第62話 権利と権現様
テレビなどの報道を見ても、自分がしなければならない義務は忘れて、権利ばかり主張する人の姿をよく見かけるようになりました。
たとえば年老いた親が生きている間は、ほとんど顔も見せなかった人が、親が亡くなった途端に、相続を巡って、兄弟同士が争い、中には裁判沙汰になったりします。
あまりに「くれ!くれ!」と主張している姿は、あの世の「餓鬼界」の人を見ているようで、気持ちのよいものではありません。権利を主張する前に、まず自分がすべき事から、喜んでしていく。それも「してやった」ではなく「させて頂く」という心が、本来の日本人の姿ではないかと思います。
ところで、私は「権利!権利!」と権利主張ばかりしている人には、「ああ、よくお悟りになられましたね」と申し上げるのです。
言われた相手は、きょとんとした顔をしていますが、「権利の『権』は『仮の』という意味で『利』は『利益』ですから、『仮の利益』、この世の仮の利益のことを言うからです。
人は、生きている間、お金や物や地位や名誉などといった、たくさんの欲があり、その為に頑張ったり、時には争いになったりもしますが、人がこの世を旅立つときに、持っていくことが出来るものは、心と魂だけ。それ以外は何一つとしてあの世に持っていくことは出来ない『仮の利益』だからです。
だから「人の世にある間に、手にした利益は全て、仮にそこで与えてもらった利益です。よくお悟りになられましたね」と言うと、目を白黒しています。
権利の『権』が、『仮の』という意味ですので、もう一つ神様の世界での『権現様』のことをお話ししたいと思います。
権現様というのも、権利の権は『ごん』とも読みますが、『仮に現れた』という意味で、実際にはその神様は現れていないのです。『仮にお姿を変えて現れておりますよ』というのが、実は『権現様』の意味です。
『熊野大権現』とか『蔵王権現』等と言っていますが『本体としての神様は現れていませんよ』ということなのです。今は『仮の姿ですよ』ということを権現と言って表しているのです。
菅原道真公は太宰権帥でしたが、帥は今で言いますと県知事さんに相当するのでしょうか、長官という意味です。しかし、権がついていますので、仮の長官ということで次官に当たることになります。
では権現様としてお祀りされているところは、本体としての神様はどなたなのかと言うことになりますね。一概には言えませんが、たいていの場合は、今お祀りされている神様よりも位の高い神様であることが多いです。
今、こうした時代だからこそ、よりお力のお強い本体の神様にお出まし頂いて、日本の国、そして世界に神様のお力がより強くなって頂けるよう、私達もお迎えをさせて頂くべきではないかと思います。
定例講演会では、まだブログなどに書いていないお話しも先行してお話ししていきます。
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