「天国と地獄」という映画もあり、「あの世には、天国と地獄しかない」と思っている人が多いと思いますが、あの世にはこの世でいう身分階級などとは比較にならないほどの、たくさんの階層があります。
それはその人のこの世での過ごし方、考え方から 霊魂の状態に応じたところに行くことになります。亡くなった時に、お寺さんにたくさんのお金を積んで戒名に、いわゆる「院号」をつけてもらったりしますが、それであの世の良いところに行くことは出来ません。
この世では、お金で買えないものはほとんど無いと思われていますが、あの世の行き先は、絶対に金銭では買うことが出来ないものです。だからこそこの世での過ごし方、考え方が大切なのですが、まずはあの世の階層とはどうなっているかを簡単にお話ししたいと思います。
行く先は人によって異なりますが、最高位は『神界』です。「えっ?死んだら、神様の世界に入れるの?」と驚かれるかもしれませんが、本来「人類は、すべて神の子」ですから、全員が神界に返られるのが理想なのです。
しかし、残念ながら神様の世界にただちに行くことが出来るのは、一世紀に一人か、二人しかいないと言われています。
実は『天命とは、神様の世界に返った時に自分がすべき役目のこと』なのですが、それがまだまだ修行中の状態で、神様の世界でその役目を果たせるようにならないと、神様の世界に入る事は出来ません。
また神様の世界は、一点の曇りも、汚れもない黄金の世界であり、現在のように空気も、水も食べ物も人の心もかなり汚れている世界で生きている人にとっては、かなり難しいことになっています。
そこに返ることができない人が、次に行くべき所が『仏界』です。仏様の世界です。
この神界・仏界に返れる人は、高いところですから、あの世とこの世の出入りも自由ですし、ご子孫の方などを強い力で守って差し上げる事が出来ます。
よく亡くなった方に「成仏して下さい」という言葉をかけますが、「成仏」とは、この仏界に返れることです。なかなか「成仏」出来る人は、少ないのです。
仏界にも返れない人は、次に『霊界』に返ることになります。ここに入るには、天命を知って天命に生きることが前提になります。
しかし今生きている人で、自分の天命を知っている人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。残念ながら・・ほとんどおられないはずです。天命を知り、天命に生きる事は、この世だけでなく、実は人の世を去った後にも重大な関わりがあったのです。
少なくとも仕事がイヤで、金のためだけに仕方なく働いているという人は、絶対にその人の天命の仕事についてはいないはずですから、霊界にも入る事は出来ません。
ここにも入れない人は、次が『幽界』になります。幽界に返るには、感謝の気持ちがあることが条件になります。
人はすべて神の子ですから、一般的に「感謝の気持ちはおありですか」と問えば、皆「あります」と答えます。大切な事は有無ではなく、その感謝の気持ちが日常生活に活かされているかどうかなのです。
この下は俗に言う「低いところ」です。そこは、『餓鬼界』・『修羅界』・『畜生界』の三つに分かれています。餓鬼界は、際限なく「くれくれ」と言う欲望の世界です。
修羅界は争いの世界です。畜生界は感謝の気持ちを持たない者の世界で、今や満杯状態です。日常生活においても、いろいろと「してくれ」とは言ってくるが、お礼も言わない人が増えていると思います。ですから、お礼を言う人がいたら、まだましな方だと思って下さい。
この三つの界は、底なし沼のようになっていますので、最初は幽界に手の届くようなところにいても、よほど気をつけないと、いつの間にか底の方に沈んでしまうおそれがあります。
その下がいわゆる地獄界です。血の池地獄・針の山地獄などがあり、極寒地獄が一番厳しいところと言われています。
地獄に行ってしまいますと、年に一度『地獄の竈の蓋が開く』と言われるように、お盆の時だけ供養が受けられることになります。餓鬼・修羅・畜生の世界では、春・秋の彼岸と、ご命日にも供養を受けられます。
神界は天上にあり、仏界は中空にありますから、地上での出来事には影響を受けません。霊界・幽界は地上にあります。しかし、大地にしっかりと足を踏みしめることが出来ますので、少しずつでも高いところに登って行くことが出来ます。
生きているときの考え方や生き様が、あの世の行く先を決めるのですから、辛いことがあっても、やけくそになって人生を投げたりせず、『人生は修行の道場』と立ち向かいたいものですね。
◆ 今年の小田原定例講演会は、『天命シリーズ』です。
人はなぜ生まれ、どう生きるべきか
日本人として生まれた天命
先祖に繋がり、天命を知る方法
4月は、職業別の天命 です。