇は美味しいもの、ぜいたくをしているのかと思ったらそうではなかったと、恥ずかしくなって早々に引き上げたと言う話があります。
また昨年の東北大震災に伴い、東京電力が計画停電を実施したときには、天皇様は、ご自分からその地域の計画停電の時間に合わせて、電気を控え、暗い中でお過ごしになられたと言われています。
外国の国王や独裁者の中には、国民が飢えて死んでも自分のぜいたくはやめない人も多く、それが高じてフランス革命などが起ったといわれ、そして民主主義を勝ち取ったとされています。
今、日本でも「民主主義」として、声高に言われているのは、こちらの西洋的な民主主義のように感じますが、日本には神代の昔から伝統しての民主主義がありました。
「皆の意見をよく聞く」ということも、「下の者を慈しむ」ということも、今の日本人が忘れかけていることかもしれません。
しかし「上の人は、下の人を慈しみ、下の人は、上の人を敬い、慕い、物事を推し進めてきた」のが、日本の誇る良い伝統のはずです。
上の人とは、家庭であればお父さん、お母さんであったり、おじいさん、おばあさんです。そしてそれを受けるのは、子供や孫です。この伝統が活かされているならば、お父さん、お母さんは、ご自分の年配になったご両親を心から敬い、慕っている姿を子供に見せることが出来ます。
老人の孤独や、親子の断絶、子供への虐待といった問題のなにが根底にあり、なにが欠落しているから起きてしまうのかということをこの言葉に当てはめて考えて頂きたいと思います。
年配になったご両親が、「子供に迷惑かけたくないの」「息子夫婦と暮らしたくない」と拒むのも、部屋を与え形の上では同居しても、心の底では敬われても,慕われてもおらず、そして決して家族として受け入れられていない事を感じるからではないでしょうか。
しかし目上の人を、「敬い、慕い」と大切にすることは、何よりの家庭教育だと思います。かつての日本は、経済的には貧しくても、心の貧困は無かったといわれるのは、こうした親から子へ、子から孫へと繋がっていく絆が大きかったからです。
会社であれば、上の人は、社長や、部課長などです。下の者は、部下ということになりますが、社長は、「リストラで社員の首を切る」ことや、社員は「ストライキなど仕事を放棄してでも、自分の権利主張」を平気でしてしまいますが、実行する前に、今一度、この言葉を思い出して欲しいのです。
「上の人は、下の人を慈しみ、下の人は、上の人を敬い、慕い、物事を推し進めてきた」
「徳を以て、国を、会社を、そして家庭を治めるのが、日本の昔からの伝統である」と言うことを。