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2012年8月13日 (月)

第70話 お盆について  その2

お盆の場合には、お彼岸の時と違って、修羅界・餓鬼界・畜生界の他に、地獄界からもご先祖の方々が戻って来られます。

しかも、お墓にではなく、お位牌にお懸かりの高いところにいらっしゃるご先祖の方から、直接いろいろとお話を伺うことの出来る大切な時です。

特に地獄から帰られる御霊にとりましては、そうした方からのお諭しやお話を伺えるだけでなく、お食事を頂くにしても、まさに年に一度の機会です。

ですから、十二分に身・心・霊共に癒して頂くと共に、また高き世界へとお遷り頂く絶好の機会でもあるのですから、お供養の方もそれに相応しいだけのものを、十二分にさせて頂こうではありませんか。

まず、十三日の迎え火・十六日の送り火の時には、『おがら』を焚くわけですが、これは必ずしも『おがら』でなければならないというものではありません。

なぜ『おがら』を焚くかと言いますと、「ご先祖の方をお迎えするために、どの木の枝でもよいから、木を燃して迎えなさい」と言いますと、ご先祖のお供養に関わることですので、皆さんが一生懸命に木を伐ってきてそうされるでしょうが、それでは新しい木を伐ってしまうことになります。

それでは、残念ながら地獄のような低きところから帰ってくる人達のために、大切な木を伐ることは憚れるということから、すでに用済みとなったおがらならばいいであろうということで、おがらを燃して灯をともし、それでお迎えをするようになったのです。

ですから、読み終わった使い古しの新聞紙でもよいのです。

灯りを灯すという点で、ローソクということも考えられますがローソクの灯は、もっと暖かいものであり、清らかなものですので、迎え火・送り火に使うのは違うということです。

ローソクの場合は、魂が宿っているものに対して致しますので神棚やお仏壇の方で使うのです。それは、一定の方向というか、そうした御霊に対して灯すものですから、ポッと暖かくなるものです。

それに対して、おがらを燃して灯をともす時と言いますのは、あちこちに向けて燃やし、「全方位に向けて、お迎えしていますよ」という意味があります。

 「何々家のご先祖様、この灯りを目印に、どうぞこちらへお出で下さい」

 とお呼びかけをし、

「遠路ご苦労様でした。どうぞ、お入り下さい」

と、お声をかけて差し上げて下さい。

一般には、仏壇の前に小机を置き、真菰かすのこを敷いて『盆棚』を作り、位牌を仏壇からこの盆棚の上に移し、お盆の間は仏壇の扉を閉めておくとされています。

たしかに、低いところから来られたご先祖様によって、せっかくお位牌に入っておられる高いご先祖の方々のお住居が汚れ穢されるのはご免だという考えもありますが、低いところから来られたご先祖の方にとっては、年に一度のことですから、高きところのご先祖の人々も、このお盆の期間に、いろいろとお諭をされるのです。

ですから、お位牌はそのままにされて、むしろ普段は夜には仏壇の扉をお閉め致しますが、この期間中は夜も扉を開けておかれる方がよいのです。

お盆の時に、お野菜でお馬や牛を作ったり、いろいろと飾りつけをするのは、神様の方で定められたことではありません。人の側で、先祖の方をお迎えするという真心としてされたことが、風習として伝わって来たということです。

ですから、玄関先などに、長い道中を旅して来られた先祖の方の足を濯ぐお水や手拭いを用意して差し上げるとか、各家々において、わが家の出迎え方というのを創意工夫されるとよいでしょう。

現在の風習も元はと言えば、そうして出来上がったものなのです。

「家ではこうしているのよ」とか、

「家はこうだわ」

とか、皆さんがそれぞれの方法を言っている間に、そのよさそうなところを真似ている間に、いつの間にか風習のように伝承されていったのです。

お盆の期間のお供え物も、それぞれの家筋によって、先祖の方の好きであったものとか、そういったものをさせて頂くのがよいのですが、皆様がご先祖様のためにと、いろいろご馳走を造ってお迎えするのは、少し意味が違うようです。

少なくとも十三日の日には、余りご馳走は作りません。それと言うのも、低き方々は、ほとんど絶食状態でいるのです。いわば断食をしているのですから、急に硬いご飯やご馳走を食べると、却ってお身体をこわしてしまわれます。

 ですから、昔の人が召し上がった粟や稗の入ったお粥とか、柔らかいご飯を用意して差し上げる方がよろしいのです。

十四日には、食べ物に特に制約はありませんが、例えばヒジキの煮たようなものとか、お芋の煮っころがしとか、いわゆるおふくろの味とか母親の味という形で、その家の味とでも言うのでしようか、そういう家庭の暖かさを本人が思い出すようなお料理がよいのです。

 その味を味わいながら、「ああ、懐かしいなあ。わが家の味だなあ」などと思い出しながら、「どうして、自分はこういうことになったのだろう」と本人が反省するあるいは気づく、そういう機会を持つことが大切なのです。そういう家庭料理がよいのです。

一般には、『暖かい物』を差し上げるという言い方をされますが、物の暖かいか冷たいかを云々するのではなく、『残り物はお出ししない』ということなので、冷たいおソーメン等をお出しするのは結構なのです。

むしろ夏場の暑い時ですから、こちらの側で真心を込めて、

「冷たいものをお召し上がり頂こう」

というのでお作りするものはよいのです。

それは、各家庭においても、夏場はそうした冷たいものを頂きますので、そういった中での一つとして召し上がって頂くのでよいのです。

そうして、この間のお言葉がけが大切なのです。

 十三日には、ねぎらいの言葉、慰労の言葉がけが大切です。

 「遠いところを、ご苦労様でした」とか、

 「長い間、ご苦労様でした」というねぎらいの言葉と、

 「皆さんは、長い間お腹をすかしておられたでしょうから、柔らかいものをご用意させて頂きました。どうぞ、ごゆっくりとお召し上がり下さい」とか、

 「わが家にお戻りになられたのですから、安心しておくつろぎ下さい」

 というようなお言葉をかけてあげるのがよいのです。

十四日の日には、「恨みの念や悔しいとの思いをお取りになることが大切であること、こうした念や思いが、ずっしりとした重みとなって、結局ご自分を低いところに落としているのだ」というようなことをお話してあげるのがよろしいのです。

もちろん、お位牌にお入りになっておられるご先祖の方々も、いろいろとお話をして下さっているのですが、ご子孫の皆様からのお伝えが、何よりの功徳となるようです。

もちろんその前提としては、先程の怨念を取るとか、恨みや痛みの心を取ることはもちろん、感謝の気持ちが神様の支えの条件になっているのですから、いかに感謝の気持ちが大切であるかを説いて差し上げて下さい。

但し、ここでは十分にご注意頂きたいことがあります。それは、こうしたお話しかけやお諭しあるいはお食事を差し上げる時の、私達の心構えです。

私達は、無意識のうちにも、ついつい「教えてやるんだ」とか「してやるんだ」という気持ちが働いていることがあります。

私達は、いかなるご先祖様であろうとも、そうしたご先祖様がいらっしゃったお蔭で、今日この世に存在しているのです。

このうちの、どのご先祖様が欠けられても、私達は存在し得ないのです。であるならば、いかなる事情で低きところに行かれておられましょうとも、

「皆様方がいらっしゃって下さったお蔭で、私達は今日こうして暮らさせて頂いております。本当に有り難うございました」

と、心より申し上げて下さい。

 すると、長い間苦労をされ、人々からも相手にされていなかった人達からは、

 「えっ、自分達にも礼を言ってくれる人がいるんだ」

 と、改めて驚かれると共に、自らの存在に気づかれて、感涙に咽ばれます。その上で、

 「ご先祖様からご覧になれば、幼稚園児にもみたぬ私達ですが承るところによりますと、こういうようにされるとよろしいと伺ったものですから、お話をさせて頂きますが、・・・」

 と、飽くまでも先祖を敬い、自らは謙遜の気持ちでお話しかけをして頂きたいのです。そう致しますと、先祖の方も身を乗り出して聞き入って下さいます。

そして十五日になってはじめて、ややご馳走となるものや、ほんの少しのお酒、そして塩小豆(浄化に良いと伺いました)などをお供えして差し上げると良いのです。

そして十六日の送り火の前にも、心を込めて食事を出して差し上げて下さい。

大事なことは、送り火にて必ずいったんは、元いた所に帰って頂くということです。

そして、帰られたら二三日のうちに、管を通って高いところへと行くようにして下さい。地獄の方でもお盆の期間に高い所に行ったご先祖の方から聞いたお話と、私たちのご供養で、気がつかれた方は、この管を通って地獄から抜け出すことが出来ます。この管は、一週間程でなくなりますから、なるべく早く行くようにして下さい。

お盆の時期は、地獄に堕ちた方でも、救われる年一度の機会です。どうぞ心を込めてして差し上げて下さい。

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