第80話 神社参拝の作法 服装について
前話で、「神様の所には、身なりも心も正して立つ」とお伝えしたところ、「家族で旅行の時や、毎朝の散歩の時に立ち寄る時にも服装を正した方がよいのでしょうか」というご質問がありました。
正しくは、そうです。なぜなら神様は、常に正装をしておられるからです。
しかしたとえば農作業をしている方が、作業の前後にご挨拶に行くときなどは、作業着でも少しも失礼ではありません。
また毎朝の散歩の時には、途中汗をかいたりもしますし、背広などは着るのは面倒かもしれません。
ただこの場合は、あなたの心の中で「どちらが主になっているか」が大事になります。健康のために毎朝散歩をする、そのついでに神社にお参りするのか、毎朝、神社にお参りに行くついでに、散歩など健康によいことなどをさせて頂くのか。どちらでしょうか。
形は全く同じなのですが、自分の中でどちらが先か、どちらが主であるかで、神様の扱いは全く異なってしまうのです。それは家の戸を開けて会って頂けるか、門前払いを食らい、顔も見せて頂けないかくらいの違いがあります。
神社に行くのですから、建物としてのお社や、樹木などは見ることが出来ます。写真も撮れます。しかしあなたがお参りしたときに、その中から神様は顔を見せて下さっているでしょうか。
何かのついでに、神社にお参りに行くということは、「ついで参り」といって、神様から相手にしてもらえません。実は、私も体験がありました。法律の講座を持っているときに九州のいくつかの大学にその案内の為に出かけた時のことです。そしてせっかくここまで来たのだから、お参りしていこうと足を伸ばしたのですが、神前に立ってご挨拶をしようと思った途端に「ついで参りは、不要」と断られてしまったのです。
「えっ?、せっかくここまで来たのだから、お参りしていこうとお尋ねしたのに・・」と思いましたが、その時にはそのお言葉だけで全く神様はお姿をお見せ下さいませんでした。
これは後で、行く前に思いを切り替えるべきだったのではと気付きました。この神社にお参りをするのが主で、そのついでに九州の大学にパンフレットやポスターなどを届けるのだと。予定を立てたのは、大学に行く方が先であったとしても、主に行くのはどちらであるのか、ついでに行くのはどちらかを自分の気持ちの中で切り替えて伺えば良かったのだと思います。そこを曖昧にして行くとついつい仕事や、他の用事の方が主になってしまいます。私もその時に、神様から厳しく拒絶されてはじめて気がつきました。
また服装の点ですが、散歩の身なりでも神様の所にご挨拶をと、清々しい顔をして参道を通り、ていねいに一日のご挨拶をされている方もいらっしゃいます。心が神様の方にまじめに向いていれば、決して失礼にはならないと思います。
私も、神社参拝の後で山に登るようなときには、山登りの服装でお参りします。もう十年以上も前になりますが、鹿島神宮にお参りしてから、筑波山に登ったことがあります。筑波山は、麓にもいざなぎの神様、いざなみの神様をお祀りした筑波山神社がありますが、山頂の男体山、女体山までお参りしたいと思いました。
鹿島神宮では、雨の中、登山の服装の上に、レインウエアまで着てのお参りでしたが、なんとそれを離れた所の社務所から見ておられた宮司様がわざわざ雨の中傘を差してお迎えに来て下さいました。
そして「よろしければ、お茶でも如何ですか」と声をかけて頂きました。
それ以来親しくおつきあいをさせて頂いていますが、「なぜあのときに雨の中、ずぶ濡れで、それも登山の服装で、身なりを正していたわけでもない私達に声をかけて下さったのですか」とお尋ねしたところ、「それは、特別なことで来られた方だと思ったからです。とても真摯なお参りの仕方で、個人の願いごとではなく、国家のこととか、なにか大きなことでお参りに来られた方に違いないと思いました。」とお答え頂きました。
「あんなに離れた所からでも、分かるのですか」とお聞きすると、
「それは分かります。普通にお参りをしている方と、特別なことで来られている方は、一目で分かります。」とお答え頂いたのでした。
その方は、現在の鹿島神宮の名誉宮司で、伊勢神宮の前回の式年遷宮の時の祭儀部長として祭儀の総責任者をされた上野貞文様です。
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