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2012年7月 2日 (月)

第64話 イザナギ・イザナミの神様、天の御柱を巡る

伊邪那岐・伊邪那美神様(イザナギ・イザナミの神様)は、天の沼矛でかき回して、はじめに出来た小さな島に降り立ちました。それをオノコロ島といいます。

そしてそこに太い大きな柱、天の御柱(あめのみはしら)を立てました。そしてお二方の結婚のための宮殿も建てられました。

その建物を八尋殿(やひろでん)と言います。人の両手をひろげたものが一尋ですから、その八つの大きさの殿を作ったというので、八尋殿と言うのです。

お二方は、そこで結婚することになりました。その時に伊邪那岐神様が、伊邪那美神様に『そなたの身体はどうなっておるか』とお尋ねになりました。すると、「吾が身はなりなりて、成り合わざるところ一処あり」とお答えになられたので、伊邪那岐神様は「自分はなりなりて、なり余れるところがある。自分の成り余っているところで、あなたの足りないところを塞いで、それで国生みをしよう」という話になっています。男性と女性の身体の違いを、一言で語り合っています。

そして天の御柱を伊邪那美神様は右回りに、伊邪那岐神様は左回りに回ることにし、巡り会ったところでふたりは結ばれようということになりました。二神様は、天の御柱を巡り、そこで互いに声を掛け合います。まず伊邪那美神様から「何とまあ、素晴らしい男性でしょう」と声を掛け、その後で伊邪那岐神様が「何と美しい娘だろう」と声を掛けたのです。

そして御子をお生みになられたのですが、その御子は水蛭子(ひるこ)という名前の、背骨のグニャグニャした弱い子でした。

それで、この子は葦船に乗せて流しました。子供を葦船に乗せて流し、改めて拾い上げて育てるという話は、世界中のいろいろなところに伝説として残っていますが、この時は金析(かなさくの)神様が拾い上げたので、拾うた神様=広田神様・広田神社と呼ぶようになったとされています。

しかし、なぜそんなひ弱な子が生れたのでしょうか。伊邪那岐神様と伊邪那美神様はお二方でいろいろと考えてみましたが、よく分りませんでした。そこで高天原まで行って貴い神様に聞いてみると、「何とまあ、素晴らしい男性でしょう」と、女性から先に声を掛けたのがいけなかったということでした。

さらに「秀真伝(ホツマツタエ)」では、男性が右から回り、女性が左から回るべきだったと、天の御柱の巡り方も違っていたとされています。伊邪那岐・伊邪那美神様は、改めて天の御柱を正しい巡り方で、回り直して男性から声を掛け直したところ、次に生れた子供は、健康な子供だったということです。

(注)秀真伝(ホツマツタエ)とは、神様の世界の事を書かれた書物で、

   古事記よりもずっと以前に神代文字で書かれたものです。

要するに、間違ったことをしたということです。男女平等で、最近は女性の方が積極的になっていますが、特に結婚の時に、どちらから声を掛けるかは、神様の世界でも大切なこととして残され、やはり男性から声を掛けるべきだとされています。それを間違えたから「弱い子が生れた」と言われると、現在は「ドキッ」とする人が多いかもしれませんね。

このことは、「国生み伝説」の中でも、「見直し、聞き直し、言い直し」という大切な教えとなっています。人生において壁にぶつかったときや、困難なときに、「どうしてこうなったのだろう」という『見直し』をし、分らぬ時には、先輩や先生、あるいは上司や両親に聞くという『聞き直し』をし、分ったときには改めて「こうするぞ」という宣言、つまり『言い直し』をすることで、正しい方向への切り替えが出来るという大切な教えです。

神道では、『念と言霊』と言って、同じ事をするにもどう思ってするかが大切です。とは言え、心で「あぁ、いけなかったんだ。次からは改めよう」ではなく、「すぐに行う」、そして「言葉に出して宣言をする」と言うことが、物事をいい方向に動かす大切な力になるのです。

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